単衣鈔(与南條氏書上野殿御返事)
193 単衣鈔
単衣一領、送給候畢。
棄老国には老者をすて、日本国には今法華経の行者をすつ。抑も此国開闢より天神七代、地神五代、人王百代あり。神武より已後九十代、欽明より仏法始て六十代、七百余年に及べり。其中に父母を殺す者、朝敵となる者、山賊、海賊、数を知らざれども、いまだきかず、法華経の故に日蓮程人に悪まれたる者はなし。或は王に悪まれたれども民には悪まれず。或は僧は悪めば俗はもれ、男は悪めば女はもれ、或は愚痴の人は悪めば智人はもれたり。此は王より民、男女よりは僧尼、愚人よりは智人悪む。悪人よりは善人悪む。前代未聞の身也。後代にも有べしともおぼえず。
故に生年三十二より今年五十四に至まで二十余年の間、或は寺を追出され、或は処をおわれ、或は親類を煩はされ、或は夜打にあひ、或は合戦にあひ、或は悪口数をしらず。或は打たれ、或は手を負、或は弟子を殺され、或は頸を切れんとし、或は流罪両度に及べり。二十余年が間一時片時も心安事なし。頼朝の七年の合戦もひま(間)やありけん。頼義が十二年の闘諍も争か是にはすぐべき。
法華経の第四云如来現在猶多怨嫉等[云云]。第五云一切世間多怨難信等[云云]。天台大師も恐はいまだ此経文をばよみ給はず、一切世間皆信受せし故也。伝教大師も及給べからず、況滅度後の経文に不符合故に。日蓮日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり、多宝の証明もなにかせん。十方の諸仏の御語も妄語となりなん。仏滅後二千二百二十余年、 月氏・漢土・日本に、一切世間多怨難信の人なし。日蓮なくば仏語既に絶なん。
かかる身なれば、蘇武が如く雪を食として命を継、李陵が如く簑をきて世をすごす。山林に交て果なき時は空して両三日を過ぐ。鹿の皮破ぬれば裸にして三四月に及べり。かゝる者をば何としてか哀とおぼしけん。未だ見参にも入らぬ人の膚を隠す衣を送給候こそ何とも存がたく候へ。
此帷をきて仏前に詣て法華経を読奉り候なば、御経の文字は六万九千三百八十四字、一一の文字は皆金色の仏也。衣は一なれども六万九千三百八十四仏に一一にきせまいらせ給へる也。されば此衣を給て候ば、夫妻二人ともに此仏御尋坐して、我檀那也と守らせ給らん。今生には祈となり、財となり、御臨終の時は月となり、日となり、道となり、橋となり、父となり、母となり、牛馬となり、輿となり、車となり、蓮華となり、山となり、二人を霊山浄土へ迎取りまいらせ給べし。南無妙法蓮華 経南無妙法蓮華経。 建治元年乙亥八月 日 日蓮 [花押] 此文は藤四郎殿女房と常により合て御覧あるべく候。