四條金吾殿御返事(此経難持)
169 四條金吾殿御返事
此経難持事。抑弁阿闍梨が申し候は、貴辺のかたらせ給ふ様に持らん者は現世安穏後生善処と承て、すでに去年より今日まで、かたの如く信心をいたし申候処に、さにては無して大難雨の如く来り候と[云云]。真にてや候らん。又弁公がいつはりにて候やらん。いかさまよきついでに不審をはらし奉ん。
法華経の文に難信難解と説き給ふは是也。此経をきゝうくる人は多し。まことに聞受る如に大難来れども憶持不忘の人は希なる也。受るはやすく、持はかたし。さる間成仏は持にあり。此経を持ん人は難に値べしと心得て持つ也。則為疾得無上仏道は疑なし。
三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持とは云也。経云、護持仏所属といへり。天台大師云信力故受念力故持[云云]。又云此経難持若暫持者我即歓喜諸仏亦然[云云]。火にたきぎを加る時はさかん也。大風吹ば求羅は倍増する也。松は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる。法華経の行者は火と求羅との如し、薪と風とは大難の如し。法華経の行者は久遠長寿の如来也。修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし。此より後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給べし。恐恐。 文永十二年[乙亥]三月六日 日蓮[花押] 四條金吾殿