光日房御書
213 光日房御書
去文永八年太歳辛未九月のころより御勘気をかほりて、北国の海中佐渡の嶋にはなたれしかば、なにとなく相州鎌倉に住には、生国なれば安房国はこひしかりしかども、我国ながらも、人の心もいかにとや、むつ(眤)びにくくありしかば、常にはかよう事もなくしてすぎしに、御勘気の身となりて死罪となるべかりしが、しばらく国の外にはなたれし上は、をぼろげ(小縁)ならではかまくらへはかへるべからず。かへらずば又父母のはかをみる身となりがたしとおもひつづけしかば、いまさらとびたつばかりくやしくて、などかかゝる身とならざりし時、日にも月にも海もわたり、山をもこえて父母のはかをもみ、師匠のありやうをもとひをとづれざりけんとなげかしくて、彼蘇武が胡国に入て十九年、かりの南へとびけるをうらやみ、仲丸が日本国の朝使としてもろこしにわたりてありしが、かへされずしてとしを経しかば、月の東に出たるをみて、我国みかさの山にも此月は出させ給て、故里の人も只今月に向てながむらんと、心をすましてけり。此もかくをもひやりし時、我国より或人のびん(便)につけて、衣をたびたりし時、彼の蘇武がかりのあし、此は現に衣あり。にるべくもなく心なぐさみて候しに、
日蓮はさせる失あるべしとはをもはねども、此国のならひ、念仏者と禅宗と律宗と真言宗にすかされぬるゆへに、法華経をば上にはたうとむよしをふるまへ、心には入ざるゆへに、日蓮が法華経をいみじきよし申せば、威音王仏の末の末法に、不軽菩薩をにくみしごとく、上一人より下万人にいたるまで、名をもきかじ、まして形をみる事はをもひよらず、
さればたとひ失なくとも、かくなさるる上はゆるしがたし。ましていわうや日本国の人の父母よりもをもく、日月よりもたかくたのみたまへる念仏を、無間の業と申、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の邪法、念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ、念仏者どもが頸をはねらるべしと申上、故最明寺・極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕給たりと申ほどの大禍ある身なり。此等程の大事を上下万人に申つけられぬる上は、設ひそらごとなりとも此世にはうかびがたし。いかにいわうやこれはみな朝夕に申、昼夜に談ぜしうへ、平左衛門尉等の数百人の奉行人に申きかせ、いかにとが(料)に行るとも申やむまじきよし、したゝかにいゐきかせぬ。されば大海のそこのちびきの石はうかぶとも、天よりふる雨は地にをちずとも、日蓮はかまくらへは還るべからず。
但し法華経のまことにおはしまし、日月我をすて給はずば、かへり入又父母のはかをもみるへんもありなんと、心づよくをもひて、梵天・帝釈・日月・四天はいかになり給ぬるやらん。天照大神・正八幡宮は此国にをはせぬか。仏前の御起請はむなしくて、法華経の行者をばすて給か。もし此事叶ずば、日蓮が身のなにともならん事はをしからず。各々現に教主釈尊と多宝如来と十方諸仏の御宝前にして誓状を立給しが、今日蓮を守護せずして捨給ならば、正直捨方便の法華経に大妄語を加へ給へるか、十方三世の諸仏をたぼらかし奉れる御失は、提婆達多が大妄語にもこへ、瞿伽利尊者が虚誑罪にもまされたり。設ひ大梵天として色界頂に居し、千眼天といはれて須弥頂におはすとも、日蓮をすて給ならば、阿鼻の炎にはたきぎとなり、無間大城にはいづるごおはせじ。此罪をそろしくをぼせば、いそぎいそぎ国にしるしをいだし給、本国へかへし給へと、高き山にのぼりて大音声をはなちてさけびしかば、
九月の十二日に御勘気、十一月に謀反のものいできたり、かへる年の二月十一日に、日本国のかためたるべき大将どもよしなく打ころされぬ。天のせめという事あらはなり。
此にやをどろかれけん、弟子どもゆるされぬ。而どもいまだゆりざりしかば、いよいよ強盛に天に申せしかば、頭の白烏とび来ぬ。彼燕たむ(丹)太子の馬、烏のれい(例)、日蔵上人の、山がらすかしらもしろくなりにけり我かへるべき期や来らん、とながめし此なりと申もあへず、文永十一年二月十四日の御赦免状、同三月八日に佐渡の国につきぬ。同十三日に国を立てまうら(網羅)というつ(津)にをりて、十四日はかのつにとどまり、同十五日に越後の寺どまり(泊)のつにつくべきが、大風にはなたれ、さいわひ(幸)にふつかぢ(二日程)をすぎて、かしはざき(柏崎)につきて、次日はこう(国府)につき、十二日をへて三月二十六日に鎌倉へ入。同四月八日に平左衛門尉に見参す。
本よりごせし事なれば、日本国のほろびんを助がために、三度いさめんに御用なくば、山林にまじわるべきよし存ぜしゆへに、同五月十二日に鎌倉をいでぬ。
但本国にいたりて今一度、父母のはかをもみんとをもへども、にしきをきて故郷へはかへれといふ事は内外のをきてなり。させる面目もなくして本国へいたりなば、不孝の者にてやあらんずらん。これほどのかた(難)かりし事だにもやぶれて、かまくらへかへり入身なれば、又にしきをきるへんもやあらんずらん。其時、父母のはかをもみよかしと、ふかくをもうゆへにいまに生国へはいたらねども、さすがこひしくて、吹風、立くもまでも、東のかたと申せば、庵をいでて身にふれ、庭に立てみるなり。
かゝる事なれば、故郷の人は設心よせにおもはぬ物なれども、我国の人といへばなつかしくてはんべるところに、此御ふみを給て心もあらずしていそぎいそぎひらきてみ候へば、をとゝしの六月の八日に、いや(弥)四郎にをくれ(後)てとかかれたり。御ふみも、ひろげつるまではうれしくて有つるが、今、此ことばをよみてこそ、なにしにかいそぎひらきけん。うらしまが子のはこなれや、あけてくやしきものかな。我国の事は、うくつらくあたりし人のすへまでも、をろかならずをもうに、ことさら此人は形も常の人にはすぎてみへし上、うちをもひたるけしき、かたくなにもなしとみしかども、をりしも法華経のみざ(御座)なれば、しらぬ人々あまたありしかば言もかけずありしに、経はて(果)させ給て、皆人も立かへる。此人も立かへりしが、使を入て申せしは、
安房国のあまつ(天津)と申ところの者にて候が、をさなくより御心ざしをもひまいらせて候上、母にて候人も、をろか(疎略)ならず申、なれ(馴)なれしき申事にて候へども、ひそかに申べき事の候。さきざきまひりて、次第になれ(馴)まいらせてこそ、申入べきに候へども、ゆみや(弓箭)とる人にみやづかひてひま候はぬ上、事きう(急)になり候ぬる上は、をそれをかへりみず申すと、こまごまときこえしかば、なにとなく生国の人なる上、そのあたりの事ははゞかるべきにあらずとて、入たてまつりてこまごまと、こしかたゆくすへかたりて、のちには世間無常なり、いつと申事をしらず。其上、武士に身をまかせたる身なり。又、ちかく申かけられて候事、のがれ(遁)がたし。さるにては後生こそをそろしく候へ、たすけさせ給へときこへしかば、経文をひいて申きかす。彼のなげき申せしは、父はさてをき候ぬ。やもめにて候はわ(母)をさしをきて、前に立候はん事こそ、不孝にをぼへ候へ。もしやの事候ならば、御弟子に申つたへてたび候へと、ねんごろにあつらへ候しが、そのたびは事ゆへなく候へけれども、後にむなし(空)くなる事のいできたりて候けるにや。
人間に生をうけたる人、上下につけてうれへなき人はなけれども、時にあたり、人々にしたがひて、なげきしなじな(品々)なり。譬へば、病のならひは何の病も、重くなりぬれば是にすぎたる病なしとをもうがごとし。主のわか(別)れ、をや(親)のわかれ、夫妻のわかれ、いづれかおろかなるべき。なれども主は又他の主もありぬべし。夫妻は又かはりぬれば、心をやすむる事もありなん。をやこのわかれこそ、月日のへだつるまゝに、いよいよなげきふかかりぬべくみへ候へ。をやこのわかれにも、をやはゆきて子はとど(留)まるは、同無常なれどもことはりにもや。をひたるはわ(母)はとどまりて、わか(若)き子のさきにたつなさけなき事なれば、神も仏もうらめしや。いかなれば、をやに子をかへさせ給てさきにはたてさせ給はず、とどめをかせ給て、なげかさせ給らんと心うし。心なき畜生すら子のわかれ(別)しのびがたし。竹林精舎の金鳥は、かひこ(卵)のために身をやき、鹿野苑の鹿は、胎内の子ををしみて王前にまいれり。いかにいわうや心あらん人にをいてをや。されば王陵が母は子のためになづき(頭脳)をくだき、神尭皇帝の后は胎内の太子の御ために腹をやぶらせ給き。此等ををもひつづけさせ給はんには、火にも入、頭をもわりて、我子の形をみるべきならば、をしからずとこそ、おぼすらめとをもひやられてなみだもとどまらず。
又御消息云、人をもころしたりし者なれば、いかやうなるところにか生て候らん、をほせをかほり候はんと[云云]。夫、針水にしずむ。雨は空にとどまらず。蟻子を殺る者は地獄に入、死にかばね(屍)を切る者は悪道をまぬがれず。何況、人身をうけたる者をころせる人をや。但大石海にうかぶ、船の力なり。大火もきゆる事、水の用にあらずや。小罪なれども、懺悔せざれば悪道をまぬかれず。大逆なれども、懺悔すれば罪きへぬ。
所謂、粟をつみ(摘)たりし比丘は、五百生が間牛となる。苽をつみし者三悪道に堕にき。羅摩王・抜提王・毘楼真王・那睺沙王・迦帝王・毘舎佉王・月光王・光明王・日光王・愛王・持多人王等の八万余人の諸王は、皆、父を殺て位につく。善知識にあはざれば、罪きへずして阿鼻地獄に入にき。波羅奈城に悪人あり、其名をば阿逸多という。母をあひ(愛)せしゆへに父を殺し妻とせり。父が師の阿羅漢ありて、教訓せしかば阿らかむを殺す。母又、他の夫にとつぎしかば、又母をも殺つ。具に三逆罪をつくりしかば、隣里の人うとみ(疎)しかば一身たもちがたくして、祇洹精舎にゆいて出家をもとめしに、諸僧許ざりしかば、悪心強盛にして多の僧坊をやきぬ。然ども、釈尊に値奉て出家をゆるし給にき。
北天竺に城あり。細石となづく。彼城に王あり、龍印という。父を殺てありしかども、後に此をおそれて彼国をすてて、仏にまいりたりしかば、仏懺悔を許給き。阿闍世王は、ひととなり(成)三毒熾盛なり、十悪ひまなし。其上父をころし、母を害せんとし、提婆達多を師として無量の仏弟子を殺ぬ。悪逆のつも(積)りに、二月十五日、仏の御入滅の日にあたりて無間地獄の先相に、七処に悪瘡出生して、玉体しづかならず。大火の身をやくがごとく、熱湯をくみかくるがごとくなりしに、六大臣まいりて六師外道を召されて、悪瘡を治すべきやう申き。今の日本国の人々の、禅師・律師・念仏者・真言師等を善知識とたのみて、蒙古国を調伏し、後生をたすからんとをもうがごとし。其上、提婆達多は阿闍世王の本師也。外道の六万蔵、仏法の八万蔵をそら(諳)にして、世間・出世のあきらかなる事、日月と明鏡とに向がごとし。今の世の天台宗の碩学の顕密二道を胸にうかべ、一切経をそらんぜしがごとし。此等の人々諸大臣阿闍世王を教訓せしかば、仏に帰依し奉事なかりし程に、摩竭提に天変度々かさなり、地夭しきりなる上、大風・大旱ばつ・飢饉・疫癘ひまなき上、他国よりせめられて、すでにかうとみえしに、悪瘡すら身に出しかば、国土一時にほろびぬとみえし程に、俄に仏前にまいり、懺悔して罪きえしなり。
これらはさてをき候ぬ。人のをやは悪人なれども、子、善人なればをやの罪ゆるす事あり。又、子、悪人なれども、親、善人なれば子の罪ゆるさるる事あり。されば故弥四郎殿は、設悪人なりともうめる母、釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらはば、争か彼人うかばざるべき。いかにいわうや、彼人は法華経を信じたりしかば、をやをみちびく身とぞなられて候らん。
法華経を信ずる人は、かまへてかまへて法華経のかたきををそれさせ給へ。念仏者と持斉と真言師と、一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をば、いかに法華経をよむとも法華経のかたきとしろしめすべし。かたきをしらねばかたきにたぼら(誑)かされ候ぞ。あはれあはれけさんに入てくわしく申候はばや。又、これよりそれへわたり候三位房・佐渡公等に、たびごとにこのふみ(文)をよませてきこしめすべし。又、この御文をば明慧房にあづけ(預)させ給べし。なにとなく我智慧はたらぬ者が、或はをこつき、或は此文をさいかく(才覚)としてそしり候なり。或はよも此御房は、弘法大師にはまさらじ、よも慈覚大師にはこへ(超)じなんど、人くらべをし候ぞ。かく申人をばものしらぬ者とをぼすべし。 建治二年[太歳丙子]三月 日 日蓮 [花押] 甲州南部波木井郷山中