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顕謗法鈔

第一巻 定本番号 31 弘長2(1262) 分類: 真蹟曽存

祖寿: 41 著作地: 伊豆 伊東 真蹟: 身延山(曽) 

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    31  顕謗法鈔   
 本朝沙門 日蓮撰
第一明八大地獄因果、第二明無間地獄因果軽重、第三明問答料簡、第四明行者弘経用心。
第一明八大地獄因果者、第一等活地獄者、此閻浮提の地の下一千由旬にあり。此地獄は縦広斉等にして一万由旬なり。此中の罪人はたがいに害心をいだく。
若たまたま相見れば犬と猿とのあえるがごとし。各鉄の爪をもて互につかみさく。血肉既に尽ぬれば唯骨のみあり。
或は獄卒手に鉄杖を取て頭より足にいたるまで皆打くだく。身体くだけて沙のごとし。或は利刀をもて分々に肉をさく。然ども又よみがへりよみがへりするなり。
此地獄の寿命、人間の昼夜五十年をもて第一四王天の一日一夜として、四王天の天人の寿命五百歳。四王天の五百歳を此等活地獄の一日一夜として、其寿命五百歳なり。
此地獄の業因をいはゞ、ものゝ命をたつもの此地獄に堕つ。螻蟻蚊等の小虫を殺せる者も懺悔なければ必地獄に堕べし。譬へばはり(鍼)なれども水の上にをけば沈ざることなきが如し。
又懺悔すれども懺悔の後に重て此罪を作れば後の懺悔には此罪きえがたし。譬へばぬすみをして獄に入ぬるものゝ、しばらく経て後に御免を蒙て獄を出れども、又重て盜をして獄に入ぬれば出ゆるされがたきが如し。
されば当世の日本国の人は上一人より下万民に至まで、此地獄をまぬがるゝ人は一人もありがたかるべし。
何に持戒のおぼへをとれる持律の僧たりとも、蟻虱なんどを殺さず、蚊をあやまたざるべきか。況其外、山野の鳥鹿、江海の魚鱗を日々に殺ものをや。何況牛馬人等を殺者をや。
第二、黒縄地獄者、等活地獄の下にあり、縦広は等活地獄の如し。獄卒罪人をとらえて熱鉄の地にふせ(伏)て、熱鉄の縄をもて身にすみうて、
熱鉄の斧をもて縄に随てきりさきけづる。又鋸を以てひく。又左右に大なる鉄の山あり。山の上に鉄の幢を立て、鉄の縄をはり、罪人に鉄の山ををゝせて、縄の上よりわたす。
縄より落てくだけ、或は鉄のかなえ()に堕入てに(煮)らる。此苦上の等活地獄の苦よりも十倍なり。人間の一百歳は第二の利天の一日一夜也。其寿一千歳。
此天寿一千歳を一日一夜として、此第二の地獄の寿命一千歳なり。殺生の上に偸盜とて、ぬすみをかさねたるもの此の地獄にをつ。当世の偸盜のもの、ものをぬすむ上、物の主を殺もの此地獄に堕べし。
第三に衆合地獄者、黒縄地獄の下にあり。縦広は上の如し。多の鉄の山二つづゝ相向へり。牛頭・馬頭等の獄卒、手に棒を取て罪人を駈て山の間に入しむ。
此の時両の山迫来て合せ押す。身体くだけて血流て地にみつ。又種々の苦あり。人間の二百歳を第三の夜摩天の一日一夜として此天の寿二千歳。
此天の寿を一日一夜として此地獄の寿命二千歳なり。殺生・偸盜の罪の上、邪婬とて他人のつま(妻)を犯者此地獄の中に堕べし。而に当世の僧尼士女、多分は此罪を犯す。殊に僧にこの罪多し。
士女は各々互にまほり、又人目をつゝまざる故に此罪ををかさず。僧は一人ある故に、婬欲とぼし(乏)きところに、若有身、父ただされてあらはれぬべきゆへに、独ある女人をばをかさず。
もしやかくる(隠)ると、他人の妻をうかゞひ、ふかくかくれんとをもうなり。
当世のほかたうと(貴)げなる僧の中に、ことに此罪又多かるらんとおぼゆ。されば多分は当世たうとげなる僧此地獄に堕べし。
第四叫喚地獄者、衆合の下にあり。縦広同前。獄卒悪声出て弓箭をもて罪人をいる。又鉄の棒を以て頭を打て、熱鉄の地をはしらしむ。或は熱鉄のいりだな(煎架)にうちかへしうちかへし此罪人をあぶる。
或は口を開てわける銅のゆ(湯)を入れば、五臓やけて下より直に出。寿命いはば人間の四百歳第四の都率天の一日一夜とす。又都率天の四千歳也。
都率天の四千歳の寿を一日一夜として、此地獄の寿命四千歳なり。此地獄の業因をいはゞ、殺生・偸盜・邪婬の上、飲酒とて酒のむもの此地獄に堕べし。
当世の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆の大酒なる者、此地獄の苦免がたきか。大論には酒に三十六の失をいだし、梵網経には酒盂をすゝめる者、五百生に手なき身と生ととかせ給。
人師の釈にはみゝず(蚯蚓)ていの者となるとみへたり。況や酒をうりて人にあたえたる者をや。何況酒に水を入てうるものをや。当世の在家の人々この地獄の苦まぬがれがたし。
第五大叫喚地獄者、叫喚の下にあり。縦広前に同し。其苦の相上の四の地獄の諸苦十倍して重くこれをうく。
寿命の長短を云者、人間の八百歳は第五の化楽天の一日一夜なり。此天の寿八千歳なり。此天の八千歳を一日一夜として、此地獄の寿命八千歳なり。
殺生・偸盜・邪婬・飲酒の重罪の上妄語とてそらごとせる者此地獄に堕べし。当世の諸人設賢人上人なんどいはるゝ人々も、妄語せざる時はありとも、妄語をせざる日はあるべからず。
設日はありとも、月はあるべからず。設月はありとも、年はあるべからず。設年はありとも、一期生妄語せざる者はあるべからず。若しからば当世の諸人一人もこの地獄をまぬがれがたきか。
第六焦熱地獄者、大叫喚地獄の下にあり。縦広前にをなじ。此地獄に種々の苦あり。若此地獄の豆計の火を閻浮提にをけ(置)らんに、一時にやけ尽なん。
況罪人の身のなることわたのごとくなるをや。此地獄の人は前の五の地獄の火を見事雪の如し。譬へば人間の火の薪の火よりも鉄銅の火熱が如し。
寿命の長短は人間の千六百歳は第六の他化天の一日一夜として此天の寿千六百歳也。此天の千六百歳を一日一夜として、此地獄の寿命一千六百歳なり。
業因を云者、殺生・偸盜・邪婬・飲酒・妄語の上、邪見とて因果なしという者此中に堕べし。邪見者、有人云、人飢て死ぬれば天に生べし等[云云]。総じて因果をしらぬ者を邪見と申。
世間の法には慈悲なき者を邪見の者という。当世の人々此地獄を免がたきか。
第七大焦熱地獄者、焦熱の下にあり。縦広前の如し。前の六の地獄の一切の諸苦十倍して重く受なり。其寿命は半中劫なり。
業因云者、殺生・偸盜・邪婬・飲酒・妄語・邪見の上に浄戒の比丘尼ををかせる者、此中に堕べし。
又比丘・酒を以て不邪婬戒を持る婦女をたぼらかし、或は財物をあたへて犯せるもの此中に堕べし。当世の僧の中に多此重罪あるなり。
大悲経の文に、末代には士女は多くは天に生じ、僧尼は多は地獄に堕べしととかれたるはこれていの事か。心あらん人々ははづべしはづべし。
総じて上の七大地獄の業因は諸経論をもて勘え見るに当世日本国の四衆にあて見るに、此七大地獄をはなるべき人を見ず。又きかず。
涅槃経云、末代に入て人間に生せん者は爪上の土の如し。三悪道に堕るものは十方世界の微塵の如と説たり。
若爾者、我等が父母兄弟等の死ぬる人は皆上の七大地獄にこそ堕給ては候らめ。あさましともいうばかりなし。龍と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖人をば未見。
たゞをとにのみこれをきく。当世に上の七大地獄の業を造ざるものをば未見。又をとにもきかず。
而我身よりはじめて、一切衆生七大地獄に堕べしとをもえる者一人もなし。設言には堕べきよしをさえづれども、心には堕べしともをもわず。
又僧尼士女、地獄の業をば犯とはをもえども、或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ、或は阿弥陀仏等の仏を恃、或は種々の善根を修したる者もあり。
皆をもはく、我はかゝる善根をもてればなんど、うちをもひて地獄をもをぢず。或は宗々を習へる人々は、各々の智分をたのみて、又地獄の因ををぢず。
而仏菩薩を信たるも、愛子夫婦なんどをあいし、父母主君なんどをうやまうには雲泥なり。仏菩薩等をばかろくをもえるなり。
されば当世の人々の、仏菩薩を恃ぬれば、宗々を学したれば地獄の苦はまぬがれなんなんどをもえるは僻案にや。心あらん人々はよくよくはかりをもうべきか。
第八に大阿鼻地獄者、又は無間地獄と申なり。欲界の最底大焦熱地獄の下にあり。此地獄は縦広八万由旬なり、外に七重の鉄城あり。地獄の極苦且略之。
前の七大地獄並に別処の一切の諸苦を以て一分として、大阿鼻地獄の苦一千倍勝れたり。此地獄の罪人大焦熱地獄の罪人を見事、他化自在天の楽の如し。
此地獄の香のくさゝを人かぐ(嗅)ならば、四天下・欲界・六天の天人皆しゝなん。されども出山・没山と申山、此地獄の臭き気ををさえて、人間へ来らせざる故に、此世界の者死せずと見へぬ。
若仏此地獄の苦を具に説せ給はば、人聴て血をはいて死すべき故に、くわしく仏説給はずとみへたり。此無間地獄の寿命の長短は一中劫なり。
一中劫と申は、此人寿無量歳なりしが百年に一寿を減じ、又百年に一寿を減ずるほどに、人寿十歳の時に減ずるを一減と申。
又十歳より百年に一寿を増し、又百年に一寿を増する程に、八万歳に増するを一増と申。此一増一減の程を小劫として、二十の増減を一中劫とは申なり。
此地獄に堕たる者、これ程久無間地獄に住して大苦をうくるなり。業因云者、五逆罪を造る人此地獄に堕べし。
五逆罪申は一殺父、二殺母、三殺阿羅漢、四出仏身血、五破和合僧なり。今の世には仏ましまさず。しかれば出仏身血あるべからず。和合僧なければ破和合僧なし。
阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし。但殺父殺母の罪のみありぬべし。しかれども王法のいましめきびしくあるゆへに、此罪をかしがたし。
若爾者、当世には阿鼻地獄に堕べき人すくなし。但相似の五逆罪これあり。
木画の仏像・堂塔等をやき、かの仏像等の寄進の所をうばいとり、率兜婆等をきりやき、智人を殺しなんどするもの多し。
此等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕べし。されば当世の衆生十六の別処に堕もの多か。又謗法の者この地獄に堕べし。
第二明無間地獄因果軽重者、問云、五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕ことあるべしや。答云、誹謗正法の重罪なり。
問云、証文如何。答云、法華経第二云、若人不信毀謗此経乃至其人命終入阿鼻獄等[云云]。此の文に謗法は阿鼻地獄の業と見へたり。
問云、五逆と謗法と罪の軽重如何。答云、大品経云、舎利弗白仏言世尊五逆罪与破法罪相似耶。仏告舎利弗不応言相似。所以者何、若破般若波羅蜜則為破十方諸仏一切智一切種智
破仏宝故破法宝故破僧宝故。破三宝故則破世間正見。破世間正見О則得無量無辺阿僧祇罪。得無量無辺阿僧祇罪已則受無量無辺阿僧祇憂苦文。
又云、破法業・因縁集故無量百千万億歳堕大地獄中。此破法人輩従一大地獄至一大地獄。若劫火起時至他方大地獄中。如是十方彼間劫火起。故従彼死破法業・因縁未尽故還来是間大地獄中等[云云]。
法華経第七云四衆之中有生瞋恚心不浄者悪口罵詈言是無智比丘。或以杖木瓦石而打擲之。乃至千劫於阿鼻地獄受大苦悩等[云云]。
此経文の心は法華経の行者を悪口し、及杖以打擲せるもの、其後に懺悔せりといえども、罪いまだ滅ずして、千劫阿鼻地獄に堕たりと見えぬ。懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。
況や懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出る期かたかるべし。故に法華経第二云、見有読誦書持経者軽賤憎嫉而懐結恨。乃至其人命終入阿鼻獄具足一劫劫尽更生。如是展転至無数劫等[云云]。
第三明問答料簡者、問云、五逆罪と謗法罪との軽重はしんぬ。謗法の相貌如何。
答云、天台智者大師の梵網経の疏云謗者背也等[云云]。法に背が謗法にてはあるか。天親の仏性論云若憎背等[云云]。この文の心は正法を人に捨さするが謗法にてあるなり。
問云、委細に相貌をしらんとをもう。あらあらしめすべし。
答云、涅槃経第五云若有人言如来無常云何是人舌不堕落等[云云]。此文の心は仏を無常といはん人は舌堕落すべしと云云。
問云、諸の小乗経に仏を無常と説かるる上、又所化の衆皆無常と談き。若爾者、仏並に所化の衆の舌堕落すべしや。
答云、小乗経の仏小乗経の人が無常ととき談ずるは舌たゞれざるか。大乗経に向て仏を無常と談じ、小乗経に対して大乗経を破するが舌は堕落するか。
此をもてをもうに、をのれが依経には随えども、すぐれたる経を破するは破法となるか。
若爾者、設観経・華厳経等の権大乗経の人々、所依の経の文の如く修行すとも、かの経にすぐれたる経々に随はず、又すぐれざる由を談ぜば、謗法となるべきか。
されば観経等の経の如く法をえたりとも、観経等を破せる経の出来したらん時、其経に随ずば破法となるべきか。小乗経を以てなぞらえて心うべし。
問云双観経等に乃至十念即得往生なんどとかれて候が、彼のけう(経)の教の如く十念申て往生すべきを、後の経を以て申やぶらば、謗法にては候まじきか。
答云仏、観経等四十余年の経々を束て未顕真実と説せ給ぬれば、此経文に随て乃至十念即得往生等は実には往生しがたしと申。此経文なくば謗法となるべし。
問云或人云無量義経の四十余年未顕真実の文はあえて四十余年の一切の経々並に文々句々を皆未顕真実と説給にはあらず。
但四十余年の経々に処々に決定性の二乗永不成仏ときらはせ給、釈迦如来を始成正覚と説給しを、其言ばかりをさして未顕真実とは申なり。あえて余事にはあらず。
而をみだりに四十余年の文を見て、観経等の凡夫のために九品往生なんどを説たるを、妄に往生はなき事なり、なんど押申はあにをそろしき謗法の者にあらずや、なんど申はいかに。
答云、此料簡は東土の得一が料簡に似り。得一が云、未顕真実者決定性の二乗を、仏爾前の経にして永不成仏ととかれしを未顕真実とは嫌はるゝなり。
前四味の一切には亘べからずと申き。伝教大師は前四味に亘て文々句々に未顕真実と立給き。さればこの料簡は古の謗法の者の料簡に似り。但且汝等が料簡に随て尋明らめん。
問、法華已前に二乗作仏を嫌けるを今未顕真実というとならば、先決定性の二乗を仏の永不成仏と説せ給し処々の経文ばかりは、未顕真実の仏の妄語なりと承伏せさせ給か。
さては仏の妄語は勿論なり。若爾者、妄語の人の申ことは有無共に用ぬ事にてあるぞかし。
決定性の二乗永不成仏の語ばかり妄語となり、若余の菩薩凡夫の往生成仏等は実語となるべきならば、信用しがたき事なり。
譬へば東方を西方と妄語し申す人は西方を東方と申べし。二乗永不成仏と説く仏は余の菩薩の成仏をゆるすも又妄語にあらずや。五乗は但一仏性なり。
二乗の仏性をかくし、菩薩凡夫の仏性をあらはすは、返て菩薩凡夫の仏性をかくすなり。
有人云、四十余年未顕真実者、成仏の道ばかり未顕真実なり。往生等は未顕真実にはあらず。
又難云、四十余年が間の説の成仏を未顕真実と承伏せさせ給はば、双観経云不取正覚成仏已来凡歴十劫等の文は未顕真実と承伏せさせ給か。
若爾者、四十余年の経々にして法蔵比丘の阿弥陀仏になり給はずば、法蔵比丘の成仏すでに妄語なり。若成仏妄語ならば何の仏か行者を迎給べきや。
又かれ此難を通して云、四十余年が間は成仏はなし。阿弥陀仏は今の成仏にはあらず、過去の成仏なり等[云云]。
今難云、今日の四十余年の経々にして実の凡夫の成仏許れずは、過去遠々劫の四十余年の権経にても成仏叶がたきか。三世の諸仏の説法の儀式皆同が故也。
或云、不得疾成無上菩提ととかるれば、四十余年の経々にては疾こそ仏にはならねども、遅く劫を経てはなるか。
難云、次下の大荘厳菩薩等の領解云、過不可思議無量無辺阿僧祇劫終不得成無上菩提等と[云云]。此文の如ならば劫を経ても爾前の経計にては成仏はかたきか。
有云、華厳宗の料簡に云、四十余年の内には華厳経計は入べからず。華厳経にすでに往生成仏此あり。なんぞ華厳経を行じて往生成仏をとげざらん。
答云、四十余年の内に華厳経入べからずとは華厳宗の人師の義也。無量義経には正く四十余年の内に華厳海空と名目を呼出て、四十余年の内にかずへ入られたり。
人師を本とせば仏を背になりぬ。
問云、法華経をはなれて往生成仏をとげずば、仏世に出させ給ては但法華経計をこそ説給はめ。なんぞわづらはしく四十余年の経々を説せ給や。
答云、此難は仏自答給り。若但讃仏乗衆生没在苦破法不信故墜於三悪道等の経文これなり。
問云、いかなれば爾前の経をば衆生謗ぜざるや。
答云、爾前の経々は万差なれども、束て此を論ずれば随他意と申て衆生の心をとかれてはんべり。故に違する事なし。
譬へば水に石をなぐるにあらそう(争)ことなきがごとし。又しなしなの説教はんべれども、九界の衆生の心を出ず。
衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに、仏にはならざるか。
問云、衆生謗ずべきゆへに仏最初に法華経をとき給はずして、四十余年の後に法華経をとき給はば、汝なんぞ当世に権経をばとかずして、左右なく法華経をといて人に謗をなさせて悪道に堕すや。
答云、仏在世には仏菩提樹下に坐給て機をかゞみ給に、当時法華経を説ならば、衆生謗じて悪道に堕ぬべし。
四十余年すぎて後にとかば、謗ぜずして初住不退乃至妙覚にのぼりぬべし、と知見しましましき。末代濁世には当機にして初住の位に入べき人は万に一人もありがたかるべし。
又能化の人も仏にあらざれば、機をかゞみん事もこれかたし。されば逆縁順縁のために、先法華経を説べしと仏ゆるし給へり。
但又滅後なりとも、当機衆になりぬべきものには、先権経をとく事もあるべし。又悲を先とする人は先権経をとく、釈迦仏のごとし。
慈を先とする人は先実経をとくべし、不軽菩薩のごとし。又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免んことはかたかるべし。
同じく悪道に堕ならば、法華経を謗ぜさせて堕ならば、世間の罪をもて堕たるにはにるべからず。聞法生謗堕於地獄勝於供養恒沙仏者等の文のごとし。
此文の心は、法華経をはう(謗)じて地獄に堕たるは、釈迦仏・阿弥陀仏等の恒河沙の仏を供養帰依渇仰する功徳には百千万倍すぎたりととかれたり。
問云、上の義のごとくならば、華厳・法相・三論・真言・浄土等の祖師はみな謗法に堕べきか。華厳宗には華厳経は法華経には雲泥超過せり。法相三論もてかくのごとし。
真言宗には日本国に二の流あり。東寺の真言は法華経は華厳経にをとれり。何況大日経にをいてをや。
天台の真言には大日経と法華経とは理は斉等なり。印・真言等は超過せりと[云云]。此等皆悪道に堕べしや。
答云、宗をたて、経々の勝劣を判ずるに二の義あり。一は似破、二は能破なり。一に似破者、他の義は吉とをもえども此をは(破)す。かの正義を分明にあらはさんがためか。
二に能破者、実に他人の義の勝れたるをば弁えずして、迷て我義すぐれたりとをもひて、心中よりこれを破するをば能破という。
されば彼の宗々の祖師に似破・能破の二の義あるべし。心中には法華経は諸経に勝たりと思えども、且く違して法華経の義を顕んとをもひて、これをはする事あり。
提婆達多・阿闍世王・諸の外道が仏のかたきとなりて仏徳を顕し、後には仏に帰せしがごとし。又実の凡夫が仏のかたきとなりて悪道に堕る事これ多し。
されば諸宗の祖師の中に回心の筆をかゝずば、謗法の者悪道に堕たりとしるべし。三論の嘉祥・華厳の澄観・法相の慈恩・東寺の弘法等は回心の筆これあるか。よくよく尋ならうべし。
問云、まことに今度生死をはなれんとをもはんに、なにものをかいとひ、なにものをか願べきや。
答、諸の経文には女人等をいとうべしとみへたれども、双林最後の涅槃経云、菩薩雖見是身無量過患具足充満。為欲受持涅槃経故猶好将護不令乏少。
菩薩於悪象等心無恐怖。於悪知識生怖畏心。何以故是悪象等唯能壊身不能壊心。悪知識者二倶壊故。若悪象者唯壊一身。悪知識壊無量身無量善心。
為悪象殺不至三趣。為悪友殺必至三趣等[云云]。此経文の心は、後世を願はん人は一切の悪縁を恐べし。一切の悪縁よりは悪知識ををそるべしとみえたり。
されば大荘厳仏の末の四比丘は、自悪法を行じて、十方の大阿鼻地獄を経るのみならず、六百億人の檀那等をも十方の地獄に堕しぬ。
鴦崛摩羅は摩尼跋陀が教に随て、九百九十九人の指をきり、結句、母並仏をがいせんとぎ(擬)す。
善星比丘は仏の御子、十二部経を受持し、四禅定をえ欲界の結を断じたりしかども、苦得外道の法を習て、生身に阿鼻地獄に堕ぬ。
提婆が六万蔵八万蔵を暗じたりしかども、外道の五法を行じて現に無間に堕にき。阿闍世王の父を殺、母を害せんと擬せし、大象を放て仏をうしないたてまつらんとせしも悪師提婆が教なり。
倶伽利比丘が舎利弗・目連をそしりて、生身阿鼻に堕せし、
大族王の五竺の仏法僧をほろぼせし、大族王の舎弟は加湿弥羅国の王となりて、健駄羅国の率都婆・寺塔一千六百所をうしなひし、
金耳国王の仏法をほろぼせし、波瑠璃王の九千九十万人の人をころして血ながれて池をなせし、設賞迦王仏法を滅し菩提樹をきり根をほりし、
周の宇文王の四千六百余所の寺院を失ひ、二十六万六百余の僧尼還俗せしめし、此等皆悪師を信じ悪鬼其身に入し故也。
問云、天竺・震旦は外道仏法をほろぼし、小乗大乗をやぶるとみえたり。此日本国もしかるべきか。
答云、月支・尸那には外道あり、小乗あり。此日本国には外道なし、小乗の者なし。紀典博士等これあれども、仏法の敵となるものこれなし。
小乗の三宗これあれども、彼宗を用て生死をはなれんとをもはず。但大乗を心うる才覚とをもえり。但此国には大乗の五宗のみこれあり。
人々皆をもえらく、彼宗々にして生死をはなるべしとをもう故にあらそいも多いできたり又檀那の帰依も多あるゆへに利養の心もふかし。
第四弘法用心抄。夫仏法をひろめんとをもはんものは必五義を存して正法をひろむべし。五義者、一者教、二者機、三者時、四者国、五者仏法流布の前後。
第一教者、如来一代五十年の説教は大小権実顕密の差別あり。
華厳宗には五教を立て一代ををさめ、其中には華厳・法華を最勝とし、華厳・法華の中に華厳経を以第一とす。南三北七並華厳宗の祖師・日本国の東寺弘法大師此義なり。
法相宗は三時に一代ををさめ、其中深密・法華経を一代の聖教にすぐれたりとす。深密・法華の中法華経は了義経の中の不了義経、深密経は了義経の中の了義経なり。
三論宗に又二蔵・三時を立。三時中第三、中道教者、般若・法華なり。般若・法華の中には般若最第一なり。
真言宗には日本国に二の流あり。東寺流は弘法大師十住心を立て、第八法華・第九華厳・第十真言。法華経は大日経に劣るのみならず猶華厳経に下なり。
天台真言は慈覚大師等、大日経と法華経とは広略の異。法華経は理秘密、大日経は事理倶密なり。
浄土宗には聖道浄土、難行易行、雑行正行を立たり。浄土の三部経より外の法華経等の一切経は難行・聖道・雑行なり。
禅宗には二の流あり。一流は一切経・一切の宗の深義は禅宗なり。一流は如来一代の聖教は皆言説、如来の口輪の方便なり。禅宗は如来の意密、言説にをよばず教外の別伝なり。
倶舎宗・成実宗・律宗は小乗宗なり。天竺震旦には小乗宗の者、大乗を破事これ多し。日本国には其義なし。
問云、諸宗の異義區なり。一々に其謂ありて得道をなるべきか。又諸宗皆謗法となりて一宗計正義となるべきか。
答云、異論相違ありといえども皆得道なるか。仏滅後四百年にあたりて健駄羅国迦貳色迦王、仏法を貴み、一夏、僧を供し仏法をといしに一々の僧異義多。
此王不審して云、仏説は定て一ならん、終脇尊者に問。尊者答云、金杖を折て種々の物につくるに、形は別なれども金杖一なり。
形の異なるをば諍といへども、金たる事をあらそはず。門々不同なれば、いりかどをば諍ども、入理一なり等[云云]。
又求那跋摩云諸論各異端修行理無二。偏執有是非達者無違諍等[云云]。又五百羅漢の真因各異なれども同聖理をえたり。
大論の四悉檀の中の対治悉檀、摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣、此等は此の善を嫌、此の善をほむ。檀戒進等一々にそしり、一々にほむる、皆得道をなる。
此等を以これを思に、護法・清弁のあらそい、智光・戒賢の空・中、南三北七の頓漸不定、一時・二時・三時・四時・五時、四宗・五宗・六宗、天台の五時、
華厳の五教、真言教の東寺・天台の諍、浄土宗の聖道・浄土、禅宗の教外・教内、入門は差別せりというとも実理に入事は但一なるべきか。
難云、華厳五教、法相・三論三時、禅宗教外、浄土宗難行・易行、南三北七五時等、門はことなりといへども入理一にして、皆仏意に叶謗法とならずといはゞ、謗法という事あるべからざるか。
謗法と者法に背という事なり。法に背と申は、小乗は小乗経に背き、大乗は大乗経に背。法に背かばあに謗法とならざらん。謗法とならばなんぞ苦果をまねかざらん。
此道理にそむくこれひとつ。大般若経云謗般若者十方の大阿鼻地獄に堕べし。法華経云若人不信乃至其人命終入阿鼻獄。
涅槃経云世に難治の病三あり。一には四重、二五逆、三謗大乗なり。此等の経文あにむなしかるべき。此等は証文なり。
されば無垢論師・大慢婆羅門・熈連禅師・嵩霊法師等は正法を謗じて、現身大阿鼻地獄に堕、舌口中に爛たり。これは現証なり。
天親菩薩は小乗の論を作て諸大乗経をはしき。後に無著菩薩に対して此罪を懺悔せんがために舌を切とくい給き。謗法もし罪とならずんば、いかんが千部の論師懺悔をいたすべき。
闡提者、天竺の語、此には不信と翻す。不信者、一切衆生悉有仏性を信ぜざるは闡提人と見へたり。
不信者、謗法の者なり。恒河の七種の衆生の第一は一闡提謗法常没の者。第二五逆謗法常没等の者なり。あに謗法ををそれざらん。
答云、謗法者、只由なく仏法を謗ずるを謗法というか。我宗をたてんがために余法を謗ずるは謗法にあらざるか。
摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣者、仮令人ありて一生の間一善をも修せず但悪を作る者あり。而小縁にあいて何の善にてもあれ一善を修せんと申。これは随喜讃歎すべし。
又善人あり、一生の間たゞ一善を修す。而を他の善えうつさんがためにそのぜんをそしる。於一事中或呵或讃という、これなり。
大論の四悉檀の中の対治悉檀又これをなじ。浄名経の弾呵と申は阿含経の時ほめし法をそしるなり。
此等を以てをもふに、或は衆生多小乗の機あれば、大乗を謗て小乗経に信心をまし、或は衆生多大乗の機なれば、小乗をそしりて大乗経に信心をあつくす。
或は衆生弥陀仏に縁あれば、諸仏をそしりて弥陀に信心をまさしめ、或は衆生多地蔵に縁あれば諸菩薩をそしりて地蔵をほむ。
或は衆生多華厳経に縁あれば、諸経をそしりて華厳経をほむ。或は衆生大般若経に縁あれば、諸経をそしりて大般若経をほむ。
或衆生法華経、或衆生大日経等、同心うべし。機を見て或讃或毀、共に謗法とならず。而を機をしらざる者、みだりに或讃或呰は謗法となるべきか。
例せば華厳宗・三論・法相・天台・真言・禅・浄土等の諸師の諸経をはして我宗を立は謗法とならざるか。
難云、宗を立に諸経諸宗を破し、仏菩薩を讃に仏菩薩を破し、他の善根を修せしめんがためにこの善根をはする、
くるしからずば、阿含等の諸の小乗経に華厳経等の諸大乗経をはしたる文ありや。華厳経に法華・大日経等の諸大乗経をは(破)したる文これありや。
答云、阿含小乗経に諸大乗経をはしたる文はなけれども、華厳経には二乗・大乗・一乗をあげて二乗・大乗をはし、涅槃経には諸大乗経をあげて涅槃経に対してこれをはす。
密厳経には一切経中王と説き、無量義経には四十余年未顕真実ととかれ、阿弥陀経には念仏に対して諸経を小善根ととかる。これらの例一にあらず。
故に又彼の経々による人師、皆此義を存せり。此等をもて思に、宗を立方は我宗に対して諸経を破はくるしからざるか。
難云、華厳経には小乗・大乗・一乗とあげ、密厳経には一切経中王ととかれ、涅槃経には是諸大乗とあげ、阿弥陀経には念仏に対して諸経小善根とはとかれたれども、
無量義経のごとく四十余年と年限を指、其間の大部の諸経、阿含・方等・般若・華厳等の名をよびあげて勝劣をとける事これなし。
涅槃経の是諸大乗の文計こそ、双林最後の経として是諸大乗ととかれたれば、涅槃経には一切経は嫌るかとをぼう(覚)れども、
是諸大乗経と挙て、次下に諸大乗経を列たるに、十二部修多羅・方等・般若等とあげたり。無量義経・法華経をば載せず。
但無量義経に挙るところは四十余年の阿含・方等・般若・華厳経をあげたり。いまだ法華経・涅槃経の勝劣はみへず。
密厳に一切経中王とはあげたれども、一切経をあぐる中に華厳・勝鬘等の諸経の名をあげて一切経中王ととく。
故に法華経等とはみへず。阿弥陀経の小善根は時節もなし小善根の相貌もみへず。たれかしる、小乗経を小善根というか。又人天の善根を小善根というか。
又観経・双観経の所説の諸善を小善根というか。いまだ一代を念仏に対して小善根というとはきこえず。
又大日経・六波羅蜜経等の諸秘教の中にも、一代の一切経を嫌てその経をほめたる文はなし。
但無量義経計こそ前四十余年の諸経を嫌、法華経一経に限て、已説の四十余年・今説の無量義経・当説の未来にとくべき涅槃経を嫌て法華経計をほめたり。
釈迦如来・過去現在未来の三世の諸仏、世にいで給て各々一切経を説給に、いづれの仏も法華経第一なり。例せば上郎下郎不定なり。
田舎にしては、百姓郎従等は侍を上郎といふ。洛陽にして、源平等已下を下郎といふ。三家を上郎といふ。又主を王といはば百姓も宅中の王なり。
地頭・領家等又村郷郡国の王なり。しかれども大王にはあらず。小乗経には無為涅槃の理王なり。小乗の戒定等に対して智慧は王なり。諸大乗経には中道の理王なり。
又華厳経は円融相即の王、般若経は空理の王、大集経は守護正法の王、薬師経は薬師如来の別願を説く経の中の王、
双観経は阿弥陀仏の四十八願を説く経の中の王、大日経は印真言説経の中の王、一代一切経の王にはあらず。
法華経は真諦俗諦・空仮中・印真言・無為理・十二大願・四十八願、一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり。これ教をしれる者なり。
而を善無畏・金剛智・不空・法蔵・澄観・慈恩・嘉祥・南三北七・曇鸞・道綽・善導・達磨等の、我が所立の依経を一代第一といえるは教をしらざる者なり。
但一切の人師の中には天台智者大師一人教をしれる人なり。曇鸞・道綽等の聖道浄土・難行易行・正行雑行は、源と十住毘婆沙論に依。彼本論に難行の内に法華真言等を入と謂は僻案なり。
論主の心と論の始中終をしらざる失あり。慈恩深密経の三時に一代ををさめたる事、又本経の三時に一切経の摂ざる事をしらざる失あり。
法蔵・澄観等が五教に一代ををさむる中に、法華経・華厳経を円教と立、又華厳経は法華経に勝たりとをもえるは、
所依の華厳経に二乗作仏・久遠実成をあかさゞるに記小・久成ありとをもひ、華厳超過の法華経を我経に劣と謂は僻見也。
三論の嘉祥二蔵等、又法華経に般若経すぐれたりとをもう事は僻案也。善無畏等大日経は法華経に勝たりという。法華経の心をしらざるのみならず、大日経をもしらざる者なり。
問云、此等皆謗法ならば悪道に堕たるか如何。答云、謗法に上中下雑謗法あり。慈恩・嘉祥・澄観等が謗法は上中の謗法か。其上自身も謗法としれるかの間、悔還筆これあるか。
又他師をはするに二あり。能破・似破これなり。教はまさりとしれども、是非をあらはさんがために、法をはす、これは似破なり。
能破者、実にまされる経を劣とをもうてこれをはす、これは悪能破なり。又現にをとれるをはす、これ善能破なり。
但脇尊者金杖の譬は、小乗経は多といえども同苦・空・無常・無我の理なり。諸人同此の義を存じて、十八部・二十部相諍論あれども、但門の諍にて理の諍にはあらず。
故に共に謗法とならず。外道が小乗経を破するは、外道の理は常住なり、小乗経の理は無常なり空なり。故に外道が小乗経をはするは謗法となる。大乗経の理は中道なり。
小乗経は空なり。小乗経の者大乗経をはするは謗法となる。大乗経の者小乗経をはするは破法とならず。諸大乗経の中の理は未開会の理、いまだ記小久成これなし。
法華経の理は開会の理、記小久成これあり。諸大乗経の者が法華経をはするは謗法となるべし。法華経の者の諸大乗経を謗するは謗法となるべからず。
大日経真言宗は未開会、記小久成なくば法華経已前なり。開会・記小・久成を許さば涅槃経とをなじ。
但善無畏三蔵・金剛智・不空・一行等の性悪の法門・一念三千の法門は天台智者の法門をぬすめるか。若爾者、善無畏等の謗法は似破か又雑謗法か。
五百羅漢の真因は小乗十二因縁の事なり。無明・行等を縁として空理に入と見へたり。門は諍ども謗法とならず。
摂論四意趣・大論四悉檀等は、無著菩薩・龍樹菩薩滅後の論師として、法華経を以一切経の心をえて四悉・四意趣等を用て爾前の経々の意を判なり。
未開会の四意趣・四悉檀と開会の四意趣・四悉檀を同ぜば、あに謗法にあらずや。此等よくよくしるは教をしれる者なり。
四句。一信而不解二解而不信三亦信亦解四非信非解。問云信而不解之者謗法歟。答云法華経云以信得入等[云云]。涅槃経九云。
難云涅槃経三十六云我於契経中説有二種人謗仏法僧。一者不信瞋恚心故二者雖信不解義故。善男子若人信心無有智慧是人則能増長無明。若有智慧無有信心是人則能増長邪見。
善男子不信之人瞋恚心故説言無有仏法僧宝。信者無慧顛倒解義故令聞法者謗仏法僧等[云云]。此二人之中信而不解者説謗法如何。
答云此信而不解者涅槃経三十六恒河之七種之衆生之第二者説也。此第二之者涅槃経聞一切衆生悉有仏性之説雖信之而又不信者也。
問云如何雖信而不信乎。答云聞一切衆生悉有仏性之説雖信之又心寄爾前之経一類衆生云無仏性者也。此信而不信者也。
問云証文如何。答云説恒河第二衆生云経云得聞如是大涅槃経生於信心。是名為出。又云雖信仏性是衆生有不必一切皆悉有之。是故名為信不具足文。
如此文者口雖信涅槃心存爾前之義者也。又説此第二人云信者無慧顛倒解義故等[云云]。顛倒解義者得実経之文覚権経之義者也。
問云信而不解得道之文如何。答云涅槃経三十二云此菩提因雖復無量若説信心已摂尽[文]。
九云聞此経已悉皆作菩提因縁。法声光明入毛孔者必定当得阿耨多羅三藐三菩提等[云云]。法華経云以信得入等[云云]。問云解而不信者如何。答恒河第一者也。
問云証文如何。答云涅槃経三十六説第一云有人聞是大涅槃経如来常住無有変易常楽我浄終不畢竟入於涅槃一切衆生悉有仏性一闡提人。
謗方等経作五逆罪犯四重禁必当得成菩提之道。須陀人・斯陀含人・阿那含人・阿羅漢人・辟支仏等必当得成阿О菩提。聞是語已生不信心等[云云]。
問云此文見不信。不見解而不信如何。答云第一結文云若有智慧無有信心是人則能増長邪見[文]。