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神国王御書

第一巻 定本番号 168 文永12(1275) 分類: 真蹟断片現存

祖寿: 54 著作地: 身延 真蹟: 京都 妙顕寺 

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    168   神国王御書
夫以日本国亦云 水穂国亦野馬壹 又秋津嶋又扶桑等[云云]。六十六国・二嶋・已上六十八ケ国。東西三千余里、南北は不定也。此国に五畿七道あり。五畿申は山城・大和・河内・和泉・摂津等也。七道と申東海道十五箇国・東山道八箇国・北陸道七ヶ国・山陰道八ヶ国・山陽道八ヶ国・南海道六ヶ国・西海道十一ヶ国。亦云 鎮西 又太宰府[云云]。已上此は国也。
国主をたづぬれば神世十二代。天神七代・地神五代。天神七代第一者国常立尊、乃至第七伊奘諾尊男也。伊奘册尊妻也。地神五代の第一は天照太神伊勢太神宮日神是也。いざなぎいざなみの御女也。乃至第五は彦波瀲武〓草葺不合尊。此の神は第四のひこほの御子也。母は龍女也。已上地神五代。已上十二代は神世也。
人王は大体百代なるべきか。其第一の王は神武天皇、此はひこなぎさの御子也。乃至第十四は仲哀天皇[八幡御父也]。第十五は神功皇后[八幡御母也]。第十六は応神天皇仲哀神功御子、今の八幡大菩薩也。乃至第二十九代は宣化天皇也。此時までは月氏漢土には仏法ありしかども、日本国にはいまだわたらず。
第三十代は欽明天皇。此の皇は第二十七代の継体の御嫡子也。治三十二年。此の皇の治十三年[壬申]十月十三日[辛酉]、百済国の聖明皇、金銅の釈迦仏を渡し奉る。今日本国の上下万人一同に阿弥陀仏と申此也。其表文云 臣聞万法之中仏法最善。世間之道仏法最上。天皇陛下亦応修行。故敬捧仏像・経教・法師附使貢献。宜信行者[已上]。然といへども欽明・敏達・用明の三代三十余年は崇給事なし。其間の事さまざまなりといへども、其時の天変地夭は今の代にこそにて候へども、今は亦其の代にはにるべくもなき変夭也。
第三十三代崇峻天皇の御宇より仏法我朝に崇られて、第三十四代推古天皇の御宇に盛にひろまり給いき。此時三論宗と成実宗と申宗始て渡て候き。此三論宗は月氏にても漢土にても日本にても大乗の宗の始なり。故に宗の母とも、宗の父とも申。人王三十六代に皇極天皇の御宇に禅宗わたる。人王四十代天武御宇に法相宗わたる。人王四十四代元正天皇の御宇に大日経わたる。人王四十五代に聖武天皇御宇に華厳宗を弘通せさせ給。人王四十六代孝謙天皇御宇に律宗と法華宗わたる。しかりといへども、唯律宗計弘て、天台法華宗は弘通なし。
人王第五十代に最澄と申す聖人あり。法華宗を我と見出て、倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗等の六宗をせめをとし給のみならず、漢土に大日宗と申宗有としろしめせり。同御宇に漢土にわたりて四宗をならいわたし給。所謂法華宗・真言宗・禅宗・大乗の律宗也。しかりといへども、法華宗と律宗とをば弘通ありて、禅宗をば弘め給はず。真言宗をば宗の字をけづり、ただ七大寺等の諸僧に潅頂を許し給。然ども世間の人々はいかなる故という事をしらず。当時の人々の云く、此の人は漢土にて法華宗をば委細にならいて、真言宗をばくはしく知し食給はざりけるか、とすい(推)し申也。
同き御宇に空海と申人漢土にわたりて、真言宗をならう。しかりといへどもいまだ此の御代には帰朝なし。人王第五十一代に平城天皇の御宇に帰朝あり。五十二代嵯峨の天皇の御宇に弘仁十四年[癸卯]正月十九日に、真言宗の住処東寺を給て護国教王院とがうす。伝教大師御入滅の一年の後也。人王五十四代仁明天皇の御宇に円仁和尚、漢土にわたりて、重て法華真言の二宗をならいわたす。人王五十五代文徳天皇の御宇に仁寿と斉衡とに、金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏、已上十四巻を造て、大日経の義釈に並て真言宗の三部とがうし、比叡山の内に総持院を建立し、真言宗を弘通する事此時なり。叡山に真言宗を許れしかば、座主両方を兼たり。しかれども法華宗をば月のごとく、真言宗をば日のごとくといいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝たりとをもいけり。しかれども座主は両方を兼て兼学し給けり。大衆も又かくのごとし。同き御宇に円珍和尚と申人御入唐。漢土にして法華真言の両宗をならう。同御代に天安二年に帰朝。此の人は本朝にしては叡山第一の座主義真・第二の座主円澄・別当光定・第三の座主円仁等に法華真言の両宗をならいきわめ給のみならず、又東寺の真言をも習給へり。其後に漢土にわたりて法華真言の両宗をみがき給。今の三井寺の法華真言の元祖智証大師此也。已上四大師也。総じて日本国には真言宗に又八家あり。東寺に五家、弘法大師を本とす。天台に三家、慈覚大師を本とす。
人王八十一代をば安徳天皇と申。父は高倉院の長子、母は大政入道の女建礼門院なり。此の王は元暦元年[乙巳]三月二十四日八嶋にして海中に崩給き。此の王は源頼朝将軍にせめられて海中のいろくづの食となり給。人王八十二代は隠岐法皇と申。高倉の第三王子。文治元年丙午御即位。八十三代には阿波院。隠岐法皇長子。建仁二年に位に継給。八十四代には佐渡院。隠岐法皇第二王子。承久三年[辛巳]二月二十六日に王位につき給。同き七月に佐渡のしまへうつされ給。此の二三四の三王は父子也。鎌倉の右大将の家人義時にせめられさせ給へる也。
此に日蓮大に疑云、仏と申は三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日・月・四天・転輪聖王・諸王の師也、主也、親也。三界の諸王は皆は此の釈迦仏より分ち給て、諸国の総領・別領等の主となし給へり。故に梵釈等は此の仏を或は木像、或は画像等にあがめ給。須臾も相背かば、梵王の高台もくづれ、帝釈の喜見もやぶれ、輪王もかほり(冠)落給べし。神と申は又国々の国主等の崩去し給るを生身のごとくあがめ給う。此又国王国人のための父母也、主君也、師匠也。片時もそむかば国安穏なるべからず。此を崇むれば国は三災を消し七難を払、人は病なく長寿を持ち、後生には人天と三乗と仏となり給べし。
しかるに我日本国は一閻浮提の内、月氏漢土にもすぐれ、八万の国にも超たる国ぞかし。其故は月氏の仏法は西域記等に載られて候但七十余ヶ国也。其余は皆外道の国也。漢土の寺は十万八千四十所なり。我朝の山寺は十七万一千三十七所。此の国は月氏漢土に対すれば、日本国に伊豆の大嶋を対せるがごとし。寺をかずうれば漢土月氏にも雲泥すぎたり。かれは又大乗の国・小乗の国、大乗も権大乗の国也。此は寺ごとに八宗十宗をならい、家々宅々に大乗を読誦す。彼の月氏漢土等は仏法を用る人は千人に一人也。此日本国は外道一人もなし。
其上神は又第一天照太神・第二八幡大菩薩・第三は山王等三千余社。昼夜に我国をまほり、朝夕に国家を見そなわし給。其上天照太神は内侍所と申明鏡にかげをうかべ、大裏にあがめられ給、八幡大菩薩は宝殿をすてて、主上の頂を栖とし給と申。
仏の加護と申、神の守護と申、いかなれば彼の安徳と隠岐と阿波・佐渡等の王は相伝の所従等にせめられて、或は殺れ、或は嶋に放、或は鬼となり、或は大地獄には墮給しぞ。日本国の叡山・七寺・東寺・園城等の十七万一千三十七所の山々寺々に、いさゝかの御仏事を行には皆天長地久玉体安穏とこそいのり給候へ。其上八幡大菩薩は殊に天王守護の大願あり。人王第四十八代に高野天皇の玉体に入給て云、我国家開闢以来以臣為君未有事也。天之日嗣必立皇緒等[云云]。又太神付行教云、我有百王守護誓等[云云]。されば神武天皇より已来百王にいたるまではいかなる事有とも玉体はつゝがあるべからず。王位を傾る者も有べからず。一生補処の菩薩は中夭なし。聖人は横死せずと申。いかにとして彼々の四王は王位ををいをとされ、国をうばわるるのみならず、命を海にすて、身を嶋々に入給けるやらむ。天照太神は玉体に入かわり給はざりけるか。八幡大菩薩の百王の誓はいかにとなりぬるぞ。
其上安徳天皇の御宇には、明雲座主御師となり、太上入道並に一門捧怠状云 如彼以興福寺為藤氏氏寺 以春日社為藤氏氏神 以延暦寺号平氏氏寺 以日吉社号平氏氏神[云云]。叡山には明雲座主を始として三千人の大衆五壇の大法を行、大臣以下家々に尊勝陀羅尼・不動明王を供養し、諸寺諸山には奉幣し、大法秘法を尽さずという事なし。又承久の合戦の御時は天台座主慈円・仁和寺御室・三井等の高僧等を相催し、日本国にわたれる所の大法秘法残なく行なわれ給。所謂承久三年[辛巳]四月十九日に十五壇之法を行る。天台座主は一字金輪法等。五月二日は仁和寺の御室、如法愛染明王法紫宸殿にて行給。又六月八日御室、守護経法を行給。已上四十一人の高僧十五壇の大法。此法を行事は日本に第二度なり。権大夫殿は此事知給事なければ御調伏も行給はず。又いかに行給とも彼の法々彼の人々にはすぐべからず。
仏法の御力と申、王法の威力と申、彼は国主也、三界の諸王守護し給。此は日本国の民也、わづかに小鬼ぞまほりけん。代々の所従、重々の家人也。譬へば王威を用て民をせめば鷹の雉をとり、猫のねずみを食、蛇かかへるをのみ、師子王の兎を殺にてこそ有べけれ。なにしにか、かろがろしく天神地祇には申べき。仏菩薩をばをどろかし奉るべき。師子王が兎をとらむに精進をすべきか。たかがきじを食にいのり有べしや。いかにいのらずとも、大王の身として民を失には、大水の小火をけし、大風の小雲を巻にてこそ有べけれ。
其上大火に枯木を加がごとく、大河に大雨を下がごとく、王法の力に大法を行合せて、頼朝と義時との本命と元神とをば梵王と帝釈等に抜取せ給。譬へば古酒に酔る者ごとし。蛇の蝦の魂を奪がごとし。頼朝と義時との御魂御名御姓をばかきつけて諸尊諸神等の御足の下にふませまいらせていのりしかば、いかにもこらうべしともみへざりしに、いかにとして一年一月も延ずして、わづかに二日一日にはほろび給けるやらむ。仏法を流布の国の主とならむ人々は能能御案ありて、後生をも定め、御いのりも有べきか。
而に日蓮此事を疑しゆへに、幼少の比より随分に顕密二道並に諸宗一切経を、或は人にならい、或は我と開見し、勘へ見て候へば、故の候けるぞ。我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ことは仏鏡にはすぐべからず。仁王経・金光明経・最勝王経・守護経・涅槃経・法華経等の諸大乗経を開見奉候に、仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く、又仏法に付て国もほろび、人の寿も短かるべしとみへて候。譬へば水は能く舟をたすけ、水は能く舟をやぶる。五穀は人をやしない、人を損ず。小波小風は大船を損ずる事かたし。大波大風には小舟やぶれやすし。王法の曲は小波小風のごとし。大国と大人をば失がたし。仏法の失あるは大風大波の小舟をやぶるがごとし。国のやぶるゝ事疑なし。
仏記云、我滅後末代には悪法悪人の国をほろぼし仏法を失には失すべからず。譬へば三千大千世界の草木を薪として須弥山をやくに、やけず。劫火の時須弥山根より大豆計の火出て須弥山やくが如く、我法も又如此。悪人・外道・天魔・波旬・五通等にはやぶられず。仏のごとく六通の羅漢のごとく三衣を皮のごとく身に紆い、一鉢を両眼にあてたらむ持戒の僧等と、大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等、我が正法を失べし。其時梵釈日月四天いかりをなし、其国に大天変大地夭等を発していさめむに、いさめられずば、其国の内に七難ををこし、父母兄弟王臣万民互に大怨敵となり、梟鳥が母を食、破鏡が父をがいするがごとく、自国をやぶらせて、結句は他国より其国をせめさすべしとみへて候。
今日蓮一代聖教の明鏡をもつて日本国を浮見候に、此の鏡に浮で候人々は国敵仏敵たる事疑なし。一代聖教の中に法華経は明鏡の中の神鏡なり。銅鏡等は人の形をばうかぶれども、いまだ心をばうかべず。法華経は人の形を浮るのみならず、心をも浮べ給へり。心を浮るのみならず、先業をも未来をも鑑給事くもりなし。法華経の第七の巻を見候へは、於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説。如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇等[云云]。文の心は此法華経を一字も一句も説く人は必一代聖教の浅深と次第とを能々弁たらむ人の説べき事に候。譬へば暦の三百六十日をかんがうるに、一日も相違せば万日倶に反逆すべし。三十一字を連たる一句一字も相違せば三十一字共に歌にて有べからず。設一経を読誦すとも始寂滅道場より終双林最後にいたるまで次第と浅深とに迷惑せば、其人は我が身も五逆を作らずして無間地獄に入、此を帰依せん檀那も阿鼻大城に堕べし。何況智人一人出現して一代聖教の浅深勝劣を弁えん時、元祖が迷惑を相伝せる諸僧等、或は国師となり、或は諸家の師となりなんどせる人々、自のきずが顕るゝ上、人にかろしめられん事をなげきて、上に挙る一人の智人を或は国主に訴へ、或は万人にそしらせん。其時守護の天神等国をやぶらん事は、芭蕉の葉を大風のさき、小舟を大波のやぶらむがごとしと見へて候。
無量義経は始寂滅道場より終般若経にいたるまでの一切経を、或は名を挙或は年紀を限て未顕真実と定ぬ。涅槃経と申は仏最後の御物語に、初め初成道より五十年の説教の御物語、四十余年をば無量義経のごとく邪見の経と定め、法華経をば我が主君と号給。中に法華経ましまして已今当の勅宣を下し給しかば、多宝十方の諸仏加判ありて各々本土にかへり給しを、月氏の付法蔵の二十四人は但小乗権大乗を弘通して法華経の実義を宣給事なし。譬へば日本国の行基菩薩と鑑真和尚との法華経の義を知給て弘通なかりしがごとし。漢土の南北の十師は内にも仏法の勝劣をず、外にも浅深に迷惑せり。又三論宗吉蔵・華厳宗の澄観・法相宗慈恩、此等人々は内にも迷外にも知ざりしかども、道心堅固の人々なれば名聞をすてゝ天台の義に付にき。知ず、されば此人々は懺悔の力に依て生死やはなれけむ。将又謗法の罪は重く、懺悔の力は弱くして、阿闍世王・無垢論師等のごとく地獄にや堕にけん。
善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等の三三蔵は一切の真言師の申は大日如来より五代六代の人々、即身成仏の根本也等[云云]。日蓮勘云、法偸元師也、盜人の根本也。此等人々は月氏よりは大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を齎来る。此の経々は華厳・般若・涅槃経等に及ばざる上、法華経に対すれば七重の下劣也。経文に見へて赫々たり明々たり。而を漢土に来て天台大師の止観等の三十巻見て、舌をふるい心をまどわして此に及ずば我が経弘通しがたし。勝たりといはんとすれば妄語眼前なり。いかんがせんと案ぜし程に、一の深き大妄語を案じ出し給。所謂大日経三十一品を法華経二十八品並に無量義経に腹あわせに合て、三密の中の意密をば法華経に同、其上に印と真言とを加て、法華経は略也、大日経は広也。已にも入れず、今も入れず、当にもはづれぬ。法華経をかたうどとして三説の難を脱れ、結句は印と真言とを用て法華経を打落て真言宗を立てゝ候。譬へば三女が后と成て三王を喪せしがごとし。法華経の流通の涅槃経の第九に、我れ滅して後悪比丘等我が正法を滅すべし、譬へば女人のごとし、と記給けへるは是也。されば善無畏三蔵は閻魔王にせめられて、鉄の縄七脈つけられて、からくして蘇たれども、又死する時は黒皮隠々骨甚露焉と申て無間地獄の前相其の死骨に顕し給ぬ。人死して後ち色の黒は地獄に堕とは一代聖教に定る所なり。金剛智・不空等も又此をもて知ぬべし。此の人々は改悔は有と見へて候へども、強盛の懺悔のなかりけるか。今の真言師は又あへて知事なし。玄宗皇帝の御代の喪し事も不審はれて候。
日本国は又弘法・慈覚・智証、此の謗法を習伝て自身も知しめさず、人は又をもいもよらず。且くは法華宗の人々諍論有しかども、終には天台宗やうやく衰て、叡山五十五代の座主明雲、人王八十一代の安徳天皇より已来は叡山一向に真言宗となりぬ。第六十一代座主顕真権僧正は天台座主の名を得て真言宗に遷のみならず、然後法華真言をすてゝ一向謗法の法然が弟子となりぬ。承久調伏上衆慈円僧正は第六十二代並五・九・七十一代の四代の座主、隠岐法皇御師也。此等の人々は善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・慈覚・智証等の真言をば器はかわれども一の智水也。其上天台宗の座主の名を盜て法華経の御領を知行して三千の頭となり、一国の法の師と仰て、大日経を本として七重くだれる真言を用て八重勝とをもへるは、天を地とをもい、民を王とあやまち、石を珠とあやまつのみならず、珠を石という人。教主釈尊・多宝仏・十方の諸仏の御怨敵たるのみならず、一切衆生の眼目を奪取、三善道の門を閉、三悪道の道を開く。梵釈・日月・四天等の諸天善神いかでか此人を罰せさせ給はざらむ。いかでか此人を仰ぐ檀那をば守護し給べき。天照太神の内侍所も八幡大菩薩の百王守護の御ちかいもいかでか叶はせ給べき。
余此由を且つ知しより已来、一分の慈悲に催されて粗随分の弟子にあらあら申せし程に、次第に増長して国主まで聞ぬ。国主は理を親とし非を敵とすべき人にてをはすべきが、いかんがしたりけん諸人の讒言ををさめて、一人の余をすて給。彼の天台大師は南北の諸人あだみしかども、陳隋二代の帝重じ給しかば、諸人の怨もうすかりき。此の伝教大師は南都七大寺讒言せしかども、桓武・平城・嵯峨の三皇用給しかば、怨敵もをかしがたし。今日蓮は日本国十七万一千三十七所の諸僧等のあだするのみならず、国主用給ざれば、万民あだをなす事父母の敵にも超、宿世のかたきにもすぐれたり。結句は二度の遠流、一度の頭に及ぶ。彼大荘厳仏の末法の四比丘並に六百八十万億那由佗の諸人が普事比丘一人をあだみしにも超へ、師子音王仏の末の勝意比丘無量の弟子等が喜根比丘をせめしにも勝れり。覚徳比丘がせめられし、不軽菩薩が杖木をかをほりしも、限あれば此にはよもすぎじとぞをぼへ候。
若百千にも一つ日蓮法華経の行者にて候ならば、日本国の諸人後生の無間地獄はしばらくをく、現身には国を失他国に取れん事、彼の徽宗欽宗のごとく優陀延王・訖利多王等にことならず。又其外は或は其身は白癩黒癩、或は諸悪重病疑なかるべきか。もし其義なくば又日蓮法華経の行者にあらじ。此の身現身には白癩黒癩等の諸悪重病を受取、後生には提婆瞿伽利等がごとく無間大城に堕べし。日月を射奉る修羅は其矢還て我が眼に立ち、師子王を吼る狗犬は我が腹をやぶる。釈子を殺せし波琉璃王は水中の中の大火に入、仏の御身より血を出せし提婆達多は現身に阿鼻の炎を感ぜり。金銅の釈尊をやきし守屋は四天王の矢にあたり、東大寺興福寺を焼し清盛入道は現身に其身もう(燃)る病をうけにき。彼等は皆大事なれども日蓮が事に合すれば小事なり。小事すら猶しるしあり。大事いかでか現罰なからむ。悦哉、経文に任て五五百歳広宣流布をまつ。悲哉、闘諍堅固の時に当て此国修羅道となるべし。
清盛入道と頼朝とは源平両家、本より狗犬と猿猴とのごとし。小人小福の頼朝をあだみしゆへに、宿敵たる入道の一門ほろびし上、科なき主上の西海に沈給し事は不便の事なり。此は教主釈尊・多宝・十方の仏の御使として世間には一分の失なき者を、一国の諸人にあだまするのみならず、両度の流罪に当てゝ、日中に鎌倉の小路をわたす事朝敵のごとし。其外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其室を刎こぼちて、仏像経巻を諸人にふまするのみならず、糞泥にふみ入れ、日蓮が懐中に法華経を入まいらせて候しをとりいだして頭をさんざんに打さいなむ。此事如何宿意もなし。当座の科もなし。ただ法華経を弘通する計の大科なり。
日蓮天に向声をあげて申く、法華経の序品を拝見し奉れば梵釈と日月と四天と龍王と阿修羅と二界八番の衆と無量の国土の諸神と集会し給たりし時、已今当に第一の説を聞し時、我とも雪山童子の如く身を供養し薬王菩薩の如く臂をもやかんとをもいしに、教主釈尊、多宝・十方の諸仏の御前にして今於仏前自説誓言と諫暁し給しかば、幸に順風を得て如世尊敕当具奉行と二処三会の衆一同に大音声を放て誓給しはいかんが有べき。唯仏前にては如是申て多宝十方の諸仏は本土にかへり給。釈尊は御入滅ならせ給てほど久なりぬれば、末代辺国に法華経の行者有とも、梵釈日月等御誓をうちわすれて守護し給事なくば、日蓮がためには一旦のなげきなり。無始已来鷹の前のきじ、蛇の前のかへる、猫の前のねずみ、犬の前のさると有し時もありき。ゆめの代なれば仏菩薩諸天にすかされまいらせたりける者にてこそ候わめ。なによりもなげかしき事は、梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値をすてさせ給て、現身に天の果報も尽て花の大風に散がごとく、雨の空より下ごとく、其人命終入阿鼻獄と無間大城に堕給はん事こそ、あわれにはをぼへ候へ。設彼人々三世十方の諸仏をかたうどとして知ぬよしのべ申し給とも、日蓮は其人々には強かたきなり。若仏のへんぱをはせずば梵釈日月四天をば無間大城には必ずつけたてまつるべし。日蓮が眼と口とをそろしくばいそぎいそぎ仏前の誓をはたし給へ。日蓮が口。
又むぎ(麦)ひとひつ(一櫃)・鵞目両貫・わかめ・かちめ・みる一俵給了。干い(飯)・やきごめ各々一かうぶくろ給了。一々の御志はかきつくすべしと申せども法門巨多に候へば留候了。他門にきかせ給なよ。大事の事どもかきて候なり。