瑞相御書
166 瑞相御書
夫天変は衆人のおどろかし、地夭は諸人をうごかす。仏、法華経をとかんとし給時、五瑞六瑞をげんじ給。其中に地動瑞と申は大地六種に震動す。六種と申は天台大師文句の三釈云、東涌西没者 東方青主肝 肝主眼。西方白主肺 肺主鼻。此表眼根功徳生 鼻根煩悩互滅也。鼻根功徳生眼中煩悩互滅。余方涌没表余根生滅亦復[云云]。妙楽大師承之云 言表根者 眼鼻已表於東西。耳舌理対於南北。中央心也。四方身也。身具四根。心徧縁四。故以心対身而為涌没[云云]。夫十方は依報なり。衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし。又正報をば依報をもて此をつくる。眼根をば東方をもつてこれをつくる。舌南方 鼻西方 耳北方 身四方 心中央等。これをもつてしんぬべし。かるがゆへに衆生の五根やぶ(破)れんとせば、四方中央をどろう(駭動)べし。されば国土やぶれんとするしるし(兆)には、まづ山くづれ、草木か(枯)れ、江河つくるしるしあり。人の眼耳等驚そう(躁)すれば天変あり。人の心をうごかせば地動す。
抑何の経経にか六種動これなき。一切経を仏とかせ給しにみなこれあり。しかれども仏法華経をとかせ給はんとて六種震動ありしかば、衆もことにをどろき、弥勒菩薩も疑、文殊師利菩薩もこたへしは、諸経よりも瑞も大に久ありしかば、疑も大に決しがたかりしなり。故妙楽云 何大乗経不集衆・放光・雨花・動地。但無生於大疑等[云云]。此釈の心はいかなる経経にも、序は候へども此ほど大なるはなし、となり。されば天台大師云 世人以蜘蛛掛則喜来、鳱鵲鳴則行人至、小尚有徴大焉無瑞。以近表遠等[云云]。夫一代四十余年が間なかりし大瑞を現じて、法華経の迹門をとかせ給ぬ。
其上本門と申は又爾前の経経の瑞に迹門を対するよりも大なる大瑞なり。大宝塔の地よりをどりいでし、地涌千界大地よりならび出し大震動は、大風の大海を吹ば、大山のごとくなる大波の、あし(蘆)のは(葉)のごとくなる小船をひほ(追帆)につくがごとくなりしなり。されば序品の瑞をば弥勒文殊に問、涌出品の大瑞をば慈氏は仏に問たてまつる。これを妙楽釈云、迹事浅近 可寄文殊。本地難裁故唯託仏[云云]。迹門のことは仏説給はざりしかども文殊ほぼこれをしれり。本門の事は妙徳すこしもはからず。此大瑞は在世の事にて候。
仏、神力品にいたて十神力を現ず。此は又さきの二瑞にはにるべくもなき神力也。序品の放光は東方万八千土、神力品の大放光は十方世界。序品の地動は但三千界、神力品の大地動は諸仏世界 地皆六種震動。此の瑞も又又かくのごとし。此神力品の大瑞は仏滅後正像二千年すぎて末法に入て、法華経の肝要のひろまらせ給べき大瑞なり。経文云 以仏滅度後能持是経故 諸仏皆歓喜現無量神力等[云云]。又云 悪世末法時等[云云]。
疑云、夫瑞は吉凶につけて或は一時二時、或は一日二日、或一年二年、或七年十二年か。如何二千余年已後の瑞あるべきや。答云、周昭王の瑞は一千十五年に始てあい(合)り。訖利季王の夢は二万二千年に始てあいぬ。豈二千余年の事の前にあらは(現)るるを疑べきや。
問云、在世よりも滅後の瑞大なる如何。答云、大地の動ずる事は人の六根の動による。人の六根の動の大小によて大地の六種も高下あり。爾前の経経には一切衆生煩悩をやぶるやうなれども実にはやぶらず。今法華経は元品の無明をやぶるゆへに大動あり。末代は又在世よりも悪人多多なり。かるがゆへに在世の瑞にもすぐれてあるべきよしを示現し給。疑云 証文如何。答云而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後等[云云]。
去正嘉文永の大地震・大天変は天神七代・地神五代はさてをきぬ。人王九十代、二千余年が間、日本国にいまだなき天変地夭なり。人の悦多多なれば、天に吉瑞をあらはし、地に帝釈の動あり。人の悪心盛なれば、天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随て天変の大小あり。地夭又かくのごとし。今日本国上一人より下万民にいたるまで大悪心の衆生充満せり。此悪心の根本は日蓮によりて起れるところなり。
守護国界経と申経あり。法華以後の経なり。阿闍世王仏にまいりて云、我国に大旱魃、大風、大水、飢饉、疫病、年年に起る上、他国より我国をせ(攻)む。而仏の出現し給る国なり。いかんと問まいらせ候しかば、仏答云善哉善哉。大王能此問をなせり。汝には多の逆罪あり。其中に父を殺、提婆を師として我を害せしむ。この二罪大なる故、かゝる大難来かくのごとく無量なり。其中我滅後に末法に入て、提婆がやうなる僧国中に充満せば、正法の僧一人あるべし。彼悪僧等、正法の人を流罪死罪に行て、王の后乃至万民の女を犯て、謗法者種子国に充満せば、国中に種種の大難をこり、後には他国にせめらるべし、ととかれて候。
今の世念仏者かくのごとく候上、真言師等が大慢、提婆達多に百千万億倍すぎて候。真言宗の不思議あらあら申べし。胎蔵界の八葉の九尊を画にかきて、其の上のぼりて、諸仏の御面をふ(踏)みて、潅頂と申事を行なり。父母の面をふみ、天子の頂をふむがごとくなる者、国中充滿して上下の師となれり。いかでか国ほろびざるべき。此事余が一大事の法門なり。又又申べし。さき(前)にすこしかきて候。いた(甚)う人におほせ(仰)あるべからず。びん(便)ごとの心ざし、一度二度ならねばいかにとも。