兵衛志殿御返事
254 兵衛志殿御返事
鵞目二貫文、武蔵房円日を使にて給候了。人王三十六代皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき。其時入鹿臣と申者あり。あまりのをごりのものぐるわしさに王位をうばはんとふるまいしを、天皇・王子等不思議とはをぼせしかども、いかにも力及ざりしほどに、大兄王子軽王子等なげかせ給て、中臣の鎌子と申せし臣に申あわせさせ給しかば、臣申く、いかにも人力はかなうべしとはみへ候はず。馬子が例をひきて教主釈尊の御力ならずば叶がたしと申せしかば、さらばとて釈尊を造奉ていのりしかば、入鹿ほどなく打にき。此中臣の鎌子と申人は後には姓かへて藤原鎌足と申、内大臣になり、大職冠と申人今の一の人の御先祖なり。此釈迦仏は今興福寺の本尊なり。されば王の王たるも釈迦仏、臣の臣たるも釈迦仏。神国仏国となりし事ゑもんのたいう(右衛門大夫)殿の御文と引合て心へさせ給へ。今代は他国にうばわれんとする事、釈尊をいるがせにする故なり。神の力も及べからずと申はこれなり。
各々二人はすでにとこそ人はみしかども、かくいみじくみへさせ給は、ひとへに釈迦仏・法華経の御力なりとをぼすらむ。又此にもをもひ候。後生のたのもしさ申ばかりなし。此より後もいかなる事ありとも、すこしもたゆむ事なかれ。いよいよはりあげてせむべし。たとい命に及とも、すこしもひるむ事なかれ。あなかしこあなかしこ。恐恐謹言。 八月二十一日 日蓮 [花押] 兵衛志殿 [御返事]