義浄房御書(己心仏界鈔)
123 義浄房御書
御法門事委承候畢。法華経の功徳と申は唯仏与仏の境界、十方分身の智慧も及か不及かの内証也。されば天台大師も妙の一字をば、妙者妙名不可思議と釈し給て候なるぞ。前前御存知の如し。
然れども於此経重重の修行分れたり。天台妙楽伝教等計しらせ給法門也。就中伝教大師は天台の後身にて渡らせ給へども、人の不審を晴さんとや思食けん、大唐へ決をつかはし給事多し。されば今経の所詮は十界互具・百界千如・一念三千と云事こそゆゝしき大事にては候なれ。此法門は摩訶止観と申す文にしるされて候。
次に寿量品の法門は日蓮が身に取てたのみあることぞかし。天台伝教等も粗しらせ給へども言に出して宣給はず。龍樹天親等も亦如是。
寿量品の自我偈云一心欲見仏不自惜身命[云云]。日蓮が己心の仏界を此文に依て顕す也。其故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此経文なり。可秘可秘。
叡山の大師渡唐して此文の点を相伝し給処也。一者一道清浄義、心者諸法也。されば天台大師心字を釈云一月三星心果清浄[云云]。
日蓮云一者妙也。心者法也。欲者蓮也。見者華也。仏者経也。此五字を弘通せんには不自惜身命是也。一心に仏を見る。心を一にして仏を見る。一心を見れば仏也。無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越へ、龍樹迦葉にも勝れたり。
相構相構て心の師とはなるとも、心を師とすべからずと仏は記し給なり。法華経の御為に身をも捨、命をも惜まざれと強盛に申せしは是也。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 文永十年五月二十八日 日蓮[花押] 義浄房御返事