頼基陳状(三位房竜象房問答記竜象問答抄)
249 頼基陳状
去六月二十三日御下文。島田左衛門入道殿・山城民部入道殿両人の御承として同二十五日謹拝見仕候畢。
右仰下之状云、龍象御房の御説法の所に被参候ける次第、をほかた穏便ならざる由、見聞の人遍一方ならず同口に申合候事驚入候。徒党仁其数帯兵杖出入[云云]。 此條無跡形虚言也。所詮、誰人の申入候けるやらん、御哀憐を蒙て被召合実否を糾明せられ候はば可然事にて候。
凡此事の根源は、去六月九日、日蓮聖人御弟子三位公、頼基が宿所に来申云、近日龍象房と申僧京都より下て、大仏の門の西桑谷に止住して、日夜に説法仕が申云、現当の為、仏法に御不審存む人は来て問答可申旨説法令むる間、鎌倉中の上下如釈尊奉貴。しかれども問答に及人なしと風聞し候。彼へ行向て遂問答一切衆生の後生の不審をはらし候はむと思候。聞給はぬかと被申しかども、折節官仕に無隙候し程に、思立たず候しかども、法門事と承てたびたび罷向て候ども、頼基は俗家の分にて候。一言不出候し上は、悪口に不及事厳察可足候。こゝに龍象房説法の中に申云、此見聞満座の御中に、御不審の法門あらば可被仰と申されし処に、
日蓮房弟子三位公問云、生を受しより死をまぬがるまじきことはり、始てをどろくべきに候はねども、ことさら当時日本国の災孽に死亡する者数を不知。眼前の無常、人毎に思しらずと云ふ事なし。然所に京都より上人御下あて、人々の不審をはらし給よし承て参て候つれども、御説法の最中、骨無くも候なばと存候し処に、可問事有らむ人は各々不憚問給へと候し問悦入候。
先づ不審に候事は、末法に生を受て辺土のいやしき身に候へども、中国の仏法幸に此国にわたれり。是非可信受処に、経は五千七千数多也。然而一仏の説なれば所詮は一経にてこそ候らむに、華厳・真言乃至八宗・浄土・禅とて十宗まで分れてをはします。此等の宗々も、門はことなりとも所詮は一かと推する処に、
弘法大師は我朝の真言の元祖、法華経は華厳経・大日経に相対すれば門の異なるのみならず、其理は戯論の法、無明の辺域也。又法華宗の天台大師等諍盗醍醐等[云云]。
法相宗の元祖慈恩大師云、法華経は方便、深密経は真実、無性有情永不成仏[云云]。華厳宗の澄観云、華厳経は本教、法華経は末教、或は華厳は頓頓、法華は漸頓等[云云]。三論宗の嘉祥大師云、諸大乗経の中には般若経最第一[云云]。浄土宗の善導和尚云、念仏は十即十生百即百生、法華経等は千中無一[云云]。法然上人云、法華経を念仏に対て捨閉閣抛、或は行者群賊等[云云]。禅宗云、教外別伝不立文字[云云]。
教主釈尊は法華経をば世尊法久後要当説真実。多宝仏は妙法華経皆是真実。十方分身の諸仏は舌相至梵天とこそ見て候に、弘法大師は法華経をば戯論の法と被書たり。釈尊・多宝・十方諸仏は皆是真実と被説て候。いづれをか信候べき。善導和尚・法然上人は法華経をば千中無一、捨閉閣抛。釈尊・多宝・十方分身諸仏は無一不成仏皆成仏道と[云云]。三仏与導和尚然上人水火也、雲泥也。何をか信候べき、何をか捨候べき。就中彼導・然両人所仰双観経法蔵比丘の四十八願の中に、第十八願云設我得仏唯除五逆誹謗正法[云云]。たとひ弥陀の本願実にして往生すべくとも、正法を誹謗せむ人々は弥陀仏の往生には除かれ奉べき歟。又法華経の二巻には、若人不信其人命終入阿鼻獄[云云]。念仏宗に詮とする導・然両人は、経文実ならば阿鼻大城をまぬがれ給ふべしや。彼上人地獄に堕給せば末学弟子檀那等自然に悪道に堕事疑なかるべし。此等こそ不審に候へ。上人は如何と問給はれしかば、
龍上人答云、上古の賢哲達をばいかでか疑奉べき。龍象等が如なる凡僧等は仰で信奉候と答給しを、をし返して、此仰こそ智者の仰とも不覚候へ。誰人か時の代にあをがるる人師等をば疑候べき。但涅槃経に仏最後の御遺言として依法不依人と見えて候。人師にあやまりあらば経に依れと仏は説れて候。御辺はよもあやまりましまさじと被申候。御房の私の語と仏の金言と比には、三位は如来の金言に付まいらせむと思候也、と申されしを、
象上人人師にあやまり多と候はいづれの人師候ぞ、と問はれしかば、上に申つる所の弘法大師・法然上人等の義に候はずやと答給候しかば、
象上人鳴呼叶候まじ。我朝の人師の事は忝も問答仕まじく候。満座の聴衆皆皆其流にて御座す。鬱憤も出来せば定みだりがはしき事候なむ。恐あり恐あり、申されし処に、三位房云、人師のあやまり誰ぞと候へば、経論に背人師達をいだし候し。憚あり、かなふまじと仰候にこそ、進退きはまりて覚候へ。法門と申は、人を憚世を恐て、仏の説給が如く経文の実義を不申者愚者の至極也。智者上人とは覚給はず。悪法世に弘て、人悪道に堕国土滅すべしと見へ候はむに、法師の身として争かいさめず候べき。然則法華経には我不愛身命。涅槃経には寧喪身命等[云云]。実の聖人にてをはせば、何が身命を惜て世にも人にも恐給べき。外典の中にも、龍蓬と云し者、比干と申せし賢人は頸をはねられ、胸をさかれしかども、夏の桀・殷の紂をばいさめてこそ、賢人の名をば流し候しか。内典には不軽菩薩は杖木をかほり、師子尊者は頭をはねられ、竺の道生は蘇山にながされ、法道三蔵は面に火印をさされて江南にはなたれしかども、正法を弘めてこそ聖人の名をば得候しかと、難ぜられ候しかば、
龍聖人云、さる人は末代にはありがたし。我々は世をはばかり人を恐るる者にて候。さやうに被仰人とても、ことばの如くにはよもをはしまし候はじと候しかば、此御房争か人の心をば知給べき。某こそ当時日本国に聞給日蓮聖人の弟子として候へ。某が師匠の聖人は末代の僧にて御坐候へども、当世の大名僧の如望で請用もせず、人をも諂はず、聊か異なる悪名もたたず。只此国に真言・禅宗・浄土宗等の悪法並に謗法の諸僧満満て、上一人をはじめ奉て下万民に至まで御帰依ある故に、法華経教主釈尊の大怨敵と成て、現世には天神地祇にすてられ他国のせめにあひ、後生には阿鼻大城に堕給べき由、経文にまかせて立給し程に、此事申さば大あだあるべし、不申者仏のせめのがれがたし。いはゆる涅槃経に若善比丘見壊法者。当知是人仏法中怨等[云云]。世に恐て不申者、我身悪道に可堕と御覧じて、身命をすてて去建長年中より今年建治三年に至まで二十余年が間、あえてをこたる事なし。然れば私の難は数を不知、国王の勘気は両度に及き。三位も文永八年九月十二日の勘気の時は共奉の一行にて有しかば、同罪に被行て頸をはねらるべきにてありしは、身命を惜ものにて候かと申されしかば、
龍象房口を閉て色を変候しかば、此御房申されしは、是程の御智慧にては人の不審をはらすべき由の仰無用に候けり。苦岸比丘・勝意比丘等は我正法を知て、人をたすくべき由存ぜられて候しかども、我身も弟子檀那等も無間地獄に堕候き。御法門の分斉にて、そこばくの人を救はむと説給が如くならば、師檀共に無間地獄にや堕給はんずらむ。今日より後は如此御説法は御はからひあるべし。加様には申まじく候へども、悪法を以て人を地獄にをとさん邪師をみながら、責顕はさずば返て仏法の中の怨なるべしと、仏の御いましめのがれがたき上、聴聞の上下皆悪道にをち給はん事不便に覚候へば如此申候也。智者と申は国のあやうきをいさめ、人の邪見を申とどむるこそ、智者にては候なれ。是はいかなるひが事ありとも、世の恐しければいさめじと申されむ上は力不及。某文殊の智慧も富楼那の弁説も詮候はずとて被立候しかば、諸人歓喜をなし合掌今暫御法門候へかしと留申されしかども、やがて帰給了。
此外は別の子細候はず。且は御推察あるべし。法華経を信参て仏道を願ひ候はむ者の、争か法門の時、悪行を企悪口を宗とし候べき。しかしながら御きやうさく(𨗈迹)可有候。其上、日蓮聖人の弟子となのりぬる上、罷帰ても御前に参て法門問答の様かたり申候き。又其辺に頼基しらぬもの候はず。只頼基をそねみ候人つくり事にて候にや。早早被召合時不可有其隠候。
又被仰下状云、極楽寺の長老は世尊の出世と奉仰。此條難かむ(湛)の次第に覚候。其故は、日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成如来の御使、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御座候聖人を、頸をはねらるべき由の申状を書て、殺罪に申行はれ候しが、いかが候けむ死罪を止て佐渡の島まで遠流せられ候しは、良観上人の所行に候はずや。其訴状は別紙に有之。抑生草をだに伐べからずと六斉日夜説法に被給ながら、法華正法を弘むる僧を断罪に可被行旨被申立者、自語相違に候はずや如何。此僧豈天魔の入れる僧に候はずや。
但此事の起は良観房常の説法云、日本国の一切衆生を皆持斉になして八斉戒を持せて、国中の殺生、天下の酒を止めむとする処に、日蓮房が謗法に障られて此願難叶由歎給候間、日蓮聖人此由を聞給て、いかがして彼が誑惑の大慢心をたをして無間地獄の大苦をたすけむと仰ありしかば、頼基等は此仰法華経の御方人大慈悲の仰にては候へども、当時日本国別して武家鎌倉の世きらざる人にてをはしますを、たやすく仰ある事、いかがと弟子共同口に恐れ申候し程に、
去文永八年太歳辛未六月十八日大旱魃の時、彼御房祈雨の法を行て万民をたすけんと付申候由、日蓮聖人聞給て、此体は小事なれども此次でに日蓮が法験を万人に知らせばやと仰ありて、良観房の所へ仰つかはすに云、七日内にふらし給はば、日蓮が念仏無間と申法門すてて、良観上人の弟子と成て二百五十戒持つべし。雨ふらぬほどならば、彼御房の持戒げ(気)なるが大誑惑は顕然なるべし。上代も雨祈に付て勝負を決たる例これ多。所謂護命と伝教大師と、守敏と弘法と也。仍良観房の所へ周防房・入沢入道と申念仏者を遣。御房と入道は良観が弟子又念仏者也。いまに日蓮が法門を用事なし。是を以て勝負とせむ。七日内に雨降ならば、本の八斉戒・念仏を以て往生すべしと思べし。又雨らずば一向に法華経になるべしといはれしかば、是等悦て極楽寺の良観房に此由を申候けり。
良観房悦ない(泣)て七日内に雨ふらすべき由、弟子百二十余人頭より煙を出、声を天にひびかし、或は念仏、或は請雨経、或は法華経、或は八斉戒を説て種種に祈請す。四五日まで雨の気無、たましゐを失て、多宝寺の弟子等数百人呼集て力を尽て祈たるに、七日内に露ばかりも雨降らず。其時日蓮聖人使を遣す事三度に及。いかに泉式部と云し淫女、能因法師と申せし破戒の僧、狂言綺語の三十一字を以て忽にふらせし雨を、持戒持律の良観房は法華・真言の義理を極慈悲第一と聞へ給上人の、数百人の衆徒を率て七日之間にいかにふらし給はぬやらむ。是を以て思ひ給へ。一丈堀を不越者二丈三丈の堀を越てんや。やすき雨をだにふらし給はず、況やかた(難)き往生成仏をや。然ば今よりは日蓮怨み給邪見をば是を以て翻給へ。後生をそろしくをぼし給はば、約束のまゝにいそぎ来給へ。雨ふらす法と仏になる道をしへ奉らむ。七日内に雨こそふらし給はざらめ。旱魃弥興盛に八風ますます吹重て民のなげき弥弥深。すみやかに其いのりやめ給へと、第七日の申時使者ありのまゝに申処に、良観房は涙を流す。弟子檀那同く声をおしまず口惜がる。日蓮御勘気を蒙時、此事御尋有しかば有のまゝに申給き。
然ば良観房身上の恥を思はば、跡をくらまして山林にもまじはり、約束のまゝに日蓮が弟子ともなりたらば、道心の少にてもあるべきに、さはなくして無尽の讒言を構て、殺罪に申行はむとせしは貴き僧かと、日蓮聖人かたり給き。又頼基も見聞き候き。他事に於てはかけはく(掛畏)も主君の御事畏入候へども、此事はいかに思候とも、いかでかと思はれ候べき。
又仰下状云龍象房・極楽寺長老見参後は釈迦・弥陀とあをぎ奉と[云云]。 此條又恐入候。彼龍象房は洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由令露顕間、山門の衆徒蜂起して、世末代に及て悪鬼国中に出現せり。山王の御力を以て対治を加むとて、住所を焼失し其身を誅罰せむとする処に、自然に逃失し行方を不知処に、たまたま鎌倉中に又人肉を食之間、情ある人恐怖せしめて候に、仏菩薩と仰給事、所従の身として争か主君の御あやまりをいさめ申さず候べき。御内のをとなしき人人いかにこそ存候へ。
同下状云是非につけて主親の所存には相随こそ仏神の冥にも世間の礼にも手本と[云云]。 此事最第一の大事にて候へば、私の申状恐入候間、本文を引べく候。孝経云子不可以不争於父臣不可以不争於君。鄭玄曰君父有不義臣子不諫則亡国破家道也。新序曰主暴不諫非忠臣也。畏死不言非勇士也。伝教大師云凡当不誼則子不可以不争于父臣不可以不争於君。当知君臣父子師弟不可以不争于師文。法華経云我不愛身命但惜無上道文。涅槃経云譬如王使善能談論巧於方便奉命他国寧喪身命終不匿王所説言教智者亦爾文。章安大師云寧喪身命不匿教者身軽法重死身弘法文。又云壊乱仏法仏法中怨無慈詐親則是彼怨能糺治者為彼除悪則是彼親文。
頼基をば傍輩こそ無礼なりと思はれ候らめども、世事にをき候ては、是非父母主君の仰に随参候べし。其にと(取)て重恩の主の悪法の者にたぼらかされましまして、悪道に堕給はむをなげくばかり也。阿闍世王は提婆六師を師として教主釈尊を敵とせしかば、摩竭提国皆仏教の敵となりて、闍王の眷属五十八万人、仏弟子を敵とする中に、耆婆大臣計仏弟子也。大王は上の頼基を思食が如く、仏弟子たる事を御心よからず思食しかども、最後には六大臣の邪義をすてて耆婆が正法にこそつかせ給候しか。其の如く御最後をば頼基や救参候はんずらむ。
如此令申候へば、阿闍世は五逆罪者也、彼に対するかと思食ぬべし。恐にては候へども、彼には百千万倍の重罪にて御座すべしと、御経の文には顕然に見させ給て候。所詮今此三界皆是我有。其中衆生悉是吾子文。文の如くば教主釈尊は日本国の一切衆生の父母也、師匠也、主君也。阿弥陀仏は此三の義ましまさず。而に三徳の仏を閣て他仏を昼夜朝夕に称名し、六万八万の名号を唱まします。あに不孝の御所作にわたらせ給はずや。弥陀の願も、釈迦如来の説せ給しかども終にくひ返給て、唯我一人と定給ぬ。其後は全く二人三人と見候はず。随て人にも父母二人なし。何の経に弥陀は此国の父、何論に母たる旨見へて候。観経等の念仏の法門は、法華経説せ給はむ為のしばらくのしつらひ也。塔くまむ為の足代の如し。而を仏法なれば始終あるべしと思人大僻案也。塔立てて後足代を貴ほどのはかなき者也。又日よりも星は明と申者なるべし。此人を経に説て云、雖復教詔而不信受其人命終入阿鼻獄。当世日本国の一切衆生の釈迦仏を抛て阿弥陀仏を念、法華経を抛て観経等を信人、或は如此謗法の者を供養せむ俗男俗女等、存外に五逆七逆八虐罪ををかせる者を智者と竭(渇)仰する諸大名僧並国主等也。如是展転至無数劫是也。如此僻事をなまじゐに承て候間、次以て令申候。官仕をつかまつる者上下ありと申せども、分分に随て主君を重ぜざるは候はず。上の御ため現世後生あしくわたらせ給べき事を秘かにも承て候はむに、傍輩・世に憚て申上ざらむは、与同罪にこそ候まじき歟。
随て頼基は父子二代命を君にまいらせたる事顕然也。故親父中務某故君の御勘気かふらせ給ける時、数百人の御内の臣等、心がはりし候けるに、中務一人最後の御共奉して伊豆国まで参て候き。頼基は去文永十一年二月十二日の鎌倉の合戦の時、折節伊豆国に候しかば、十日申時に承て、唯一人筥根山を一時に馳越て、御前に自害八人の内に候き。自然に世しづまり候しかば、于今君も安穏にこそわたらせ給候へ。爾来大事小事に付て御心やすき者にこそ思含れて候。頼基が今更何につけて疎縁に思まいらせ候べき。後生までも随従しまいらせて、頼基成仏し候はば君をもすくひまいらせ、君成仏しましまさば頼基もたすけられまいらせむとこそ存候へ。其に付ひて諸僧の説法を聴聞仕て、何か成仏の法とうかがひ候処に、日蓮聖人御房三界主・一切衆生の父母・釈迦如来の御使上行菩薩にて御坐候ける事の法華経に説れてましましけるを信まいらせたるに候。
今こそ真言宗と申悪法日本国に渡て四百余年、去延暦二十四年に伝教大師日本国にわたし給たりしかども、此国にあしかりなむと思食候間、宗の字をゆるさず。天台法華宗の方便となし給畢。其後伝教大師御入滅の次をうかがひて、弘法大師、伝教に偏執して宗の字を加しかども、叡山用事なかりしほどに、慈覚・智証短才にして、二人身は当山に居ながら、心は東寺の弘法に同意するかの故に、我大師には背て、始て叡山に真言宗を立ぬ。日本亡国の起是也。爾来三百余年、或は真言勝法華勝一同なむど諍論事きれざりしかば、王法も無左右不尽。人王七十七代後白河法皇御宇に、天台座主明雲、一向真言座主になりしかば明雲は義仲にころされぬ。頭破作七分是也。
第八十二代隠岐法皇御時、禅宗・念仏宗出来て、真言の大悪法に加て国土に流布せしかば、天照太神・正八旛百王百代の御誓やぶれて王法すでに尽ぬ。関東の権大夫義時に、天照太神・正八旛の御計として国務をつけ給畢ぬ。爰に彼の三の悪法関東に落下て存外に御帰依あり。故に梵釈二天・日月・四天いかりを成し、先代未有の天変地夭を以ていさむれども、用給はざれば、隣国に仰付て法華経誹謗の人を治罰し給間、天照太神正八旛も力及給はず。日蓮聖人一人此事を知食せり。如此厳重の法華経にてをはして候間、主君をも導まいらせむと存候故に、無量の小事をわすれて、于今仕れまいらせ候。頼基を讒言申仁は君の御為不忠の者に候はずや。御内を罷出候はば、君たちまちに無間地獄に堕させ給べし。さては頼基仏に成候ても甲斐なしとなげき存候。
抑彼の小乗戒は富楼那と申せし大阿羅漢、諸天の為に二百五十戒を説候しを、浄名居士たん(弾)じて云、無以穢食置於宝器等[云云]。鴦崛摩羅は文殊を呵責し、鳴呼蚊蚋行不知大乗空理。又小乗戒をば文殊は十七の失を出し、如来は八種譬喩を以て是をそしり給に、驢乳と説蝦蟆に譬られたり。此等をば鑑真の末弟子は伝教大師をば悪口の人とこそ、嵯峨天皇には奏申候しかども、経文なれば力及候はず。南都の奏状やぶれて、叡山の大戒壇立候し上は、すでに捨られ候し小乗に候はずや。頼基良観房を蚊・蚋・蝦蟆の法師也と申とも、経文分明に候はば御とがめあるべからず。剰へ起請に及べき由蒙仰之條、存外に歎入候。頼基不法時病にて起請を書候程ならば、君忽に法華経の御罰を蒙せ給べし。良観房が讒訴に依て釈迦如来の御使日蓮聖人を流罪奉しかば、聖人の申給しが如く百日が内に合戦出来て、若干の武者滅亡せし中に、名越の公達横死にあはせ給ぬ。是偏に良観房が失ひ奉たるに候はずや。今又龍象・良観が心に用意せさせ給て、頼基に起請を書しめ御座さば、君又其罪に当らせ給はざるべしや。如此道理を不知故歟。又君をあだし奉らむと思故歟。頼基に事を寄せて大事出さむとたばかり候人等御尋あて可被召合候。恐惶謹言。 建治三年[丁丑]六月二十五日 [四條中務尉頼基 請文]