大田殿女房御返事(即身成仏事)
370 大田殿女房御返事
八月分の八木一石給候了。 即身成仏と申法門は、諸大乗経並に大日経等の経文に分明に候ぞ。爾ばとて彼経経の人々の即身成仏と申は、二増上慢に堕て必無間地獄へ入候也。記九云然二上慢不無浅深。謂如乃成大無慙人等[云云]。諸大乗経の煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門は、いみじくをそたかきやうなれども、此はあえて即身成仏の法門にはあらず。其心は二乗と申者は鹿苑にして見思を断じて、いまだ塵沙・無明をば断ぜざる者が、我は已に煩悩を尽たり。無余に入て灰身滅智の者となれり。灰身なれば即身にあらず。滅智なれば成仏の義なし。されば凡夫は煩悩・業もあり、苦果の依身も失事なければ、煩悩・業を種として報身・応身ともなりなん。苦果あれば生死即涅槃とて、法身如来ともなりなんと、二乗をこそ弾呵せさせ給しか。さればとて煩悩・業・苦が三身の種はなり候はず。
今法華経にして、有余・無余の二乗が無き煩悩・業・苦をとり出て、即身成仏と説給時、二乗の即身成仏するのみならず、凡夫も即身成仏する也。此法門をだにもくはしく案ほどかせ給わば、華厳・真言等の人々の即身成仏と申候は、依経に文は候へども、其義はあへてなき事なり。僻事の起此也。
弘法・慈覚・智証等は、此法門に迷惑せる人なりとみ(見)候。何況其已下古徳・先徳等は言にたらず。但、天台第四十六の座主東陽の忠尋申人こそ、此法門はすこしあやぶまれて候事は候へ。然ども天台座主慈覚の末をうくる人なれば、いつわりをろかにて、さてはてぬるか。其上日本国に生を受人は、いかでか心にはをもうとも、言に出候べき。しかれども釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌・龍樹菩薩・天台・妙楽・伝教大師は、即身成仏は法華経に限とをぼしめされて候ぞ。我弟子等は此事ををもひ出にせさせ給。
妙法蓮華経の五字の中に、諸論師・諸人師の釈まちまちに候へども、皆諸経の見を出ず。但、龍樹菩薩の大論と申論に、譬如大薬師能以毒為薬と申釈こそ、此の一字を心へさせ給たりける歟と見へて候へ。毒と申は苦集二諦生死の因果毒の中の毒にて候ぞかし。此毒を生死即涅槃、煩悩即菩提となし候を、妙の極とは申けるなり。良薬と申は毒の変じて薬となりけるを良薬とは申候けり。此龍樹菩薩は大論と申文の一百の巻に、華厳般若等は妙にあらず、法華経こそ妙にて候へと申釈也。
此大論は龍樹菩薩の論、羅什三蔵と申人の漢土へわたして候なり。天台大師は此の法門を御らむあて、南北をばせめさせ給て候ぞ。
而を漢土唐の中、日本弘仁已後人々の悞の出来し候ける事は、唐の第九代宗皇帝の御宇、不空三蔵と申人の天竺より渡て候論あり、菩提心論と申。此論は龍樹の論となづけて候。此論云唯真言法中 即身成仏故是説三摩地法於諸教中闕而不書と申文あり。此釈にばかされて、弘法・慈覚・智証等法門はさんざんの事にては候也。但、大論は龍樹の論たる事は自他あらそう事なし。菩提心論は龍樹の論・不空論と申あらそい有り。此はいかにも候へ。さてをき候ぬ。但、不審なる事は、大論の心ならば即身成仏は法華経に限べし。文と申、道理きわまれり。菩提心論が龍樹の論とは申とも、大論にそむいて真言即身成仏を立る上、唯の一字は強と見へて候。何の経文に依て、唯の一字をば置て、法華経をば破候けるぞ。証文尋べし。
龍樹菩薩の十住毘婆沙論に云、経に依ざる法門をば黒論と[云云]。自語相違あるべからず。大論一百云 而法華等阿羅漢授決作仏乃至譬如大薬師能以毒為薬等[云云]。此釈こそ即身成仏の道理はかゝれて候へ。但、菩提心論と大論とは同龍樹大聖の論にて候が、水火の異をばいかんがせんと見候に、此は龍樹の異説にはあらず、訳者の所為なり。羅什は舌やけず、不空は舌やけぬ。妄語はやけ、実語はやけぬ事顕然也。月支より漢土へ経論わたす人、一百七十六人なり。其中に羅什一人計こそ、教主釈尊の経文に私の言入ぬ人にては候へ。一百七十五人の中、羅什より先後一百六十四人は羅什智をもつて知候べし。羅什来せ給て前後一百六十四人が悞も顕れ、新訳の十一人が悞も顕、又少ざかしくなりて候も羅什の故也。此私の義にはあらず。感通伝云 絶後光前と[云云]。光前と申は後漢より後秦までの訳者。絶後と申は羅什已後、善無畏・金剛智・不空等も羅什の智をうけて、すこしこざかしく候也。感通伝云 已下諸人並皆俊[云云]。されば此菩提心論の唯の文字は、設龍樹の論なりとも、不空の私の言也。何況次下於諸教中闕而不書とかゝれて候。存外のあやまりなり。
即身成仏の手本たる法華経をば指をいて、あとかたもなき真言に即身成仏を立て、剰唯の一字ををかるゝ條、天下第一の僻見也。此偏修羅根性法門なり。天台智者大師の文句九に、寿量品心釈云仏於三世等有三身於諸教中秘之不伝とかゝれて候。此こそ即身成仏の明文にては候へ。不空三蔵此釈を消が為に事を龍樹に依て、唯真言法中即身成仏故是説三摩地法於諸教中闕而不書とかゝれて候也。されば此論次下に、即身成仏をかゝれて候が、あへて即身成仏にはあらず。生身得忍に似て候。
此人は即身成仏はめづらしき法門とはきかれて候へども、即身成仏の義はあへてうかがわぬ人々なり。いかにも候へば二乗成仏 久遠実成を説給経にあるべき事なり。天台大師の於諸教中秘之不伝の釈は千旦千旦。恐々。
外典三千余巻は、政当(道)の相違せるに依て代は濁と明。内典五千七千余巻は、仏法の僻見に依て代濁べしとあかされて候。今の代は外典にも相違し、内典にも違背せるかのゆへに、二の大科一国に起て、已に亡国とならむとし候歟。不便不便。 七月二日 日蓮 [花押] 大田殿女房 [御返事]