千日尼御前御返事
315 千日尼御前御返事
青鳧一貫文・干飯一斗・種々物給候了。仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生たり。仏に漿をまひらせし老女は辟支仏と生たり。法華経は十方三世の諸仏の御師也。十方の仏と申は東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏也。三世の仏と申は過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏、乃至華厳経・法華経・涅槃経等の大小権実顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏、尽十方世界の微塵数の菩薩等も、皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり。故に法華経の結経普賢経云仏三種身従方等生等[云云]。方等者、月氏の語、漢土には大乗と翻ず。大乗と申は法華経の名也。阿含経は外道の経に対すれば大乗経、華厳・般若・大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経也。法華経に勝たる経なき故に一大乗経也。例せば南閻浮提八万四千の国々の王々は其国々にては大王と云。転輪聖王に対すれば小王と申。乃至六欲四禅の王々は大小に渡る。色界の頂の大梵天王独り大王にして、小の文字をつくる事なきが如し。仏は子也。法華経は父母也。譬ば、一人の父母に千子有て、一人の父母を讃歎すれば千子悦をなす。一人の父母を供養すれば千子を供養するになりぬ。又法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同き也。十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故也。
譬ば一の師子に百子あり。彼百子諸の禽獣に犯さるゝに、一の師子王吼れば百子力を得て、諸の禽獣皆頭七分にわる。法華経は師子王の如し、一切の獣の頂とす。法華経の師子王を持つ女人は、一切の地獄餓鬼畜生等の百獣に恐るゝ事なし。譬ば女人の一生の間の御罪は諸乾草の如し。法華経の妙の一字は小火の如し。小火を衆草につきぬれば、衆草焼亡るのみならず、大木大石皆焼失ぬ。妙の一字の智火以て如此。諸罪消るのみならず、衆罪かへりて功徳となる。毒薬変じて甘露となる是也。譬ば、黒漆に白物を入ぬれば白色となる。女人の御罪は漆の如し、南無妙法蓮華経の文字は白物の如し。人は臨終の時、地獄に堕る者は黒色となる上、其身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鷲毛の如し、軟なる事兜羅綿の如し。
佐渡の国より此国までは、山海を隔てて千里に及候に、女人の御身として、法華経を志ましますによりて年々に夫を御使として御訪あり。定て法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏、其御心をしろしめすらん。譬ば、天月は四万由句なれども、大地の池には須臾に影浮び、雷門の鼓は千万里遠けれども、打ば須臾に聞ゆ。御身は佐渡の国にをはせども心は此国に来れり。仏に成る道も如此。我等は穢土に候へども心は霊山に住べし。御面を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐謹言。 弘安元年後十月十九日 日蓮 花押 千日尼御前 御返事