妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

妙一女御返事

第二巻 定本番号 20375 弘安3(1280) 分類: その他

祖寿: 59 著作地: 身延 

    375   妙一女御返事
問云日本国有六宗・七宗・八宗。何宗立即身成仏耶。答云伝教大師意唯限法華経弘法大師意唯限真言。
問云其証拠如何。答云伝教大師秀句云当知他宗所依経都無即身入。雖一分即入推八地已上不許凡夫身。天台法華宗具有即入義[云云]。又云能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏等[云云]。又云当知。此文問所成仏人顕此経威勢也等[云云]。此釈心即身成仏唯限法華経也。問云弘法大師証拠如何。答云弘法大師二教論云 菩提心論云唯真言法中即身成仏故是説三摩地法。於諸教中闕而不書。諭曰此論者龍樹大聖所造千部論中秘蔵肝心論也。此中謂諸教者他受用身及変化身等所説法諸顕教也。是説三摩地法者自性法身所説秘密真言三摩地行是也。謂金剛頂十万頌経等是也。
問云此両大師所立義水火也。信何乎。答云此二大師倶大聖也。同年入唐両人同伝受真言密教。伝教大師両界師順暁和尚弘法大師両界師慧果和尚。順暁・慧果二人倶不空御弟子也。不空三蔵大日如来六代御弟子也。相伝と申本身といひ世間の重ずる事日月のごとし。左右の臣にことならず。末学の膚にうけて是非しがたし。定て悪名天下に充満し大難其身に招歟。雖然試難じて糾明両義是非。
問云弘法大師即身成仏限真言何経文何論文乎。答云弘法大師依龍樹菩薩菩提心論也。問云其証拠如何。答云弘法大師二教論引菩提心論云唯真言法中乃至於諸教中闕而不書[云云]。問云有経文乎。答云弘法大師即身成仏義云六大無礙常瑜伽。四種曼荼各不離三密加持速疾顕。重々帝網名即身。法然具足薩般若。心王心数過刹塵。各具五智無際智。円鏡力故実覚智等[云云]。疑云此釈依何経文乎。答云金剛頂経・大日経等。求云其経文如何。答云弘法大師出其証文云修此三眛者現証仏菩提文。又云不捨於此身逮得神境通遊歩大空位而成身秘密文。又云我覚本不生文。又云諸法本不生[云云]。
難云此等の経文は大日経・金剛頂経の文也。雖然経文は或は大日如来の成正覚の文、或は真言行者の現身得五通の文、或は十回向菩薩現身に歓喜地を証得する文にして、猶非生身得忍。何況即身成仏をや。但し菩提心論は一には経に非ず。論を本とせば背上向下の科、相違依法不依人之仏説。
東寺真言師悪口日蓮云汝は凡夫也。弘法大師は三地の菩薩也。汝未非生身得忍。弘法大師は帝眼前に現即身成仏。汝未承勅宣大師にあらず。日本国師にあらず等[云云是一]。慈覚大師は伝教・義真の御弟子、智証大師は義真・慈覚の御弟子、安然和尚は安慧和尚の御弟子也。此三人云法華天台宗は理秘密の即身成仏真言宗は事理倶密の即身成仏云云。伝教・弘法の両大師何れもをろかならねども聖人は偏頗なきゆへに、慈覚・智証・安然の三師は伝教の山に栖といへども、其義は弘法東寺の心也。随て日本国四百余年は異義なし。汝不肖の身としていかんが此悪義を存するや是二。答云、悪口をはき、悪心ををこさば、汝にをいては此義申まじ。正義を聞んと申さば申べし。但し汝等がやうなる者は物をいはずばつまり(結)ぬとをもうべし。いうべし。悪心ををこさんよりも、悪口をなさんよりも、きらきらとして候経文を出して、汝が信じまいらせたる弘法大師の義をたすけよ。悪口悪心をもてをもうに経文には即身成仏無か。但し慈覚・智証・安然等の事は此又覚・証の両大師、日本にして教大師を信ずといへども、漢土にわたりて有し時、元政・法全等の義を信じて、心には教大師の義をすて、身は其山に住すれども、いつわりてありしなり。
問云、汝が此義はいかにしてをもひいだしけるぞや。答云、伝教大師の釈云、当知此文問所成仏人顕此経威勢也とかゝれて候は、上の提婆品の我於海中の経文をかきのせて、あそばして候。釈の心はいかに人申とも、即身成仏の人なくば用べからず、とかゝせ給へり。いかにも純円一実の経にあらずば、即身成仏はあるまじき道理あり。大日経・金剛頂経等の真言経には其人なし。又経文を見るに、兼・但・対・帯の旨分明也。二乗成仏なし、久遠実成あとをけづる。慈覚・智証は善無畏・金剛智・不空三蔵の釈にたぼらかされてをはするか。此人々は賢人聖人とはをもへども、遠を貴で近をあなづる人也。彼三部経に印と真言とあるにばかされて、大事の即身成仏の道をわすれたる人々也。然を当時、叡山の人々、法華経の即身成仏のやうを申やうなれども、慈覚大師・安然等の即身成仏の義也。彼人々の即身成仏は有名無実の即身成仏也。其義専伝教大師の義に相違せり。教大師は分段の身を捨ても捨ずしても、法華経の心にては即身成仏也。覚大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらずとをもはれたるか、あへて即身成仏の義をしらざる人々也。
求云慈覚大師は伝教大師に値奉て習相伝せり。汝は四百余年の年紀をへだてたり、如何。答云師の口より伝る人必あやまりなく、後にたづねあきらめたる人をろそかならば、経文をすてゝ四依の菩薩につくべきか。父母の譲状をすてゝ口伝を用べきか。伝教大師の御釈無用也。慈覚大師の口伝真実なるべきか。伝教大師の秀句と申御文に、一切経になき事を十いだされて候に、第八に即身成仏化導勝とかゝれて、次下に当知此文問所成仏人顕此経威勢也乃至当知他宗所依経都無即身入等[云云]。此釈を背て、覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用べきか。
求云教大師の釈の中に菩提心論の唯の字用ざる釈有や不や。答云秀句云能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏等[云云]。此釈は菩提心論の唯の字を用ずと見へて候。問云菩提心論を用ざるは龍樹を用ざるか。答云但恐訳者曲会私情の心也。疑云不用訳者法華経の羅什をも不可用歟。答云羅什には現証あり、不空には現証なし。問云其証如何。答云舌の焼ざる証なり。具には聞べし。
求云覚・証等は此事を知らざる歟。答云此両人は信無畏等三蔵故不用伝教大師正義歟。此則人を信じて法をすてたる人々なり。問云日本国いまだ覚・証・然等を破たる人をきかず、如何。答云弘法大師の門家は覚・証を用べしや。覚・証の門家は弘法大師を用べしや。問云両方の義相違すといへども、汝が義のごとく水火ならず。誹謗正法とはいわず、如何。答云誹謗正法者其相貌如何。外道が仏教をそしり、小乗が大乗をそしり、権大乗が実大乗を下し、実大乗が権大乗に力をあわせ、詮するところは勝を劣という。法にそむくがゆへに謗法とは申か。弘法大師の大日経を法華経華厳経に勝たりと申証文ありや。法華経には華厳経・大日経等を下す文分明也。所謂已今当等也。弘法雖尊背釈迦多宝十方分身諸仏大科難免。寄事於権門日蓮ををどさんより但正文を出せ。汝等は人をかたうどゝせり。日蓮は日月・帝釈・梵天をかたうどゝせん。日月天眼を開て御覧あるべし。
将又日月の宮殿には法華経と大日経と華厳経とをはすとけうしあわせて御覧候へ。弘法・慈覚・智証・安然の義と日蓮が義とは何れがすぐれて候。日蓮が義もし百千に一も道理に叶て候はゞ、いかにたすけさせ給はぬぞ。彼人々の御義もし邪義ならば、いかに日本国の一切衆生の無眼の報をへ(得)候はんをば、不便とはをぼせ候はぬぞ。日蓮が二度の流罪、結句は頸に及しは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御頸を切んとする人ぞかし。日月は一人にてをはせども、四天下の一切衆生の眼也。命也。日月は仏法をなめて威光勢力を増し給と見へて候。仏法のあぢわい(味)をたがうる人は日月の御力をうばう人、一切衆生の敵也。いかに日月は光を放て、彼等が頂をてらし、寿命と衣食とをあたへて、やしなひ給ぞ。彼三大師の御弟子等が法華経を誹謗するは、偏に日月の御心を入させ給て謗ぜさせ給か。其義なくして日蓮がひが事ならば、日天もしめし、彼等にもめしあは(召合)せ、其理にまけ(負)てありとも、其心ひるがへらずば天寿をもめしとれかし。其義はなくして、たゞ理不尽に彼等にさる(猿)の子を犬にあづけ、ねづみの子を猫にたふ(与)やうに、うちあづけて、さんざんにせめさせ給て、彼等を罰し給はぬ事、心へられず。日蓮は日月の御ためには、をそらくは大事の御かたきなり。教主釈尊の御前にて、かならずうた(訴)へ申べし。其時うらみさせ給なよ。日月にあらずとも、地神も海神もきかれよ、日本の守護神もきかるべし。あへて日蓮が曲意はなきなり。いそぎいそぎ御計あるべし。ちゝ(遅々)せさせ給て日蓮うらみさせ給なよ。南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。恐々。   七月十四日   日蓮  花押   妙一女 御返事