四條金吾殿御返事(為法華経不可借所領事)
250 四條金吾殿御返事
去月廿五日の御文、同月の廿七日の酉の時に来て候。 仰下さるる状と又起請かくまじきよしの御せいじやう(誓状)とを見候へば、優曇華のさきたるをみるか、赤栴檀のふたばになるをえたるか、めづらし、かうばし。
三明六通を得給上、法華経にて初地初住にのぼらせ給へる証果の大阿羅漢、得無生忍の菩薩なりし舎利弗・目連・迦葉等だにも、娑婆世界の末法に法華経を弘通せん事の大難こらへかねければ、かなふまじき由辞退候き。まして三惑未断の末代の凡夫いかでか此経の行者となるべき。設日蓮一人は杖木瓦礫悪口王難をもしのぶとも、妻子を帯せる無智の俗なんどは争か可叶。中中信ぜざらんはよかりなん。すへとをら(通)ず、しばし(暫時)ならば人にわらはれなんと不便にをもひ候しに、度々の難・二箇度の御勘気に心ざしをあらはし給だにも不思議なるに、かくをどさるるに二所の所領をすてて、法華経を信じとをすべしと御起請候事、いかにとも申計なし。普賢・文殊等なを末代はいかんがと仏思食て、妙法蓮華経の五字をば地涌千界の上首上行等の四人にこそ仰つけられて候へ。只事の心を案ずるに、日蓮が道をたすけんと、上行菩薩貴辺の御身に入かはらせ給へるか。又教主釈尊の御計か。彼の御内の人人うちはびこつて、良観・龍象が計ひにてやぢやう(定)あるらん。
起請をかかせ給なば、いよいよかつばら(彼奴原)をごり(驕)て、かたがたにふれ申さば、鎌倉内に日蓮が弟子等一人もなくせめうしなひなん。凡夫のならひ、身の上ははからひがたし。これをよくよくしるを賢人聖人とは申なり。遠をばしばらくをかせ給へ。近は武蔵かう(守)殿、両所をすてて入道になり、結句は多の所領・男女のきうだち・御ぜん等をすてて御遁世と承る。とのは子なし。たのもしき兄弟なし。わづかの二所の所領なり。一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給べからず。されば同はなげきたるけしき(気色)なくて、此状にかきたるがごとく、すこしもへつらはず振舞仰あるべし。中中へつらふならばあしかりなん。設ひ所領をめされ、追出し給とも、十羅刹女の御計にてぞあるらむとふかくたのませ給べし。
日蓮はながされずして、かまくら(鎌倉)にだにもありしかば、有しいくさに一定打殺されなん。此も又御内にてはあしかりぬべければ釈迦仏の御計にてやあるらむ。陳状は申て候へども、又それに僧は候へども、あまりのおぼつかなさに三位房をつかはすべく候に、いまだ所労きらきらしく候はず候へば、同事に此御房をまいらせ候。だいがくの三郎殿か、たき(滝)の太郎殿か、とき殿かに、いとまに随てかかせて、あげさせ給べし。これはあげなば事きれなむ。いたういそがずとも内内うちをしたゝめ、又ほかのかつばら(彼奴原)にもあまねくさはがせて、さしいだしたらば、若や此文かまくら内にもひろう(披露)し、上へもまいる事もやあるらん。わざはひの幸はこれなり。法華経の御事は已前に申ふりぬ。しかれども小事こそ善よりはをこて候へ。大事になりぬれば必大なるさはぎが大なる幸となるなり。此陳状、人ごとにみるならば、彼等がはぢあらわるべし。
只一口に申給へ。我とは御内を出て、所領をあぐべからず。上よりめされいださむは法華経の御布施、幸と思べしとのゝしらせ給へ。かへすがへす奉行人にへつらふけしきなかれ。此所領は上より給たるにはあらず、大事の御所労を法華経の薬をもつてたすけまいらせて給て候所領なれば、召ならば御所労こそ又かへり候はむずれ。爾時は頼基に御たいじやう(怠状)候とも用ひまいらせ候まじく候と、うちあてにくさうげ(憎体気)にてかへるべし。あなかしこ、あなかしこ。御よりあひ(寄合)あるべからず。よる(夜)は用心きびしく、夜廻の殿原かたらひて用ひ、常にはよりあはるべし。今度御内をだにもいだされずば十に九は内のものねらひなむ。かまへてきたなきしに(死)すべからず。 建治三年[丁丑]七月 日蓮 [花押] 四條金吾殿 [御返事]