成仏法華肝心口伝身造鈔
32 成仏法華肝心口伝身造鈔
夫此身は即十法界なれば法華経也。法華経者二十八品也。二十八品者二十八宿也。二十八宿者即此身也。此身者二十五有也。あびらうんけん。此五大種子、各五大を具する故に二十五有也。二十五有の衢に迷ふと云は、此五五二十五の不覚也。二十五有は六道也。是を悟れば即我身十界常住の法性也。此無明法性同体の有様なり。是を能能得意我身即妙覚果満の仏也。此身八万四千毛孔は法華経十軸の文字也。普賢経・無量義経を除ては六万九千三百八十四字也。普賢・無量を加ては八万四千毛孔と云也。二十八品は以我身成ずる故に、此法華経の文字一一に毛孔と成也。此六万九千三百八十四字併真仏也。穴に一一に虫あり。此身悟れば此虫一一に法華の正体なるが故に仏界と成也。故に八万四千字也。六万九千の継節は此法華経の正体を云なり。故に法華経を持つと云は我身を持つと云事なり。即身成仏とは是也。
故に我等迹門利益妙故于今此を不悟、大悲門方便、本門妙覚には不昇故法華経体不悟、我身を迷と思也。是則迹門大悲門也。本門大智門時は、無作三身理に帰して本有十界を顕す時、我身は法華経二十八品にて有けりと悟る也。是無作三身を以て可得意也。六根者六道也。此迷へば又六道に迷ふ、此を悟れば皆本有の六道也。此六道者六即也。天台の自解仏乗と名乗給は、即此身を悟て円宗の観心を六根六即と立給也。六根融通の様を人にしらするに、六六三十六始中終平等に具足するを称妙法蓮華経也。故三賢十聖は大乗階級、六即次位円宗実位と釈し給なり。即故一也、六故六也と釈し給ふ。此は智証の釈也。即故一者本理なるが故に如是釈し給へり。六根名別故に六とも釈し給なり。眼根は餓鬼道也、耳根は畜生道也、鼻根は修羅道也、舌根は人道也、身根は地獄道也、意根は天道也。此六根常時に心に起るが故に心常不安。殺生の業起れば偸盗の業も起る、乃至貪嗔の心も起る也。是皆十界の形色内心に具する故也。乃至道心もあり、施者の心もあり、是皆仏菩薩性に常にある故也。此心の闘ふ程は無明と同体也。是を妄心と名く。覚本有十界時は、地獄界も畜生界も皆悉本理同じき故に法性と同体也。第九識法性の郷を出て、第八識に下て無明と法性と交雑し、前五識に下て分別の性を致す時、二が鼻を並べて下るが故に随縁真如とは名くる也。是則無明同体也。此心、又第九識に進んで本理妙覚にかなふ時、法性同体なる故に不変真如と名くる也。
然るに此身の毛は草也、爪は是木也。故に草木成仏とは、此身の成仏を以て云也。故に諸経論に道樹の釈迦成仏を以て、依正不二の成仏と云也。又草木成仏の証拠とも云也。迦利陀と云は毛也、伊利陀と云は爪也。故止観に是を草木成仏と云也。此身成仏すれば八万四千毛孔、皆金色仏也。故に身土の成仏を以て草木成仏と云也。此草木成仏が至極の大事也。然れば草木成仏の証人は地涌菩薩を以て正意とすと云習有之。此事日蓮兼て存知せり。上行の垂迹と名乗、末法の始五百年に出る人を、草木成仏の証人と云べき歟。劫初の一切の草木を蓮華と云也。天台大師云当知依正因果悉是蓮華之法云云。問云法華経草木成仏と云証文如何。答云予己心に所秘稟承文有之。所謂妙法蓮華経是也云云。此五字の中の蓮華二字を草木成仏と云事也。又案之草木根本本覚如来本有常住妙体也。雖然我等が一念の妄心に依て迷五道故、乃至木とも見草とも見也。此妄心を翻して帰本覚立還て見れば、本有常住の草木にて有けるを、我等が迷て極悪不善の草木と見也。此故に此身の成仏を以て草木成仏とも云也。依正不二の成仏とも云也。身則成仏すれば国土も寂光也、五道も亦本有也、草木も亦本有也。故一人一切人とも釈し、乃至一断一切断ともいひ、一地一切地とも云也。是又異心成仏同とも云也。是は安然の私義也。可秘之。
又皮・肉・骨の三は三観也。皮者空観也肉者仮観也骨者中観也(あびけん)三字也。又是三重の無明也。是を悟らざれば三重の無明とも思ひ、妄染の身とも顕るる。此時本有三身と云事を此肉身即法華の正体の故に、三身共に経の体となると云事をば可得意也。但中為経体の釈に至ては始中を分て云ば、骨は即終心故に立妙覚、中心即等覚始心は初地也。故果徳の妙覚を以て経の正体と釈し給歟。是一経の教相也。不相違。又不思議三諦此身併法華二十八品なり。故三諦共に不思議と云也。本有常住の皮・肉・骨なる故、此を中為経体の論義の詮とす。仍不相違歟。抑不思議の三諦とは南無妙法蓮華経是也。又皮・肉・骨三法・報・応の三身但此五字七字也。又五大種子を以て我等が身に当る事は何ぞ。我等が身は六道なり、六道は五道也、修羅は開合也。山王院大師五道と定め給へり、故に五輪也。(あ)字を以て足腰の節に当。其故は(あ)字本不生阿字法本正体也、一切本也、故是当両足。両足は照了分別の性本也。立て遊行するに無所不見故なり。(び)字を以て腰の節より鳩尾胸に当。是即水輪也。(ら)字を以て頸の骨までに当。火輪也。頸より髪際に至ては風輪也。(うん)字に配。髪は即空輪、(けん)字也。如是我心に具足せり。悟らざる時は即性徳五智也、悟る時は修徳五智也。修徳の五智を顕せば、一仏四菩薩の五大となる、是五智如来也。是に迷へば五道也、是を悟れば本有の五輪也。二十五有と云、六道と云、五道と云、六根と云、六即と云も、五輪と云も、法華経と只一也。是を不悟程は、無明法性雑する故に如眠。此夢を翻せば法性同体と成を不変真如と云也。
左右の十指は十界也。其節は二十八品也。未敷蓮華印結べば和合の八葉等也。八葉を開けば即十界也。是則二十八品也。又二十八宿也。右の手は地獄等の五道也、左の手は仏菩薩等の五道なり。又十波羅蜜は十地也。此十界和合するを以て合掌とす。是則十界を五道に畳む心也。是を開けば十界也。悟れば五道本有の十界も顕るる也。又五道も顕れ、法華経の体をも顕す。法華経二十八品顕れぬれば、本より生死の二苦あることなし。三界は皆寂光也、故豈離伽耶別求常寂非寂光外別有娑婆と釈す。此身自ら六道に下る。是又衆生化度の為也。其故如是随縁して此一身成仏すれば、此界悉成仏す。成仏して化衆生、不成仏者一人もなし。即生一切皆入也、故衆生化度と云也。故に伝教大師は此事を釈し給ふ時、三世不断下三世不断寂。三世不断下とは、第九識より随縁して無明同体と成て真如を忘るる妄心也。三世不断寂とは、其妄心を翻へして法性同体となり、次第に進んで第九識の本理にかなふを云也。故に出時頂無明出寂時蹈無明寂と釈し給へり。秘文也。穴賢穴賢。
無明をいただいて出とは、法性の宮より縁にひかれて無明をいただいて下り、第八識の無明に薫ずる故に頂出とは釈し給也。蹈無明寂とは、無明の妄心を翻へして無明が法性にて有と覚て、第九識本理にかなふ故に無明を蹈で寂すとは釈し給也。足の十指は十如也。如是表する事は先徳大師の御筆也。是を疑ふべからず。十指は十界也、足千如是百界千如也。依之三世間に約して三千の法門也。故に百界千如三千の法門此身に有之也。如此名目は人ごとに云といへども、事に観ずる事無之。故に理具法門也。今日蓮末法の始の五百年に書顕奉る也。南無妙法蓮華経は法性也。日本国の一切衆生は無明也、終に法性をいただいて寂すべき也。不信の者は法性を蹈無明を頂いて下る。経云若人不信毀謗此経乃至其人命終入阿鼻獄と是也。日蓮法華を不信時は法性をふむ、此故に流罪死罪の種種の大難にあふ。今は法華の行者にもやあるらん。経云我有大乗名妙法蓮華経と。此等の事極秘也。大師先徳の亀鏡にて有之。本門寿量品の事の一念三千の法門此外に尋る事なかれ。穴賢[云云]。
二人相伝せず。成仏法華肝心口伝身造の法門也。一代所詮此事也。此書人に伝へば起請文を三度可書也。不然不可伝之。秘中秘密也。但富木殿方方如申可有御受持候。経云如是相如是性如是体如是力如是作如是因如是縁如是果如是報如是本末究竟等[云云]。又云妙法蓮華経方便品[云云]。種・熟・脱の三益の法門深く口伝すべし。上行菩薩出現して弘給べき法門也。先先日蓮顕之也。委細は期面謁之時候。恐恐謹言。
建治元年十二月三日 [花押]
大田入道殿
曽谷殿
富木殿
建治元年十二月三日 [花押]
大田入道殿
曽谷殿
富木殿