兵衛志殿御返事
291 兵衛志殿御返事
御ふみにかゝれて候上、大にのあざりのかたり候は、ぜに十余れん并にやうやうの物ども候しかども、たうじはのうどき(農時)にて□□人もひきたらぬよし□□も及候はざりけ□□□兵衛志殿の御との□□□御夫馬にても□□□□て候よし申候。
夫百済国より日本国に仏法のわたり候しは、大船にのせて此をわたす。今のよと(河よ)りあをみの(水海)につけて候ものは、車にて洛陽へははこび候。それがごとく、たとい、かまくらにいかなる 物 を人 たびて候とも、夫と馬となくばいかでか(日蓮)が命はたすかり候べき。(昔徳勝)童子は土餅を仏に□□□□阿育大王と□□□□□□□□□□□くやうしまいらせ候しゆへに、阿育大王の第一の大臣羅提吉となりて一閻浮提の御うしろめ、所謂をゝい殿の御時の権大夫殿のごとし。此は彼等にはにるべくもなき大功徳。此歩馬 はこんでいこまとなり、此御との人はしやのくとねりとなりて、仏になり給べしとをほしめすべし。
抑すぎし事なれども、あまりにたうとくうれしき事なれば申。昔波羅捺国に摩訶羅王と申大王をはしき。彼の大王に二の太子あり。所謂善友太子・悪友太子なり。善友太子の如意宝珠を持てをはせしかば、此をとらむがために、をゝの悪友太子は兄の善友太子の眼をぬき給き。昔の大王は今の浄飯王、善友太子は今の釈迦仏、悪友太子は今の提婆達多此也。兄弟なれども、たからをあらそいて、世々生々にかたきとなりて、一人は仏なり、一人は無間地獄にあり。此は過去の事、他国の事なり。我朝には一院、さぬきの院は兄弟なりしかども、位をあらそいて、ついにかたきとなり給て、今に地獄にやをはすらむ。当世めにあたりて、此代のあやをきも兄弟のあらそいよりをこる。大将殿と申せし賢人も九郎判官等の舎弟等をほろぼし給て、かへりて我子ども皆所従等に失給。眼前の事ぞかし。
とのばら二人は上下こそありとも、とのだにもよくふかく、心まがり、道りをだにもしらせ給はずば、ゑもんの大夫志殿はいかなる事ありとも、をやのかんだうゆるべからず。ゑもんのたいうは法華経を信て仏になるとも、をやは法華経の行者なる子をかんだうして、地獄に堕べし。とのはあにとをやとをそんずる人になりて、提婆達多がやうにをはすべかりしが、末代なれども、かしこき上、欲なき身と生て、三人ともに仏になり給、ちゝかた、はゝかたのるい(類)をもすくい給人となり候ぬ。
又とのゝ御子息等もすへの代はさかうべしとをぼしめせ。此事は一代聖教をも引て百千まいにかくとも、つくべしとはをもわねども、やせやまいと申、身もくるしく候へば、事々申ず。あわれあわれいつかけさん(見参)に入て申候はん。又むかいまいらせ候ぬれば、あまりのうれしさに、かたられ候はず候へば、あらあら申。よろづは心にすいしはからせ給。女房の御事、同くよろこぶと申せ給へ。恐々謹言。