妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

内房女房御返事

第二巻 定本番号 20376 弘安3(1280) 分類: その他

祖寿: 59 著作地: 身延 

    376   内房女房御返事
内房よりの御消息に云、八月九日、父にてさふらひし人の百箇日に相当てさふらふ。御布施料に十貫まいらせ候、乃至あなかしこあなかしこ。  御願文状云奉読誦妙法蓮華経一部 奉読誦方便寿量品三十巻 奉読誦自我偈三百巻 奉唱妙法蓮華経題名五万返[云云]。 同状云伏惟先考幽霊生存之時 弟子遥陵千里山河 親受妙法題名 然後不経三十日永告一生之終等[云云]。又云鳴呼閻浮露庭白骨仮成塵土霊山界上亡魂定開覚蕊。又云弘安三年女弟子大中臣氏敬白等[云云]。
夫以れば一乗妙法蓮華経は、月氏国にては一由旬の城に積み、日本国にては唯八巻也。然に現世後生を祈る人、或は八巻、或は一巻、或は方便・寿量、或は自我偈等を読誦し、讃歎して所願を遂給ふ先例多之。此は且く置之。奉唱妙法蓮華経の題名五万返と[云云]。此一段を宣んと思て先例を尋るに其例少なし。或は一返二返唱へて利生を蒙る人粗これ有歟。いまだ五万返の類を聞ず。
但一切の諸法に亘て名字あり。其名字皆其体徳を顕はせし事也。例せば石虎将軍と申は、石の虎を射徹したりしかば石虎将軍と申す。的立の大臣と申すは、鉄的を射とをしたりしかば的立の大臣と名く。是皆名に徳を顕はせば、今妙法蓮華経と申候は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候。譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収たるが如し。一塵に三千を尽す法門是也。
南無と申字は敬心也。随心也。故に阿難尊者は一切経の如是の二字の上に南無等[云云]。南岳大師云南無妙法蓮華経[云云]。天台大師云稽首南無妙法蓮華経[云云]。阿難尊者は斛飯王の太子、教主釈尊の御弟子也。釈尊御入滅の後六十日を過て、迦葉等の一千人、文殊等の八万人、大閣講堂にして集会し給て、仏の別を悲しみ給ふ上、我等は多年の間随逐するすら、六十日の間御別を悲しむ。百年千年乃至末法の一切衆生は何をか仏の御形見とせん。六師外道と申は、八百年以前に二天三仙等の説置たる四韋陀十八大経を以てこそ、師の名残とは伝へて候へ。いざさらば我等五十年が間、一切の声聞・大菩薩の聞持たる経々を書置て、未来の衆生の眼目とせんと僉議して、阿難尊者を高座に登せて仏を仰ぐ如く、下座にして文殊師利菩薩、南無妙法蓮華経と唱へたりしかば、阿難尊者此を承取て如是我聞と答ふ。九百九十九人の大阿羅漢等は筆を染て書留給ぬ。一部八巻二十八品の功徳は此五字に収て候へばこそ、文殊師利菩薩かくは唱へさせ給らめ。阿難尊者又さぞかしとは答給らめ。又万二千の声聞・八万の大菩薩・二界八番の雑衆も有し事なれば合点せらるらめ。
天台智者大師と申聖人、妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千丁に書給て候。其心は華厳経は八十巻・六十巻・四十巻、阿含経数百巻、大集方等等数十巻、大品般若四十巻・六百巻、涅槃経四十巻・三十六巻、乃至月氏・龍宮・天上・十方世界の大地微塵の一切経は妙法蓮華経の経の一字の所従也。妙楽大師重て十巻造るを釈籤と名けたり。天台以後に渡たる漢土の一切新訳の諸経は皆法華経の眷属也[云云]。日本伝教大師重て新訳の経々の中の大日経等の真言経を皆法華経の眷属と定められ候畢。但し弘法・慈覚・智証等は此義に水火也。此義後に粗書たり。譬へば五畿七道六十六箇国二の島、其中の郡荘村田畠人牛馬金銀等は皆日本国の三字の内に備て一も闕る事なし。
又王と申は三の字を横に書て、一の字を豎さまに立たり。横の三の字は天地人也。豎の一文字は王也。須弥山と申山の大地をつきとをして傾かざるが如し。天地人を貫て少しも傾かざるを王とは名けたり。王に二あり。一には小王也。人王・天王是也。二には大王也。大梵天王是也。日本国は大王の如し。国々の受領等は小王也。華厳経・阿含経・方等経・般若経・大日経・涅槃経等の已今当の一切経は小王也。譬へば日本国中の国王・受領等の如し。法華経は大王也。天子の如し。
然れば華厳宗・真言宗等の諸宗の人々は国主の内の所従等也。国々の民の身として、天子の徳を奪ひ取は、下剋上背上向下破上下乱等これ也。設いかに世間を治めんと思ふ志ありとも、国も乱れ人も亡ぬべし。譬へば木の根を動さんに枝葉静なるべからず。大海の波あらからんに船おだやかなるべきや。華厳宗・真言宗・念仏宗・律僧・禅僧等は我身持戒正直に智慧いみじく尊しといへども、其身既に下剋上の家に生れて、法華経の大怨敵となりぬ。阿鼻大城を脱るべきや。例せば九十五種の外道の内には正直有智の人多しといへども、二天三仙の邪法を承しかば終には悪道を脱るゝ事なし。然るに今の世の南無阿弥陀仏と申人々、南無妙法蓮華経と申人を或は笑ひ、或はあざむく。此は世間の譬に、稗の稲をいとひ、家主の田苗を憎む是也。是国将なき時の盗人也。日の出ざる時の_也。夜打強盗の科めなきが如く、地中の自在なるが如し。南無妙法蓮華経と申す国将と日輪とにあはば、大火の水に消へ、猴が犬に値なるべし。当時南無阿弥陀仏の人々、南無妙法蓮華経の御声の聞えぬれば、或は色を失ひ、或は眼を瞋らし、或は魂を滅し、或は五体をふるふ。伝教大師云日出星隠見朽知拙。龍樹菩薩云謬辞易失邪義難扶。徳慧菩薩云面有死喪之色言含哀怨之声。法歳云昔義虎今伏鹿等[云云]。此等の意を以て知べし。
妙法蓮華経の徳あらあら申開くべし。毒薬変じて薬となる。妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる。玉泉と申泉は石を玉となす。此五字は凡夫を仏となす。されば過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人也。石変じて玉と成が如し。孝養の至極と申候也。故に法華経云此我二子已作仏事。又云此二子者是我善知識等[云云]。
乃往過去の世に一の大王あり。名を輪陀と申。此王は白馬の鳴を聞て、色もいつくしく、力も強く、供御を進せざれども食にあき給ふ。他国の敵も胄を脱き掌を合す。又此白馬鳴事は白鳥を見て鳴けり。然るに大王の政や悪かりけん。又過去の悪業や感じけん。白鳥皆失て一羽もなかりしかば、白馬鳴事なし。白馬鳴ざりければ、大王の色も変じ、力も衰へ、身もかじけ、謀も薄くなりし故に国既に乱れぬ。他国よりも兵者せめ来らんに何とかせんと歎し程に、大王の勅宣に云、国には外道多し。皆我帰依し奉る。仏法も亦かくの如し。然るに外道と仏法と中悪し。何にしても白馬を鳴せん方を信じて、一方を我国に失ふべしと[云云]。爾時一切の外道集て、白鳥を現じて白馬を鳴せんとせしかども、白鳥現ずる事なし。昔は雲を出し、霧をふらし、風を吹せ、波をたて、身の上に火を出し、水を現じ、人を馬となし馬を人となし、一切自在なりしかども、如何がしけん、白鳥を現ずる事なかりき。爾時馬鳴菩薩と申す仏子あり。十方の諸仏に祈願せしかば、白鳥則出来て、白馬則鳴けり。大王此を聞食し、色も少し出来、力も付、はだへ(膚)もあざやか(鮮)なり。又白鳥又白鳥千の白鳥出現して、千の白馬一時に鶏の時をつくる様に鳴しかば、大王此声を聞食し、色は日輪の如し、膚は月の如し、力は那羅延の如し、謀は梵王の如し。爾時に輪言汗の如く出て返らざれば、一切の外道等其寺を仏寺となしぬ。
今日本国亦かくの如し。此国は始は神代也。漸く代の末になる程に、人の意曲り、貪瞋癡強盛なれば、神の智浅く、威も力も少し。氏子共をも守護しがたかりしかば、漸く仏法と申大法を取り渡して、人の意も直に、神も威勢強かりし程に、仏法に付謬り多く出来せし故に、国あやうかりしかば、伝教大師漢土に渡て、日本と漢土と月氏との聖教を勘へ合て、おろかなるをば捨て、賢きをば取り、偏頗もなく勘へ給て、法華経の三部を鎮護国家の三部と定め置て候しを、弘法大師・慈覚大師・智証大師と申せし聖人等、或は漢土に事を寄せ、或は月氏に事を寄て、法華経を或は第三第二、或は戯論或は無明の辺域等押下し給て、法華経を真言の三部と成さしめて候し程に、代漸く下剋上し、此邪義既に一国に弘る。人多く悪道に落て、神の威も漸く滅し、氏子をも守護しがたき故に、八十一乃至八十五之五主は或は西海に沈み、或は四海に捨られ、今生には大鬼となり後生は無間地獄に落給ぬ。然りといえども、此事知る人なければ改る事なし。今日蓮此事をあらあら知る故に、国の恩を報ぜんとするに、日蓮を怨み給ふ。
此等はさて置ぬ。氏女の慈父は輪陀王の如し。氏女は馬鳴菩薩の如し。白鳥は法華経の如し。白馬は日蓮が如し。南無妙法蓮華経は白馬の鳴が如し。大王の聞食して色も盛んに力も強きは、過去の慈父氏女の南無妙法蓮華経の御音を聞食して仏に成せ給ふが如し。   弘安三年八月十四日   日蓮  花押   内房女房  御返事