四條金吾殿御返事(煩悩即菩提)
105 四条金吾殿御返事
日蓮が諸難について御とふらひ(訪)、今にはじめざる志ありがたく候。法華経の行者としてかゝる大難にあひ候は、くやしくおもひ候はず。いかほど生をうけ死にあひ候とも、是ほどの果報の生死は候はじ。又三悪四趣にこそ候つらめ。今は生死切断し仏果をうべき身となればよろこばしく候。
天台・伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給すら、なを怨嫉の難にあひ給ぬ。日本にしては伝教より義真・円澄・慈覚等相伝して弘め給ふ。第十八代の座主慈慧大師なり、御弟子あまたあり。其中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜等と申て四人まします。法門又二に分れたり。檀那僧正は教を伝ふ、慧心僧都は観をまなぶ。されば教と観とは日月のごとし。教はあさく、観はふかし。されば檀那の法門はひろくしてあさし、慧心の法門はせばくしてふかし。今日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし。其故は彼の天台伝教等の所弘の法よりは一重立入たる故也。本門寿量品の三大事とは是也。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩_の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり。
経云諸仏智慧甚深無量[云云]。此経文に諸仏者十方三世一切諸仏、真言宗の大日如来、浄土宗の阿弥陀、乃至諸宗諸経の仏菩薩、過去未来現在の総諸仏、現在の釈迦如来等を諸仏と説き挙て、次に智慧といへり。此智慧とはなにものぞ、諸法実相十如果成の法体也。其法体とは又なにものぞ、南無妙法蓮華経是なり。釈云実相深理本有妙法蓮華経といへり。其諸法実相と云も釈迦多宝の二仏とならう(習)なり。諸法をば多宝に約し、実相をば釈迦に約す。是又境智二法也。多宝は境なり、釈迦は智なり。境智而二にしてしかも境智不二の内証なり。此等はゆゝしき大事の法門也。煩悩即菩提生死即涅槃と云もこれなり。まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経ととなふるところを、煩悩即菩提・生死即涅槃と云なり。生死の当体不生不滅とさとるより外に生死即涅槃はなきなり。普賢経云不断煩悩不離五欲得浄諸根滅除諸罪。止観云無明塵労即是菩提生死即涅槃。寿量品云毎自作是念以何令衆生得入無上道速成就仏身。方便品云世間相常住等は此意なるべし。如此法体と云も全く余には非ず、たゞ南無妙法蓮華経の事なり。
かゝるいみじくたうとき法華経を、過去にてひざ(膝)のしたにをきたてまつり、或はあなづり(蔑)くちひそみ(顰蹙)、或は信じ奉らず、或は法華経の法門をならうて一人をも教化し、法命をつぐ人を、悪心をもてとによせ、かくによせおこつきわらひ(謔弄)、或は後生のつとめなれども、先今生かなひがたければしばらくさしをけ、なんどと無量にいひうとめ、謗ぜしによ(依)て、今生に日蓮種々の大難にあうなり。諸経の頂上たる御経をひきく(低)をき奉る故によりて、現世に又人にさ(下)げられ用られざるなり。譬喩品に人にしたしみつくとも、人心にいれて不便とおもふべからずと説たり。
然るに貴辺法華経の行者となり、結句大難にもあひ、日蓮をもたすけ給事、法師品の文に遣化四衆・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷と説給ふ。此中の優婆塞とは、貴辺の事にあらずんばたれをかさゝむ。すでに法を聞て信受して逆はざればなり。不思議や、不思議や。若然ば日蓮法華経の法師なる事疑なき歟。則如来使にもにたるらん、行如来事をも行ずるになりなん。多宝塔中にして二仏並坐の時、上行菩薩に譲り給し題目の五字を日蓮粗ひろめ申なり。此即上行菩薩の御使歟。貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ。是豈流通にあらずや。法華経の信心をとをし給へ。
火をきるにやすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。あしき名さへ流す、況やよき名をや。何に況や法華経ゆへの名をや。女房にも此由を云ひふくめて、日月両眼さう(双)のつばさ(翼)と調ひ給へ。日月あらば冥途あるべきや、両眼あらば三仏の顔貌拝見疑なし。さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ん事、須臾刹那なるべし。悉は又々申べく候。恐惶謹言。 五月二日 日蓮[花押] 四条金吾殿 御返事