妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

蒙古使御書与大内氏書

第二巻 定本番号 20196 建治1(1275) 分類: その他

祖寿: 54 対告衆: 西山 著作地: 身延 

    196   蒙古使御書
鎌倉より事故なく御下の由承候て、うれしさ申計なし。又蒙古の人の頸を刎られ候事承候。日本国の敵にて候念仏・真言・禅・律等の法師は切れずして、科なき蒙古の使の頸を刎られ候ける事こそ不便に候へ。子細を知ざる人は勘へあてて候を、おごり(_)て云と思ふべし。此二十余年の間、私には昼夜に弟子等に歎申、公には度度申せし事是也。
一切の大事の中に国の亡るが第一の大事にて候也。最勝王経云害中極重者無過失国位等[云云]。文心は、一切の悪の中に国王と成て政悪くして、我国を他国に破らるるが第一の悪にて候と説れて候。又金光明経云由愛敬悪人治罰善人故乃至他方怨賊来国人遭喪乱等[云云]。文心は、国王と成て悪人を愛し、善人を科にあつれば、必ず其国他国に破らるると云文也。法華経第五云為世所恭敬如六通羅漢等[云云]。文心は法華経の敵の相貌を説て候に、二百五十戒を堅く持ち、迦葉・舎利弗の如くなる人を、国主これを尊て、法華経の行者を失なはむとするなりと説れて候ぞ。
夫大事の法門と申は別に候はず。時に当て為我為国大事なる事を、少も勘へたがへざるが智者にては候也。仏のいみじきと申は、過去を勘へ、未来をしり、三世を知しめすに過て候御智慧はなし。設仏にあらねども、龍樹・天親・天台・伝教なんど申せし聖人賢人等は、仏程こそなかりしかども、三世の事を粗知しめされて候しかば、名をも未来まで流されて候き。所詮万法は己心に収て一塵もかけ(闕)ず。九山八海も我身に備て、日月衆星も己心にあり。然といへども、盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず、嬰児の水火を怖れざるが如し。外典の外道、内典の小乗・権大乗等は皆己心の法を片端片端説て候也。然といへども法華経の如く説ず。然れば経経に勝劣あり、人人にも聖賢分れて候ぞ。法門多多なれば止候畢。
鎌倉より御下りそうそうの御隙に、使者申す計なし。其上種種の物送り給候事悦入て候。日本は皆人の歎き候に、日蓮が一類こそ歎の中に悦び候へ。国に候へば蒙古の責はよも脱れ候はじなれども、国のために責られ候し事は、天も知しめして候へば後生は必たすかりなんと悦候に、御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給て候へ。此事起らずは、最明寺殿の十三年に当らせ給ては御かりは所領にては申す計なし。北條六郎殿のやうに筑紫にや御坐なん。是は各各の御心のさから(忤逆)せ給て候也。人の科をあて(当)るにはあらず。又一には法華経の御故にたすからせ給て候ぬるがゆゆしき御僻事なり。是程の御悦まいりても悦びまいらせ度候へども、人聞つゝましく候てとどめ候畢。  乃  時   日蓮  [花押]  西山殿 [御返事]