妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

妙法比丘尼御返事

第二巻 定本番号 20305 弘安1(1278) 分類: その他

祖寿: 57 著作地: 身延 

    305   妙法比丘尼御返事
御文云、たふかたびら(太布帷)一、あによめにて候女房のつたうと[云云]。又おはり(尾張)の次郎兵衛殿、六月二十二日に死なせ給と[云云]。付法蔵経と申経は、仏 我滅後に我法を弘べきやうを説せ給て候。其中に我滅後正法一千年が間、次第に使をつかはすべし。第一は迦葉尊者二十年、第二は阿難尊者二十年、第三は商那和修二十年、乃至第二十三は師子尊者なりと[云云]。
其第三の商那和修と申人の御事を仏の説せ給て候やうは、商那和修と申は衣の名なり。此人生時衣をき(著)て生て候き。不思議なりし事なり。六道の中に、地獄道より人道に至までは何なる人も始はあかはだか(赤裸)にて候に、天道こそ衣をきて生候へ。たとひ何なる賢人聖人も人に生るるならひは皆あかはだかなり。一生補処の菩薩尚はだかにて生れ給へり。何況其外をや。然に此人は商那衣と申いみじき衣にまとはれて生させ給しが、此衣は血もつかず、けがるる事もなし。譬ば池に蓮のをひ、をし(鴛)の羽の水にぬれざるが如し。此人次第に生長ありしかば、又此衣次第に広く長くなる。冬はあつ(厚)く、夏はうす(薄)く、春は青く、秋は白くなり候し程に、長者にてをはせしかば何事もともしからず。後には仏の記しをき給し事たがふ事なし。故に阿難尊者の御弟子とならせ給て御出家ありしかば、此衣変じて五条・七条・九条等の御袈裟となり候き。かかる不思議の候し故を仏の説せ給しやうは、乃往過去阿僧祇劫の当初、此人は商人にて有しが、五百人の商人と共に大海に船を浮てあきなひをせし程に、海辺に重病の者あり。しかれども辟支仏と申て貴人なり。先業にてや有けん。
病にかかりて、身やつれ心をぼ(耄)れ、不浄にまとはれてをはせしを、此商人あはれみ奉て、ねんごろに看病して生しまいらせ、不浄をすゝぎすてて_布の商那衣をきせまいらせてありしかば、此聖人悦て願云、汝我を助て身の恥を隠せり。此衣を今生後生の衣とせん、とてやがて涅槃に入給き。此功徳によりて過去無量劫の間人中天上に生れ生るる度ごとに、此衣身に随て離るる事なし。乃至今生に釈迦如来の滅後第三の付嘱をうけて、商那和修と申聖人となり、摩突羅国優留荼山と申山に大伽藍を立てて、無量の衆生を教化して仏法を弘通し給し事二十年なり。所詮商那和修比丘の一切のたのしみ不思議は皆彼衣より出生せりとこそ説れて候へ。而に日蓮は南閻浮提日本国と申国の者なり。此国は仏の世に出させ給し国よりは東に当て二十万余里の外、遥なる海中の小島なり。而に仏御入滅ありては既に二千二百二十七年なり。月氏漢土の人の此国の人人を見候へば、此国の人の伊豆の大島・奥州の東のえぞなんどを見るやうにこそ候らめ。而に日蓮は日本国安房国と申国に生て候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。此度いかにもして仏種をもう(植)へ、生死を離るる身とならんと思て候し程に、皆人の願せ給事なれば、阿弥陀仏をたのみ奉り、幼少より名号を唱候し程に、いさゝかの事ありて、此事を疑し故に一の願をおこす。日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習見候はばや。又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申宗どもあまた有ときく上に、禅宗・浄土宗と申宗も候なり。此等の宗々枝葉をばこまかに習はずとも、所詮肝要を知る身とならばやと思し故に、随分にはしりまはり、十二・十六の年より三十二に至まで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々あらあら習回り候し程に、一の不思議あり。
我等がはかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし。いづれもいづれも心に入て習ひ願はば、生死を離るべしとこそ思て候に、仏法の中に入て悪く習候ぬれば、謗法と申す大なる穴に堕入て、十悪五逆と申て、日々夜々に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申て父母等を殺す悪人よりも、比丘比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候やうなる智者聖人の、一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のやうにをもはれ、我身も又さながらに悪道にはよも堕じと思程に、十悪五逆の罪人よりもつよく地獄に堕て、阿鼻大城を栖として永地獄をいでぬ事の候けるぞ。譬ば人ありて世にあらんがために、国主につかへ奉る程に、させるあやまちはなけれども、我心のたらぬ上、身にあやしきふるまひかさなるを、猶我身にも失ありともしらず、又傍輩も不思議ともをもはざるに、后等の御事によりてあやまつ事はなけれども、自然にふるまひあしく、王なんどに不思議に見へまいらせぬれば、謀反の者よりも其失重し。此身とがにかかりぬれば、父母兄弟所従なんども又かるからざる失にをこなはるる事あり。謗法と申罪をば、我もしらず、人も失とも思はず。但仏法をならへば貴しとのみ思て候程に、此人も又此人にしたがふ弟子檀那等も、無間地獄に堕る事あり。所謂勝意比丘・苦岸比丘なんど申せし僧は二百五十戒をかたく持ち、三千の威儀を一もかけずありし人なれども、無間大城に堕て出る期見へず。又彼比丘に近づきて弟子となり檀那となる人々、存の外に大地微塵の数よりも多く地獄に堕て、師とともに苦を受しぞかし。此人後世のために衆善を修せしより外は又心なかりしかども、かゝる不祥にあひて候しぞかし。
かゝる事を見候しゆへに、あらあら経論を勘へ候へば、日本国の当世こそ其に似て候へ。代末になり候へば、世間のまつり事のあらき(粗)につけても世中あやうかるべき上、此日本国は他国にもにず、仏法弘まりて国をさまるべきかと思て候へば、中々仏法弘りて世もいたく衰へ、人も多く悪道に堕べしと見へて候。其故は日本国は月氏漢土よりも堂塔等の多き中に大体は阿弥陀堂なり。其上、家ごとに阿弥陀仏を木像に造り画像に書き、人毎に六万八万等の念仏を申。又他方を抛て西方を願。愚者の眼にも貴しと見候上、一切の智人も皆いみじき事なりとほめさせ給。又人王五十代桓武天皇の御宇に、弘法大師と申聖人此国に生て、漢土より真言宗と申めずらしき法を習伝へ、平城・嵯峨・淳和等の王の御師となりて東寺・高野と申寺を建立し、又慈覚大師・智証大師と申聖人同く此宗を習伝て、叡山・園城寺に弘通せしかば、日本国の山寺一同に此法を伝へ、今に真言を行ひ鈴をふりて、公家武家の御祈をし候。所謂二階堂・大御堂・若宮等の別当等是也。是は古も御たのみある上、当世の国主等、家には柱、天には日月、河には橋、海には船の如く御たのみあり。禅宗と申は又当世の持斉等を建長寺等にあがめさせ給て、父母よりも重じ、神よりも御たのみあり。されば一切の諸人頭をかたぶけ手をあざ(叉)ふ。かゝる世にいかなればにや候らん。
天変と申て彗星長く東西に渡り、地夭と申て大地をくつがへすこと大海の船を大風の時大波のくつがへすに似たり。大風吹て草木をからし、飢饉も年々にゆき、疫病月々におこり、大旱魃ゆきて河池田畠皆かはきぬ。如此三災七難数十年起て民半分に減じ。残は或は父母、或は兄弟、或は妻子にわかれて歎く声秋の虫にことならず。家々のちりうする事冬の草木の雪にせめられたるに似たり。是はいかなる事ぞと経論を引見候へば仏の言く、法華経と申経を謗じ、我を用ざる国あらばかゝる事あるべしと、仏の記しをかせ給て候御言にすこしもたがひ候はず。日蓮疑云、日本には誰か法華経と釈迦仏をば謗ずべきと疑ふ。又たまさか謗ずる者は少少ありとも、信ずる者こそ多あるらめと存候。爰に此日本の国、人ごとに阿弥陀堂をつくり、念仏を申す。其根本を尋れば、導綽禅師・善導和尚・法然上人と申三人の言より出でて候。是浄土宗の根本、今の諸人の御師なり。此三人の念仏を弘めさせ給し時にのたまはく、未有一人得者、千中無一、捨閉閣抛等[云云]。いふこゝろは、阿弥陀仏をたのみ奉ん人は一切経・一切仏・一切神をすてて、但阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と申べし。其上ことに法華経と釈迦仏を捨まいらせよとすゝめしかば、やすきまゝに案もなくばらばらと付候ぬ。一人付始しかば万人皆付候ぬ。万人付しかば上は国主、中は大臣、下は万民一人も残事なし。さる程に此国存の外に釈迦仏・法華経の御敵人となりぬ。其故は今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子而今此処多諸患難唯我一人能為救護と説て、此日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり師なり親なり。天神七代・地神五代・人王九十代の神と王とすら猶釈迦仏の所従なり。何況や其神と王との眷属等をや。
今日本国の大地・山河・大海・草木等は皆釈尊の御財ぞかし。全一分も薬師仏・阿弥陀仏等の他仏の物にはあらず。又日本国の天神・地神・九十余代の国主並に万民牛馬生と生る生ある者は皆教主釈尊の一子なり。又日本国の天神・地神・諸王・万民等の天地・水火・父母・主君・男女・妻子・黒白等を弁給は皆教主釈尊、御教の師也。全薬師・阿弥陀等の御教にはあらず。されば此仏は我等がためには大地よりも厚く、虚空よりも広く、天よりも高き御恩まします仏ぞかし。かゝる仏なれば王臣万民倶に人ごとに父母よりも重んじ、神よりもあが(崇)め奉るべし。かくだにも候はば、何なる大科有とも天も守護してよもすて給はじ、地もいかり給べからず。然に上一人より下万民に至まで、阿弥陀堂を立阿弥陀仏を本尊ともてなす故に、天地の御いかりあるかと見候。譬ば此国の者漢土・高麗等の諸国の王に心よせなりとも、此国の王に背き候なば其身はたもちがたかるべし。今日本国の一切衆生如是。西方の国主、阿弥陀仏には心よせなれども、我国主、釈迦仏に背奉る故に、此国の守護神いかり給かと愚案に勘へ候。
而を此国の人々、阿弥陀仏を或は金、或は銀、或は銅、或は木画等に志を尽し、財を尽し、仏事をなし、法華経と釈迦仏をば或は墨画、或は木像にはくをひかず、或は草堂に造りなんどす。例せば他人をば志を重ね、妻子をばもてなして、父母におろかなるが如し。
又真言宗と申宗は上一人より下万民に至まで此を仰事日月の如し。此を重ずる事珍宝の如し。此宗の義云、大日経には法華経は二重三重の劣なり。釈迦仏は大日如来の眷属なりなんど申。此事は弘法・慈覚・智証の仰られし故に、今四百余年に叡山・東寺・園城・日本国の智人一同の義也。
又禅宗と申宗は真実の正法は教外別伝也。法華経等の経々は教内也。譬ば月をさす指、渡の後の船、彼岸に倒てなにかせん。月を見ては指は用事ならず等[云云]。彼人々謗法ともをもはず、習伝たるまゝに存の外に申なり。然ども此言は釈迦仏をあなづり、法華経を失ひ奉る因縁となりて、此国の人々皆一同に五逆罪にすぎたる大罪を犯しながら、而も罪ともしらず。
此大科次第につもりて、人王八十二代隠岐法皇と申せし王並に佐渡院等は、我が相伝の家人にも及ざりし相州鎌倉の義時と申せし人に、代を取られさせ給しのみならず、島々にはなたれて歎かせ給しが、終には彼島々にして隠れさせ給ぬ。神ひは悪霊となりて地獄に堕候ぬ。其召仕はれし大臣已下は或は頭をはねられ、或は水火に入り、其妻子等は或は思死に死に、或は民の妻となりて今五十余年、其外の子孫は民のごとし。是偏に真言と念仏等をもてなして法華経・釈迦仏の大怨敵となりし故に、天照太神・正八幡等の天神地祇十方の三宝にすてられ奉て、現身には我所従等にせめられ後生には地獄に堕候ぬ。而に又代東にうつりて年をふるまゝに、彼国主を失し真言宗等の人人鎌倉に下り、相州の足下にくぐり入て、やうやうにたばかる故に、本は上臘なればとて、すかされて鎌倉諸堂の別当となせり。又念仏者をば善知識とたのみて大仏・長楽寺・極楽寺等とあがめ、禅宗をば寿福寺・建長寺等とあがめをく。隠岐法皇の果報の尽給し失より百千万億倍すぎたる大科、鎌倉に出来せり。
かゝる大科ある故に、天照太神・正八幡等の天神・地祇、釈迦・多宝・十方の諸仏一同に大にとがめさせ給故に、隣国に聖人有て、万国の兵をあつめたる大王に仰付て、日本国の王臣万民を一同に罰せんとたくませ給を、日蓮かねて経論を以て勘へ候し程に、此を有のまゝに申さば、国主もいかり万民も用ひざる上、念仏者・禅宗・律僧・真言師等定て忿をなしてあだを存し、王臣等に讒奏して我身に大難おこりて、弟子乃至檀那までも少も日蓮に心よせなる人あらば科になし、我身もあやうく命にも及んずらん。
いかが案もなく申出すべきとやすらひし程に、外典の賢人の中にも、世のほろぶべき事を知ながら申さぬは諛臣とてへつらへる者不知恩の人なり。されば賢なりし龍逢・比干なんど申せし賢人は、頸をきられ胸をさかれしかども、国の大事なる事をばはばからず申候き。仏法の中には仏いましめて云、法華経のかたきを見て世をはばかり恐て申さずば、釈迦仏の御敵、いかなる智人善人なりとも必無間地獄に堕べし。譬へば父母を人の殺さんとせんを子の身として父母にしらせず。王をあやまち奉んとする人のあらむを、臣下の身として知ながら代をおそれて申さざらんがごとし、なんど禁られて候。
されば仏の御使たりし提婆菩薩は外道に殺され、師子尊者は檀弥羅王に頭をはねられ、竺の道生は蘇山へ流され、法道は面にかなやきをあてられき。此等は皆仏法を重じ、王法を恐れざりし故ぞかし。されば賢王の時は、仏法をつよく立れば、王両方を聞あきらめて勝れ給智者を師とせしかば、国も安穏なり。所謂陳・隋の大王、桓武・嵯峨等は天台智者大師を南北の学者に召合、最澄和尚を南都の十四人に対論せさせて論じかち給しかば、寺をたてて正法を弘通しき。大族王・優陀延王・武宗・欽宗・欽明・用明、或は鬼神外道を崇重し、或は道士を帰依し、或は神を崇めし故に、釈迦仏の大怨敵となりて、身を亡し世も安穏ならず。其時は聖人たりし僧侶大難にあへり。
今日本国すでに大謗法の国となりて、他国にやぶらるべしと見えたり。此を知ながら申さずば、縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕べし。後生を恐て申ならば、流罪死罪は一定なりと思定て、去文応の比、故最明寺入道殿に申上ぬ。されども用給事なかりしかば、念仏者等此由を聞て、上下の諸人をかたらひ打殺んとせし程に、かなはざりしかば、長時武蔵守殿は極楽寺殿の御子なりし故に、親の御心を知て理不尽に伊豆国へ流し給ぬ。されば極楽寺殿と長時と彼一門皆ほろぶるを各御覧あるべし。其後何程もなくして召返されて後、又経文の如く弥申つよる。又去文永八年九月十二日に佐渡国へ流さる。日蓮御勘気の時申せしが如く、どしうち(同士討)はじまりぬ。それを恐るるかの故に又召返されて候。しかれども用る事なければ、万民も弥弥悪心盛なり。縦ひ命を期として申たりとも、国主用ずば国やぶれん事疑なし。
つみしらせて後用ずば我失にはあらずと思て、去文永十一年五月十二日相州鎌倉を出て、六月十七日より此深山に居住して門一町を出ず。既に五箇年をへたり。本は房州の者にて候しが、地頭東條左衛門尉景信と申せしもの、極楽寺殿・藤次左衛門入道、一切の念仏者にかたらはれて度々の問註ありて、結句合戦起て候上、極楽寺殿の御方人理をまげられしかば、東條の郡ふせ(塞)がれて入事なし。父母の墓を見ずして数年なり。
又国主より御勘気二度なり。第二度は外には遠流と聞へしかども内には頸を切べしとて、鎌倉龍口と申処に、九月十二日の丑の時に頸の座に引すへられて候き。いかがして候けん、月の如くにをはせし物江島より飛出でて使の頭へかかり候しかば、使おそれてきらず。とかうせし程に子細どもあまたありて其夜の頸はのがれぬ。
又佐渡国にてきらんとせし程に、日蓮が申せしが如く鎌倉にどしうち始りぬ。使はしり下て頸をきらず。結句はゆるされぬ。今は此山に独すみ候。佐渡国にありし時は、里より遥にへだたれる野と山との中間につかはら(塚原)と申御三眛所あり。彼処に一間四面の堂あり。そらはいたま(板間)あわず、四壁はやぶれたり。雨はそとの如し、雪は内に積る。仏はおはせず。筵畳は一枚もなし。然ども我根本より持まいらせて候教主釈尊を立まいらせ、法華経を手ににぎり、蓑をき笠をさして居たりしかども、人もみへず、食もあたへずして四箇年なり。彼蘇武が胡国にとめられて十九年が間、蓑をき雪を食としてありしが如し。
今又此山に五箇年あり。北は身延山と申て天にはしだて、南はたかとりと申て鶏足山の如し。西はなゝいたがれと申て鉄門に似たり。東は天子がたけと申て富士の御山にたい(対)したり。四の山は屏風の如し。北に大河あり。早河と名く。早き事箭をいるが如し。南に河あり。波木井河と名く。大石を木葉の如流す。東には富士河、北より南へ流たり。せんのほこ(千鉾)をつくが如し。内に滝あり、身延の滝と申。白布を天より引が如し。此内に狭小の地あり。日蓮が庵室なり。深山なれば昼も日を見奉らず。夜も月を詠る事なし。峰にははかう(巴峽)のかまびすしく、谷には波の下る音鼓を打がごとし。地にはしか(敷)ざれども大石多く、山には瓦礫より外には物なし。国主はにくみ給ふ、万民はとぶらはず。冬は雪道を塞ぎ、夏は草をひしげり、鹿の遠音うらめしく、蝉の鳴声かまびすし。訪人なければ命もつぎがたし。はだへをかくす衣も候はざりつるに、かゝる衣ををくらせ給こそ、いかにとも申ばかりなく候へ。見し人聞し人だにもあはれとも申さず。年比なれし弟子、つかへし下人だにも、皆にげ失とぶらはざるに、聞もせず、見もせぬ人の御志哀なり。偏に是別れし我が父母の生れかはらせ給けるか。十羅刹の人の身に入かはりて思よらせ給歟。
唐の代宗皇帝の代に、蓬子将軍と申せし人の御子、李如暹将軍と申せし人、敕定を蒙て北の胡地を責し程に、我勢数十万騎は打取れ、胡国に生取れて四十年。漸くへし程に、妻をかたらひ子をまうけたり。胡地の習、生取をば皮の衣を服せ、毛帯をかけさせて候が、只正月一日計唐の衣冠をゆるす。一年ごとに漢土を恋て肝をきり涙をながす。而程に唐の軍おこりて唐の兵胡地をせめし時、ひまをえて胡地の妻子をふりすててにげしかば、唐の兵は胡地のえびすとて捕へて頸をきらんとせし程に、とかうして徳宗皇帝にまいらせてありしかば、いかに申せども聞もほどかせ給はずして、南の国呉越と申方へ流されぬ。李如暹歎云進不得見涼原之本郷退不得逢胡地妻子[云云]。此心は胡地の妻子をもすて、又唐の古き栖をも見ず。あらぬ国に流されたりと歎く也。我身には大忠ありしかどもかゝる歎あり。日蓮も又如此。日本国を助ばやと思心に依て申出す程に、我生し国をもせかれ、又流されし国をも離れぬ。すでに此深山にこもりて候が彼李如暹に似て候也。但し本郷にも流されし処にも妻子なければ歎事はよもあらじ。唯父母のはか(墓)と、なれ(馴)し人人のいかがなるらんとをぼつかなしとも申計なし。但うれしき事は武士の習ひ君の御為に宇治勢多を渡し前をかけなんどしてありし人は、たとひ身は死すれども名を後代に拳候ぞかし。日蓮は法華経のゆへに度々所をおはれ、戦をし、身に手をお(負)ひ、弟子等を殺され、両度まで遠流せられ、既に頸に及べり。是偏に法華経の御為なり。
法華経の中に仏説せ給はく、我滅度後、後五百歳二千二百余年すぎて此経閻浮提に流布せん時、天魔人の身に入かはりて此経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば或はのり打、所をうつし、或はころしなんどすべし。其時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし。我又因位の難行苦行の功徳を譲べしと説せ給取意。されば過去の不軽菩薩は法華経を弘通し給しに、比丘比丘尼等の智慧かしこく二百五十戒を持る大僧ども集りて、優婆塞・優婆夷をかたらひて、不軽菩薩をのり打せしかども、退転の心なく弘させ給しかば、終には仏となり給、昔の不軽菩薩は今の釈迦仏なり。それをそねみ打なんどせし大僧どもは千劫阿鼻地獄に堕ぬ。彼人々は観経・阿弥陀経等の数千の経、一切の仏名・弥陀念仏を申し法華経を昼夜に読しかども、実の法華経の行者をあだみしかば、法華経・念仏・戒等も助け給はず、千劫阿鼻地獄に堕ぬ。彼比丘等は始には不軽菩薩をあだみしかども、後には心をひるがへして、身を不軽菩薩に仕る事、やつこの主に随がごとく有しかども、無間地獄をまぬがれず。
今又日蓮にあだをせさせ給日本国の人人も如此。此は彼には似るべくもなし。彼は罵打しかども国主の流罪はなし。杖木瓦石はありしかども疵をかほり頸までには及ず。是は悪口杖木は二十余年が間ひまなし。疵をかほり、流罪、頸に及ぶ。弟子等は或は所領を召され、或はろう(牢)に入れ、或は遠流し、或は其内を出し、或は田畠を奪ひなんどする事、夜打・強盗・海賊・山賊・謀反等の者よりもはげしく行はる。此又偏に真言・念仏者・禅宗等の大僧等の訴なり。
されば彼人々の御失は大地よりも厚ければ、此大地は大風に大海に船を浮るが如く動転す。天は八万四千の星瞋をなし、昼夜に天変ひまなし。其上、日月に天変多し。仏滅後既に二千二百二十七年になり候に、大族王が五天の寺をやき、十六の大国の僧の頸を切り、武宗皇帝の漢土の寺を失ひ、仏像をくだき、日本国の守屋が釈迦仏の金銅の像を炭火を以てやき、僧尼を打せめては還俗せさせし時も是程の彗星大地震はいまだなし。彼には百千万倍過て候大悪にてこそ候ぬれ。彼は王一人の悪心、大臣以下は心より起る事なし。又権仏と権教との敵也。僧も法華経の行者にはあらず。是は一向に法華経の敵、王一人のみならず、一国の智人並に万民等の心より起れる大悪心なり。
譬ば女人物をねためば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く、身の毛さかさまにたち、五体ふるひ、面に炎あがり、かほは朱をさしたるが如し。眼まろになりて、ねこ(猫)の眼のねづみをみるが如し。手わななきて、かしわ(柏)の葉を風の吹に似たり。かたはらの人是を見れば大鬼神に異ならず。日本国の国主・諸僧・比丘・比丘尼等も又如是。たのむところの弥陀念仏をば、日蓮が無間地獄の業と云を聞き、真言は亡国の法と云を聞き、持斉は天魔の所為と云を聞て、念珠をくりながら歯をくひちがへ、鈴をふるにくび(頸)をどりおり、戒を持ながら悪心をいだく。極楽寺の生仏の良観聖人、折紙をさゝげて上へ訴へ、建長寺の道隆聖人は輿に乗て奉行人にひざまづく。諸の五百戒の尼御前等ははく(帛)をつかひて、てんそう(伝奏)をなす。是偏に法華経を読てよまず、聞てきかず。善導・法然が千中無一と弘法・慈覚・達磨等の皆是戯論、教外別伝のあまきふる酒にえはせ給て、さかぐるひ(酒狂)にておはするなり。法華最第一の経文を見ながら、大日経は法華経に勝たり、禅宗は最上の法也、律宗こそ貴けれ、念仏こそ我等が分にはかなひたれ、と申は酒に酔る人にあらずや。星を見て月にすぐれたり、石を見て金にまされり、東を見て西と云、天を地と申物ぐるひを本として、月と金は星と石とには勝たり、東は東、天は天なんど有のまゝに申者をばあだませ給はば、勢の多に付べきか、只物ぐるひの多く集れるなり。されば此等を本とせし云にかひなき男女の、皆地獄に堕ん事こそあはれに候へ。
涅槃経には仏説給はく、末法に入て法華経を謗じて地獄に堕る者は大地微塵よりも多く、信じて仏になる者は爪上の土よりも少しと説れたり。以此計らせ給べし。日本国の諸人は爪上の土、日蓮一人は十方の微塵にて候べき歟。然に何なる宿習にてをはすれば御衣をば送らせ給ぞ。爪上の土の数に入んとをぼすか。又涅槃経云、大地の上に針を立てて、大風の吹ん時、大梵天より糸を下さんに、糸のはし(端)すぐに下て針の穴に入る事はありとも、末代に法華経の行者にはあひがたし。法華経云、大海の底に亀あり。三千年に一度海上にあがる。栴檀の浮木の穴にゆきあひてやすむべし。而に此亀一目なるが、而も僻目にて、西の物を東と見、東の物を西と見也。末代悪世に生て法華経並に南無妙法蓮華経の穴に身を入るる男女にたとへ給へり。
何なる過去の縁にてをはすれば、此人をとぶらはんと思食す御心はつかせ給けるやらん。法華経を見まいらせ候へば釈迦仏の其人の御身に入せ給て、かゝる心はつくべしと説れて候。
譬へばなにとも思はぬ人の、酒をのみてえいぬれば、あらぬ心出来り、人に物をとらせばやなんど思心出来る。此は一生慳貧にして餓鬼道に堕べきを、其人の酒の縁に菩薩の入かはらせ給なり。濁水に珠を入ぬれば水すみ、月に向まいらせぬれば人の心あこがる。画にかける鬼には心なけれどもおそろし。とわり(遊女)を画にかけば我夫をばとらねどもそねまし。錦のしとねに蛇をおれ(織)るは服せんとも思はず。身のあつき(熱)にあたゝかなる風いとはし。人の心も如此。
法華経の方へ御心をよせさせ給は女人の御身なれども、龍女が御身に入せ給歟。さては又尾張次郎兵衛尉殿の御事。見参に入て候し人なり。日蓮は此法門を申候へば他人にはにず多くの人に見て候へども、いとをしと申人は千人に一人もありがたし。彼人はよも心よせには思はれたらしなれども、自体人がらにくげ(憎気)なるふりなく、よろづの人になさけあらんと思し人なれば、心の中はうけずこそをぼしつらめども、見参の時はいつはりをろかにて有し人なり。又女房の信じたるよしありしかば、実とは思候はざりしかども、又いたう法華経に背く事はよもをはせじなれば、たのもしきへんも候。されども法華経を失ふ念仏並に念仏者を信じ、我身も多分は念仏者にてをはせしかば後生はいかがとをぼつかなし。譬ば国主はみやづかへ(仕官)のねんごろなるには、恩のあるもあり、又なきもあり。少しもをろか(疎)なる事候へばとがになる事疑なし。法華経も又如此。いかに信ずるやうなれども、法華経の御かたきにも、知れ知ざれ、まじはりぬれば無間地獄疑なし。是はさてをき候ぬ。
彼女房の御歎いかがとをしはかるにあはれなり。たとへばふぢのはなのさかんなるが、松にかかりて思事もなきに、松のにはかにたふれ、つた(蔦)のかき(垣)にかかれるが、かきの破たるが如にをぼすらん。内へ入ば主なし。やぶれたる家の柱なきが如し。客人来れども外に出でてあひしらうべき人もなし。夜のくらきには、ねや(閨)すさまじく、はか(墓)をみれば、しるしはあれども声もきこへず。又思やる死出の山・三途の河をば誰とか越給らん。只独り歎給らん。とどめをきし御前たちいかに我をばひとりやる(独遣)らん。さはちぎらざりとや歎せ給らん。かたがた秋の夜のふけゆくまゝに、冬の嵐のをとづるゝ声につけても、弥々御歎き重り候らん。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。   弘安元年戊寅九月六日   日蓮  花押   妙法尼御前 御かたへ