窪尼御前御返事
333 窪尼御前御返事
御供養の物、数のまゝに慥に給候。当時は五月の比おひにて民のいとまなし。其上、宮の造営にて候也。かゝる暇なき時、山中の有様思ひやらせ給て送りたびて候事、御志殊にふかし。
阿育大王と申せし王は、この天の日のめぐらせ給一閻浮提を大体しろしめされ候し王也。此王は昔 徳勝とて五になる童にて候しが、釈迦仏にすなのもちゐ(沙餅)をまいらせたりしゆへに、かゝる大王と生させ給。此童はさしも心ざしなし、たわふれなるやうにてこそ候しかども、仏のめでたくをはすれば、わづかの事もものとなりてかゝるめでたき事候。まして法華経は仏にまさらせ給事、星と月とともしびと日とのごとし。又御心ざしもすぐれて候。されば故入道殿も仏にならせ給べし。又一人をはするひめ御前も、いのちもながく、さひわひもありて、さる人のむすめなりときこえさせ給べし。
当時もおさなけれども母をかけてすごす女人なれば、父の後世をもたすくべし。から(唐)国にせいし(西施)と申せし女人は、わかなを山につみて、をひたるはわ(老母)をやしなひき。天あはれみて、越王と申大王のかり(狩)せさせ給しが、みつけてきさき(后)となりにき。これも又かくのごとし。をやをやしなふ女人なれば天もまほらせ給らん、仏もあはれみ候らん。一切の善根の中に、孝養父母は第一にて候なれば、まして法華経にてをはす。金のうつわものに、きよき水を入たるがごとく、すこしももる(漏)べからず候。めでたしめでたし。恐々謹言。 五月四日 日蓮 [花押] くぼの尼御前 [御返事]