妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

松野殿後家尼御前御返事

第二巻 定本番号 20329 弘安2(1279) 分類: その他

祖寿: 58 著作地: 身延 

    329   松野殿後家尼御前御返事
法華経第五巻安楽行品云文殊師利此法華経於無量国中乃至名字不可得聞[云云]。此文の心は、我等衆生の三界六道に輪廻せし事、或は天に生れ、或は人に生れ、或は地獄に生れ、或は餓鬼に生れ、畜生に生れ、無量の国に生をうけて、無辺の苦しみをうけて、たのしみにあひしかども、一度も法華経の国には生ぜず。たまたま生れたりといへども、南無妙法蓮華経と唱へず。となふる事はゆめにもなし。人の申をも聞かず。
仏のたとへを説せ給に、一眼の亀の浮木の穴に値がたきにたとへ給なり。心は、大海の中に八万由句の底に、亀と申大魚あり。手足もなく、ひれもなし。腹のあつき事は、くろがねのやけるがごとし。せなか(背)のこう(甲)のさむき事は雪山ににたり。此魚の昼夜朝暮のねがひ、時々剋々の口ずさみには、腹をひやし、こうをあたゝめんと思ふ。赤栴檀と申木をば聖木と名く。人の中の聖人也。余の一切の木をば凡木と申す。愚人の如し。此栴檀の木は此魚の腹をひやす木なり。あはれ此木にのぼりて、腹をば穴に入てひやし、こうをば天の日にあててあたゝめばやと申也。自然のことはりとして、千年に一度出る亀也。しかれども此木に値事かたし。大海は広し、亀はちいさし、浮木はまれなり。たとひ、よ(余)のうききにはあへども、栴檀にはあはず。あへども、亀の腹をえりはめたる様に、がい分に相応したる浮木の穴にあひがたし。我身をち入なば、こうをもあたゝめがたし。誰か又とりあぐべき。又穴せばくして、腹を穴に入れえずんば、波にあらひをとされて大海にしづみなむ。たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行あへども、我一眼のひがめる故に、浮木西にながるれば東と見る故に、いそいでのらんと思ておよ(泳)げば弥々とをざかる。東に流るを西と見る、南北も又如此[云云]。浮木にはとをざかれども近づく事はなし。如是無量無辺劫にも一眼の亀の浮木の穴にあひがたき事を仏説給へり。
此喩をとりて法華経にあひがたきに譬ふ。設ひあへども、となへがたき題目の妙法の穴にあひがたき事を、心うべき也。大海をば生死の苦海也、亀をば我等衆生にたとへたり。手足のなきをば善根の我等が身にそなはらざるにたとへ、腹のあつきをば我等が瞋恚の八熱地獄にたとへ、背のこうのさむきをば貪欲の八寒地獄にたとへ、千年大海の底にあるをば我等が三悪道に堕て浮びがたきにたとへ、千年に一度浮をば三悪道より無量劫に一度人間に生て釈迦仏の出世にあひがたきにたとう。余の松木ひ(桧)の木の浮木にはあひやすく、栴檀にはあひがたし。一切経には値やすく、法華経にはあひがたきに譬へたり。たとひ栴檀には値とも、相応したる穴にあひがたきに喩也。設ひ法華経には値とも肝心たる南無妙法蓮華経の五字をとなへがたきに、あひたてまつる事のかたきにたとう。東を西と見、北を南と見る事をば、我等衆生かしこがほに智慧有る由をして、勝を劣と思ひ、劣を勝と思ふ。得益なき法をば得益あると見る、機にかなはざる法をば機にかなう法と云。真言は勝れ法華経は劣り、真言は機にかなひ法華経は機に叶はずと見る是也。
されば思よらせ給へ。仏 月氏国に出させ給て、一代聖教を説せ給しに、四十三年と申せしに、始て法華経を説せ給ふ。八箇年が程、一切の御弟子皆如意宝珠のごとくなる法華経を持候き。然ども日本国と天竺とは二十万里の山海をへだてて候しかば、法華経の名字をだに聞ことなかりき。釈尊御入滅ならせ給て、一千二百余年と申せしに漢土へ渡し給ふ。いまだ日本国へは渡らず。仏滅後一千五百余年と申に、日本国の第三十代欽明天皇と申せし御門の御時、百済国より始て仏法渡る。又上宮太子と申せし人、唐土より始て仏法渡させ給て、其より以来于今七百余年の間、一切経並に法華経はひろまらせ給て、上一人より下万民に至まで、心あらむ人は法華経を一部、或は一巻、或は一品持て或は父母の孝養とす。されば我等も法華経を持と思。しかれども未だ口に南無妙法蓮華経とは唱へず。信たるに似て信ぜざるが如し。譬ば一眼の亀のあひがたき栴檀の聖木にはあいたれども、いまだ亀の腹を穴に入ざるが如し。入ざればよしなし。須臾に大海にしづみなん。我朝七百余年の間、此法華経弘らせ給て、或は読人、或は説人、或は供養せる人、或は持人、稲麻竹葦よりも多し。然どもいまだ阿弥陀の名号を唱るが如く南無妙法蓮華経とすゝむる人もなく唱る人もなし。一切の経・一切の仏の名号を唱るは凡木にあうがごとし。未だ栴檀ならざれば腹をひやさず、日天ならざれば甲をもあたゝめず。但目をこやし、心を悦ばしめて実なし。華さいて菓なく、言のみ有てしわざなし。
但日蓮一人ばかり日本国に始て是を唱へまいらする事、去建長五年の夏のころより于今二十余年の間、昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と是を唱る事は一人也。念仏申人は千万也。予は無縁の者也。念仏の方人は有縁也、高貴なり。然ども師子の声には一切の獣声を失ふ。虎の影には犬恐る。日天東に出ぬれば、万星の光は跡形もなし。法華経のなき所にこそ弥陀念仏はいみじかりしかども、南無妙法蓮華経の声出来しては、師子と犬と、日輪と星との光くらべのごとし。譬ば鷹と雉とのひとしからざるがごとし。故に四衆とりどりにそねみ、上下同くにくむ。讒人国に充満して奸人土に多し。故に劣を取て勝をにくむ。譬ば犬は勝たり師子をば劣り、星をば勝日輪をば劣とそしるが如し。然間、邪見の悪名世上に流布し、やゝもすれば讒訴し、或は罵詈せられ、或は刀杖の難をかふる。或は度々流罪にあたる。五巻の経文にすこしもたがはず。さればなむだ(涙)左右の眼にうかび、悦び一身にあつまれり。
こゝに衣は身をかくしがたく、食は命をささへがたし。例せば蘇武が胡国にありしに、雪を食として命をたもつ。伯夷は首陽山にすみし、蕨ををりて身をたすく。父母にあらざれば誰か問べき。三宝の御助にあらずんばいかでか一日片時も持つべき。未だ見参にも入ず候人の、かやうに度々御をとづれのはんべるはいかなる事にや、あやしくこそ候へ。法華経の第四巻には、釈迦仏 凡夫の身にいりかはらせ給て、法華経の行者をば供養すべきよしを説れて候。釈迦仏御身に入らせ給候歟。又過去の善根のもよをしか。龍女と申女人は法華経にて仏に成りて候へば、末代に此経をまいらせん女人をまほらせ給べきよし誓せ給し、其御ゆかりにて候か貴し貴し。   弘安二年己卯三月二十六日   日蓮  花押   松野殿後家尼御前  御返事