生死一大事血脈鈔
95 生死一大事血脈鈔
御状委細令披見候畢。夫生死一大事血脈者、所謂妙法蓮華経是也。其故は釈迦多宝二仏宝塔の中にして譲上行菩薩給、此妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も不離血脈也。
妙は死、法は生也。此生死の二法十界当体也。又此云当体蓮華也。天台云当知依正因果悉是蓮華之法[云云]。此釈に依正と云は生死也。生死有之因果又蓮華法事明けし。
伝教大師云生死二法一心妙用有無二道本覚真徳文。天地・陰陽・日月・五星・地獄乃至仏果、生死二法に非ずと云ことなし。如是生死も唯妙法蓮華経の生死也。
天台止観云起是法性起滅是法性滅[云云]。釈迦多宝二仏も生死の二法也。然者久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三全無差別解て、妙法蓮華経と唱奉る処を、生死一大事の血脈とは云也。此事但日蓮が弟子檀那等の肝要也。法華経を持とは是也。
所詮臨終只今にありと解て、信心を致して南無妙法蓮華経と唱る人を、是人命終為千仏授手令不恐怖不堕悪趣と説れて候。悦哉非一仏二仏非百仏二百仏千仏来迎し取手給はん事、歓喜の感涙難押。法華不信の者は其人命終入阿鼻獄と説れたれば、定て獄卒迎に来て手をや取候はんずらん。浅猿浅猿。
十王は裁断し、倶生神は呵責せん歟。今日蓮が弟子檀那等、南無妙法蓮華経と唱ん程の者は、千仏の手を授け給はん事、譬ば_夕顔の手を出すが如くと思食せ。過去に法華経の結縁強盛なる故に、現在に此経を受持す。未来に仏果を成就せん事不可有疑。
過去の生死、現在の生死、未来の生死、三世の生死法華経を不離切法華の血脈相承とは云也。謗法不信の者は即断一切世間仏種とて、仏に成べき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈無之也。
総じて日蓮弟子檀那等、自他彼此の心なく水魚の思を成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱奉る処を、生死一大事の血脈とは云也。然今日蓮が弘通する処の所詮是也。若然者、広宣流布の大願も可叶者歟。剰日蓮が弟子の中に異体異心の者有之、例せば城者として城を破るが如し。
日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて、仏に成る血脈を継しめんとするに、還て日蓮を種種の難に合せ、結句此嶋まで流罪す。而るに貴辺日蓮に随順し又難に値給事、心中思遺られて痛しく候ぞ。
金は大火にも不焼大水にも不漂不朽、鉄は水火共に不堪。賢人は如金愚人は鉄の如し。貴辺豈に非真金哉。法華経の金を持つ故歟。経云衆山之中須弥山為第一此法華経亦復如是。又云火不能焼水不能漂[云云]。過去の宿縁追来て今度日蓮が弟子と成り給歟。釈迦多宝こそ御存知候らめ。在在諸仏土常与師倶生よも虚事候はじ。
殊に生死一大事の血脈相承の御尋先代未聞の事也。貴貴。此文に委悉也。能能心得させ給へ。只南無妙法蓮華経、釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ。
火は焼照を以て為行、水は垢穢を浄るを以て為行、風は塵埃を払ふを以て為行、又人畜草木の為に魂となるを以て為行、大地は草木を生ずるを以て為行、天は潤を以て為行。妙法蓮華経の五字も又如是。本化地涌の利益是也。
上行菩薩末法今の時、此法門を弘んが為に御出現可有之由、経文には見え候へども如何候やらん。上行菩薩出現すとやせん、出現せずとやせん。日蓮先粗弘め候なり。相構相構強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈此より外に全く求ることなかれ。煩悩即菩提生死即涅槃とは是なり。
信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。委細之旨又又可申候。恐恐謹言。 文永九年壬申二月十一日 桑門 日蓮[花押] 最蓮房上人御返事