呵責謗法滅罪鈔
137 呵責謗法滅罪鈔
御文委承候。法華経の御ゆへに已前に伊豆国に流され候しも、かう申せば謙ぬ口と人はおぼすべけれども、心ばかりは悦入て候き。無始より已来、法華経の御ゆへに、実にても虚事にても科に当るならば、争かかゝるつたなき凡夫とは生れ候べき。一端はわびしき様なれども、法華経の御為なればうれしと思候しに、少し先生の罪は消ぬらんと思しかども、無始より已来十悪・四重・六重・八重・十重・五無間・誹謗正法・一闡提の種種の重罪、大山より高く、大海より深くこそ候らめ。
五逆罪と申は一逆を造る、猶一劫無間の果を感ず。一劫と申は人寿八万歳より百年に一を減じ、如是乃至十歳に成ぬ。又十歳より百年に一を加れば、次第に増して八万歳になるを一劫と申す。殺親者此程無間地獄に堕て、隙もなく大苦を受るなり。法華経誹謗の者は心には思はざれども、色にも嫉み、戯にも訾る程ならば、経にて無れども、法華経に名を寄たる人を軽しめぬれば、上の一劫を重て無数劫、無間地獄に堕候と見えて候。不軽菩薩を罵打し人は始こそさありしかども、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶ事、諸天の帝釈を敬ひ、我等が日月を畏るるが如くせしかども、始め訾りし大重罪消かねて、千劫大阿鼻地獄に入て、二百億劫三宝に捨られ奉りたりき。五逆と謗法とを病に対すれば、五逆は霍乱の如して急に事を切る。謗法は白癩病の如し、始は緩に後漸漸に大事也。謗法の者は多は無間地獄に生じ、少しは六道に生を受く。人間に生ずる時は貧窮下賤等、白癩病等と見えたり。
日蓮は法華経の明鏡をもて自身に引向へたるに、都てくもりなし。過去の謗法我身にある事疑なし。此罪を今生に消さずば、未来争か地獄の苦をば免るべき。過去遠遠の重罪をば何にしてか皆集て、今生に消滅して、未来の大苦を免れんと勘しに、当世時に当て謗法の人人国国に充満せり。其上国主既に第一の誹謗の人たり。此時此の重罪を消さずば何の時をか期すべき。日蓮が小身を日本国に打覆てのゝしらば、無量無辺の邪法四衆等、無量無辺の口を以て一時に訾るべし。爾時に国主謗法の僧等が方人として日蓮を怨み、或は頸を刎、或は流罪に行ふべし。度度かゝる事出来せば無量劫の重罪一生の内に消なんと謀たる大術、少も違ふ事なく、かゝる身となれば所願も満足なるべし。
然ども凡夫なれば動もすれば悔る心有ぬべし。日蓮だにも如是侍るに、前後も弁へざる女人なんどの、各仏法を見ほど(解)かせ給ぬが、何程か日蓮に付てくやし(悔)とおぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず。教主釈尊の各の御心に入替らせ給歟と思へば感涙難押。妙楽大師釈云[記七]故知。末代一時得聞聞已生信事須宿種等[云云]。又云[弘二]運在像末矚此真文。非宿殖妙因実為難値等[云云]。
妙法蓮華経の五字をば四十余年此を秘し給ふのみにあらず。迹門十四品に猶是を抑へさせ給ひ、寿量品にして本果本因の蓮華の二字を説顕し給ふ。此五字をば仏、文殊・普賢・弥勒・薬王等にも付属せさせ給はず、地涌上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等を寂光の大地より召出して此を付属し給ふ。
儀式ただ事ならず。宝浄世界の多宝如来、大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ。三千大千世界の外に四百万億那由佗の国土を浄め、高さ五百由句の宝樹を尽一箭道に殖並て、宝樹一本の下に五由句の師子の座を敷並、十方分身の仏尽く来り坐し給ふ。又釈迦如来は垢衣を脱で宝塔を開き多宝如来に並給ふ。譬ば青天に日月の並べるが如し。帝釈と頂生王との善法堂に在が如し。此界の文殊等、他方の観音等、十方の虚空に雲集せる事、星の虚空に充満するが如し。
此時此土には華厳経の七処八会、十方世界の台上の盧舎那仏の弟子、法慧功徳林・金剛幢・金剛蔵等の十方刹土塵点数の大菩薩雲集せり。方等の大宝坊雲集の仏菩薩、般若経の千仏須菩提帝釈等、大日経の八葉九尊の四仏四菩薩、金剛頂経の三十七尊等、涅槃経の倶尸那城へ集会せさせ給し十方法界の仏菩薩をば、文殊・弥勒等互に見知して御物語是ありしかば、此等の大菩薩は出仕に物狎たりと見え候。今此四菩薩出させ給て後、釈迦如来には九代の本師、三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も、一生補処とのゝしらせ給ふ弥勒等も、此菩薩に値ぬれば物とも見えさせ給はず。譬ば山かつが月卿に交り、_猴が師子の座に列るが如し。
此人人を召て妙法蓮華経の五字を付属せさせ給き。付属も只ならず、十神力を現じ給ふ。釈迦は広長舌を色界の頂に付給へば、諸仏亦復如是。四百万億那由陀の国土の虚空に諸仏の御舌、赤虹を百千万億並べたるが如く充満せしかば、おびただしかりし事也。如是不思議の十神力を現じて、結要付属と申て法華経の肝心を抜出して四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃に付属して、其後又一つの神力を現じて、文殊等の自界他方の菩薩、二乗、天人、龍神等には一経乃至一代聖教をば付属せられしなり。
本より影の身に随て候様につかせ給ひたりし迦葉・舎利弗等にも此五字を譲給はず。此はさてをきぬ。文殊弥勒等には争か惜み給べき。器量なくとも嫌給べからず。方方不審なるを、或は他方の菩薩は此土に縁少しと嫌ひ、或は此土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ給ふ程に、四十余年並に迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし。此四菩薩こそ五百塵点劫より已来教主釈尊の御弟子として、初発心より又他仏につかずして、二門をもふまざる人人なりと見えて候。天台云、但見下方発誓等[云云]。又云、是我弟子。応弘我法等[云云]。妙楽云、子弘父法等[云云]。道暹云、由法是久成法故付久成之人等[云云]。此妙法蓮華経の五字をば此四人に被譲候。
而に仏滅後正法一千年・像法一千年・末法に入て二百二十余年が間、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に、未だ一度も出させ給はざるは何なる事にて有らん。正くも譲らせ給はざりし文殊師利菩薩は、仏滅後四百五十年まで此土におはして、大乗経を弘させ給ひ、其後も香山・清涼山より度度来て大僧等と成て法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり、観世音は南岳大師と成り、弥勒菩薩は伝大士となれり。迦葉・阿難等は仏滅後二十年四十年法を弘め給ふ。嫡子として譲られさせ給へる人の未だ見えさせ給はず。二千二百余年が間、教主釈尊の絵像木像賢王聖主本尊とす。然れども但小乗・大乗・華厳・涅槃・観経・法華経の迹門・普賢経等の仏、真言大日経等の仏、宝塔品の釈迦多宝等をば書ども、いまだ寿量品の釈尊は山寺精舎にましまさず。何なる事とも量がたし。
釈迦如来は後五百歳と記し給ひ、正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず。天台大師は後五百歳遠沾妙道と未来に譲り、伝教大師は正像稍過已末法太有近等書給て、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ。さればをしはかる(推量)に、地涌千界の大菩薩釈迦・多宝・十方の諸仏の御譲御約束を空く黙止てはてさせ給べき歟。外典の賢人すら時を待。郭公と申す畜鳥は卯月五月に限る。此大菩薩も末法に出べしと見えて候。いかんと候べきぞ。
瑞相と申事は内典外典に付て必有べき事先に現ずるを云也。蜘蛛かゝて喜事来り、鳱鵲鳴て客人来ると申て、小事すら験先に現ず。何況や大事をや。されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞也。涌出品は又此には似べくもなき大瑞也。故に天台云、雨の猛きを見ては龍の大きなる事を知、華の盛なるを見ては池の深き事を知と書れて候。妙楽云、智人は起を知り、蛇は自ら蛇を知と[云云]。
今日蓮も之を推して智人の一分とならん。去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戍亥の刻の大地震と、文永元年太歳甲子七月四日の大彗星。此等は仏滅後二千二百余年の間未だ出現せざる大瑞也。此大菩薩の此大法を持て出現し給べき先瑞歟。尺の池には丈の浪たたず、驢吟ずるに風鳴らず。日本国の政事乱れ万民歎くに依ては此大瑞現じがたし。誰か知ん、法華経の滅不滅の大瑞なりと。
二千余年の間悪王の万人に訾らるる。謀叛の者の諸人にあだまるる等。日蓮が失もなきに高きにも下きにも、罵詈毀辱刀杖瓦礫等ひまなき事二十余年也。唯事にはあらず。過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間罵詈せられしに相似たり。而も仏彼の例を引て云、我滅後の末法にも然るべし等と記せられて候に、近は日本、遠は漢土等にも、法華経の故にかゝる事有とは未聞。人は悪で是を云はず。我と是を云はば自讃に似たり。云ずば仏語を空くなす過あり。身を軽して法を重ずるは賢人にて候なれば申す。日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。国王の父母を殺すも、民が考妣を害するも、上下異なれども一因なれば無間におつ。日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑ふべきや。彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵れたり。日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり。彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ。此は未だ渇仰せず。不知、無数劫をや経ずらん不便也、不便也。
疑云、正嘉の大地震等の事は、去る文応元年太歳庚申七月十六日宿屋の入道に付て、故最明寺入道殿へ所奉勘文立正安国論には、法然が選択に付て日本国の仏法を失ふ故に、天地瞋をなし、自界叛逆難と他国侵逼難起るべしと勘へたり。此には法華経の流布すべき瑞なりと申す。先後相違有之歟如何。
答云汝能問之。法華経第四云而此経者如来現在猶多怨嫉。況滅度後等[云云]。同第七に況滅度後を重て説て云、我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提等[云云]。仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候。次下に又云、悪魔魔民諸天龍夜叉鳩槃荼等[云云]。行満座主見伝教大師云、聖語不朽今遇此人。我所披閲法門授与日本国阿闍梨等[云云]。今又如是。末法の始に流布妙法蓮華経五字日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊すべき時也。例せば下女が王種を懐妊すれば諸女瞋りをなすが如し。下賤の者に王頂の珠を授与せんに大難来らざるべしや。一切世間多怨難信の経文是也。
涅槃経云、聖人に難を致せば他国より其国を襲ふと[云云]。仁王経亦復如是取意。日蓮をせめて弥天地四方より大災雨の如くふり、泉の如くわき、浪の如く寄せ来るべし。国の大蝗虫たる諸僧等、近臣等が日蓮を讒訴する弥盛ならば大難倍来るべし。帝釈を射る修羅は箭還て己が眼にたち、阿那婆達多龍を犯さんとする金翅鳥は自ら火を出して自身をやく。法華経を持つ行者は帝釈・阿那婆達多龍に劣るべきや。章安大師云、壊乱仏法仏法中怨。無慈詐親即是彼怨等[云云]。又云為彼除悪即是彼親等[云云]。日本国の一切衆生は法然が捨閉閣抛と禅宗が教外別伝との誑言に誑されて、一人もなく無間大城に堕べしと勘へて、国主万民を憚からず、大音声を出して二十余年が間よばはりつるは、龍逢・比干の直臣にも劣るべきや。大悲千手観音の一時に無間地獄の衆生を取出すに似たる歟。火の中の数子を父母一時に取出さんと思ふに、手少なければ慈悲前後有に似たり。故に千手万手億手ある父母にて在すなり。爾前の経経は一手二手等に似たり。法華経は化一切衆生皆令入仏道と、無数手の菩薩也。日蓮は法華経並に章安の釈の如ならば、日本国の一切衆生の慈悲の父母也。天高けれども耳と(疾)ければ聞せ給らん。地厚けれども眼早ければ御覧あるらん。天地既に知食しぬ。又一切衆生の父母を罵詈するなり。父母を流罪するなり。此国此両三年が間の乱政は先代にもきかず。法に過てこそ候へ。
抑悲母の孝養の事仰せ遣され候。感涙難押。昔元重等の五童は五郡の異姓の他人也。兄弟の契をなして互に相背かざりしかば、財三千を重たり。我等親と云者なしと歎て、途中に老女を儲て母と崇めて、一分も心に違はずして二十四年也。母忽に病に沈で物いはず。五子天に仰て云、我等孝養の感無して母もの云ざる病あり。願くは天、孝の心を受給はば、此母に物いはせ給へと申す。其時に母五子に語て云、我は本是大原の陽猛と云ものの女也。同郡の張文堅に嫁す。文堅死にき。我に一の児あり。名をば烏遺と云き。彼が七歳の時、乱に値て行処をしらず。汝等五子に養はれて二十四年此事を語らず。我子は胸に七星の文あり、右の足の下に黒子あり、と語り畢て死す。五子葬をなす途中にして国令の行にあひぬ。彼人物記する嚢を落せり。此の五童が取れるになして禁め置れたり。令来て問云、汝等は何くの者ぞ。五童答云、上如言。爾時令上よりまろび下て、天に仰ぎ地に泣く。五人の縄をゆるして、我座に引上せて、物語して云、我は是烏遺也。汝等は我親を養ける也。此二十四年の間多くの楽みに値へども、悲母の事をのみ思出て楽みも楽しみならず。乃至大王の見参に入れて五縣の主と成せりき。他人集て他の親を養ふに如是。何況や同父同母の舎弟妹女等がいういうたるを顧みば、天も争か御納受なからんや。
浄蔵浄眼は法華経をもて邪見の慈父を導き、提婆達多は仏の御敵、四十余年の経経にて捨られ、臨終悪くして大地破て無間地獄に行しかども、法華経にて召還して天王如来と記せらる。阿闍世王は父を殺せども、仏涅槃の時、法華経を聞て阿鼻の大苦を免れき。例せば此佐渡国は畜生の如く也。又法然が弟子充満せり。鎌倉に日蓮を悪みしより百千万億倍にて候。一日も寿あるべしとも見えねども、各御志ある故に今まで寿を支へたり。是を以て計るに、法華経をば釈迦多宝十方の諸仏大菩薩供養恭敬せさせ給へば、此仏菩薩は各各の慈父悲母に日日夜夜十二時にこそ告させ給はめ。当時主の御おぼえのいみじくおはするも、慈父悲母の加護にや有らん。
兄弟も兄弟とおぼすべからず、只子とおぼせ。子なりとも梟鳥と申鳥は母を食ふ。破鏡と申獣の父を食んとうかがふ。わが子四郎は父母を養ふ子なれども悪くばなにかせん。他人なれどもかたらひ(語合)ぬれば命にも替るぞかし。舎弟等を子とせられたらば今生の方人、人目申計りなし。妹等を女と念はばなどか孝養せられざるべき。是へ流されしには一人も訪人もあらじとこそおぼせしかども、同行七八人よりは少からず。上下のくわて(資糧)も各の御計ひなくばいかがせん。是偏に法華経の文字の各の御身に入替らせ給て、御助あるとこそ覚ゆれ。何なる世の乱れにも、各各をば法華経・十羅刹助給へと、濕木より火を出し、乾土より水を儲けんが如く強盛に申也。事繁ければとどめ候。 日蓮[花押] 四條金吾殿[御返事]