妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

妙一尼御前御消息

第二巻 定本番号 20180 建治1(1275) 分類: 真蹟現存(完存orほぼ完存)

祖寿: 54 著作地: 身延 真蹟: 中山 法華経寺 

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    180   妙一尼御前御消息
  妙一尼御前御返事   夫天に月なく日なくば、草木いかでか生ずべき。人に父母あり、一人もかけば子息等そだちがたし。其上、過去の聖霊は或は病子あり。或は女子あり。とどめをく母もかいがいしからず。たれにいゐあつけてか、冥途にをもむき給けん。
大覚世尊、御涅槃の時なげいてのたまわく、我涅槃すべし。但心にかゝる事は阿闍世王耳。迦葉童子菩薩、仏に申、仏は平等の慈悲なり。一切衆生のためにいのちを惜給べし。いかにかきわけて、阿闍世王一人とをほせあるやらん、と問まいらせしかば、其御返事に云、譬如一人而有七子 是七子中一子遇病 父母之心非不平等 然於病子心則偏多等[云云]。天台、摩訶止観に此経文釈云 譬如七子 父母非不平等 然於病者 心則偏重等[云云]とこそ仏は答させ給しか。文の心は、人にはあまたの子あれども、父母の心は病する子にありとなり。仏の御ためには一切衆生は皆子なり。其の中罪ふかくして世間の父母をころし、仏経のかたきとなる者は病子のごとし。しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり。我大檀那たりし頻婆舎羅王をころし、我がてきとなりしかば、天もすてて日月に変いで、地も頂かじとふるひ、万民みな仏法にそむき、他国より摩竭提国をせむ。此等は偏に悪人提婆達多を師とせるゆへなり。結句は今日より悪瘡身に出て、三月の七日無間地獄に墮べし。これがかなしければ、我涅槃せんこと心にかゝるというなり。我阿闍世王をすくひなば、一切の罪人阿闍世王のごとしとなげかせ給き。
しかるに聖霊は或は病子あり。或は女子あり。われすてて冥途にゆきなば、かれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまりて、此子どもをいかに心ぐるしかるらんとなげかれぬらんとおぼゆ。
かの心のかたがたには、又日蓮が事、心にかゝらせ給けん。仏語むなしからざれば、法華経ひろまらせ給べし。それについては、此御房はいかなる事もありて、いみじくならせ給べしと、おぼしつらんに、いうかいなくながし失しかば、いかにやいかにや法華経・十羅刹はとこそをもはれけんに、いままでだにも、ながらえ給たりしかば、日蓮がゆりて候し時、いかに悦ばせ給はん。又いゐし事むなしからずして、大蒙古国もよせて、国土もあやをしげになりて候へば、いかに悦給はん。
これは凡夫の心なり。法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には若有聞法者無一不成仏ととかれて候。故聖霊は法華経に命をすててをはしき。わづかの身命をさゝえしところを、法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや。彼の雪山童子の半偈のために身をすて、薬王菩薩の臂をやき給は、彼聖人なり、火に水を入がごとし。此凡夫なり、紙を火に入がごとし。
此をもつて案に、聖霊は此功徳あり。大月輪の中か、大日輪の中か、天鏡をもつて妻子の身を浮て、十二時に御らんあるらん。設妻子は凡夫なれば此をみずきかず。譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず、目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし。御疑あるべからず。定て御まほりとならせ給らん。其上さこそ御わたりあるらめ。
力あらばとひまいらせんとをもうところに、衣を一給でう、存外の次第なり。法華経はいみじき御経にてをはすれば、もし今生にいきある身ともなり候なば、尼ごぜんの生てもをわしませ。もしは草のかげにても御らんあれ。をさなききんだち(公達)等をば、かへりみたてまつるべし。さどの国と申、これと申、下人一人つけられて候は、いつの世にかわすれ候べき。此恩はかへりてつかへ(仕)たてまつり候べし。南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。恐恐謹言。  五月  日   日蓮  [花押]   妙一尼御前