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法華大綱鈔

第三巻 定本番号 3 文永3(1266) 分類: その他

祖寿: 45 

   21   法華大綱鈔
凡仏法を信ずる人仏経二可明也。然当世諸宗眉組轡並べて、各我所立こそ実なれと諍ども、皆仏御本意背けり。先念仏申人、是より西方十万億仏土を過て極楽世界の阿弥陀仏四十八願を発、我等道引給と浄土三部経見たりとて、彼仏憑可往生由を立たり。又禅宗毘盧頂上蹈とて、釈尊と三世諸仏あなづり奉、仏祖不伝立たり。又真言宗本師たる釈迦あなづり奉、応迹たる大日摩訶衍仏云て、余尊勝て貴き仏と立て、釈迦ろご(驢牛)の三身下し奉る。是則釈尊御出世本懐背、諸仏本意をも不知。其故法華経第二譬喩品云今此三界皆是我有云云。是三界日本国は釈尊の御領也。其御領の住人釈尊を主憑み奉るべきなり。其中衆生悉是吾子云り。是我等衆生釈尊の御子なり宣給へり。故釈尊我等衆生の親にて御座候。又唯我一人能為救護と云。是釈尊我等衆生を一人して救ふべしと誓ひ給へり。故釈尊我等衆生師匠にて御座候也。
此譬喩品の文釈尊我等衆生の為には、主・師・親三徳を備へ給ふ慈悲深重の仏にて、此土の有縁の仏にて御座候。然弥陀・薬師・大日等仏は加様の深縁をば此土の衆生には結給はず。故法華宗釈尊を信じ奉り候。さて余仏不信事、世の礼法にも我憑むところの主余人主より劣れども、恩深主をば争可背、乃至親・師匠如是なるべし。其上阿弥陀四十八願、薬師十二大願、観音三十三身、妙音三十四身、普賢十願、皆衆生利益の為也。殊更釈尊五百大願深して、五百塵点劫の昔より影の形に随ふが如くし、我等付随機縁御志不浅。されば法華経第五提婆品三千大千世界に芥子一粒計りも釈尊の御身捨給ざる処なしと説給へり。是我等衆生を導給ふべき方便を廻して、如是難行苦行御恩を忘て御恩なき余仏を信じ申べき歟。其上阿弥陀の四十八願の内にも、五逆罪者と法華経誹謗者をば可除と捨給へり。涅槃経文には親そむく五逆罪すら地獄堕と説れたり。所詮、釈尊に背き奉れば主・師・親の三そむく。故自二十逆罪を不作犯す科なれば、不知不計あみだにも捨られまいらせて、無間地獄一定也。
又禅宗加様の事をば不知、謂己均仏云て未断惑凡夫して仏同位なりと申、天魔所為也。されば涅槃経若有不随順仏所説者当知是人是魔眷属云云。又真言宗大日如来何世界仏名ぞや。若三界内の教主ならば世無二仏道理を不知宗也。凡世無二仏国無二主道理一代経論をきて也。所詮、主・師・親の釈尊を信じ申べき歟、御恩深釈尊を捨申んや。何付べきや。加様申をば諸宗の人人他仏菩薩を毀ると思へり。全其義には非ず、只道理令然也。世間親・主忠孝致す者をば余人是を讃るが如し。釈尊崇め申せば弥陀・薬師の御本意にも自ら叶ひ申事候。
次一代聖教は釈尊五十年間説給へり。所謂華厳経三七日、阿含経十二年、方等・般若経合三十年、法華経八ケ年説給御経也。其経々仏御入滅後、阿難尊者多羅葉に書記し給。其内唐土両度渡ところの目録あり。貞元年中七千三百五十九巻定、開元年中五千四十八巻記せり。此経の勝劣を凡夫としては難存候、釈尊我と勝劣を押分給候。法華経第四巻我為仏道於無量土従始至今広説諸経而於其中此経第一御説候。但諸経にも此経第一見たれども、法華経のごとく釈尊御一期の始中終を取上て其中第一不見。但諸経第一当分第一也。我々の主をば分々従類眷属は殿といへども、関白殿対して殿といはざるが如し。若関白殿対して殿といはば、やがて誅滅せらるべし。其如方便たる諸経を経王の法華対して肩を並べん者、以の外の誤なるべし。されば法華経の序分無量義経四十余年未顕真実説て、浄土の三部経・真言の三部禅宗の法門皆四十余年内の経、実をば不説皆虚事なりと説き給、八箇年の法華経をば要当説真実皆成仏無疑と説、無二亦無三除仏方便説宣給て、一切衆生皆成仏の法此経限て信ずべし不成仏の四十余年の諸経を捨べしと申経文誰疑ひ申べき。譬柿本人丸、ほのぼのとあかしのうらのあさぎりに島がくれ行舟をしぞおもふと、此歌を以て一期間肝心定らるるを、今時歌人此歌より勝れたる歌ありと申んはうたてかるべし。此如く釈尊五十年の御説法押分て権実勝劣・成仏不成仏を定て末世の修行法華経第一の良薬一切衆生皆成仏道と教、諸の余教は権教虚妄の法、不成仏の方便なれば除捨定め給を、今時権実勝劣をも不分、仏説なれば何貴と申んは、大なる誤なるべし。
又仏の御出世法華経説給はんが御本意也。されば始よりこそ説給ふべきに、所化の機いとけなきに依て、機の所望随て与給法なれば方便と申。譬人の親の子幼なき時よき馬にのせ、重代太刀持せたけれどもあやまちあるべき故、先木刀ささせ、竹馬にのせ、成人して後よき具足を授がごとし。さればとて成人の時竹馬・木刀を与ふべきや。是全く親の虚事あらず、只幼き子すかさんが為也。如是釈尊法華已前所化の機根未熟の故に根機を調へんがために、念仏・真言・禅等竹馬木刀を授給へども、機根純熟して後重代太刀可持時已前木刀をば捨よと云が如く、法華経の時至て法華已前諸経を正直捨方便と説給事、更仏の御科あらず、只我等を扶んと思食御慈悲也。若此念仏・真言・禅宗執心なし給、成人後、竹馬・木刀を帯して戦場臨んが如し。
就中悪人と女人とは諸経にて嫌捨られしを、法華経にてやすやすと仏なし給へり。其故提婆法華以前にして具五逆を犯せし故、王舎城の北門ふみ破て無間地獄堕ぬ。女人五障三従と嫌れて、或三千大千世界の男煩悩を集て女人一人の罪とも嫌ひ、或は一度女人を見ては永三途の業を結ぶと説、或三世諸仏眼は大地におつるとも法界の女人全く仏なるべからずとも宣、或女人は地獄使、能断仏種子と禁め給、悪人捨られて成仏道には不入処に、法華経来龍女成仏法界の女人の成仏の道ふみ分たり。提婆達多地獄を転じて天王如来となると、法華経五巻提婆品説給へり。されば和泉式部爾前にて捨られし女が、此経にて仏なるを歌詠しに、二なく三なき法ときく時は五つの障りあらじとぞおもふと読り。是付ても乃至於一偈皆成仏無疑の経文任せて、南無妙法蓮華経と信心強盛に唱へ申て速かに成仏給べきなり。提婆品此経疑不生信ずる者の事を説て云於未来世中若有善男子善女人聞妙法華経提婆達多品浄心信敬不生疑惑者不堕地獄餓鬼畜生生十方仏前。所生之処常聞此経若生人天中受勝妙楽若在仏前蓮華化生[云云]。如此文信心強盛法華経不為疑信ずる行者誠に後生たのもしく候。さて疑なして不信者をば、生疑不信者即当堕悪道と説、三悪道堕無数劫経んと説て候。所詮、此経を信じて仏に成給べきや、背て地獄堕給べきや。
但何れも後生をば願ふ故、各宗旨たづね取取説教を信じ候へども、法華経より外経教竹馬・木刀虚妄にて、後生成仏の重宝に非ず。たまたま法華経を信ずる故成仏の行とはならで、返て悪道の根源となり候。されば伝教大師秀句褒美前代政道成毀当時成敗。依憑爾前諸経可成今経怨敵。幼稚の者の為には閣金銀珠玉与竹馬草鶏。全非父母本意且為養育方便也。又云雖讃法華経還死法華心[云云]。随我等人界生事まれなる様龍樹大論宣べられ候。大海八万四千由旬底針を立、大風の吹ん時利天より絲を下して、針の耳つらぬく不思議はありとも、人間生を受る事ありがたしと宣給。既是程難受身を受て、今度仏法の善悪不知、悪師の邪法を行じて最第一の法華経不信、三途の黒闇の古里還て永劫流転事、歎の中のなげき也。其上南浮不定申て、我等が命は電光朝露の如く、又蜉蝣の朝に生じて夕に死するがごとし。されば張良・樊とて武士の手本となりしも、凡其名計のこり、其形をば留めざりき。荘子と云もの夢に胡蝶と成て百年が間華に戯ると見てさむれば、只一睡の片時也。人間のありさまかやうにあだにはかなく候世、急急後生に深く心を入、諸経の権実を糺し、本師の有縁無縁を得心、悪業を立処に消滅して、常住仏性の法味を嘗て本土の寂光御参り候へ。されば世間の歌にも、手に結ぶ水にやどれる月影のあるかなきかの世にもすむかな、とよみ、又はかなくも明日の命をたのむかな昨日を過し心ならひに、ともよみ候へば、急てもいそぐべきは後生のたくはへにて候。
されば昔、天竺国王おはしける、ひめぎみ一人ましましき。いつきかしづきまいらせけるに、有時春雨の軒におちけるに、此色自ら玉似いつくしかりければ、あの玉を取てまいらせよとありければ、めのと申やう、御手づからめされてたび候へ。玉作りによくすら(磨)せてまいらすべしと奏し申ければ、御手を下し取せ給へども、只水なればうち消て御手にのこる事なし。ひめぎみ此時世間の無常を覚て、道心を発して出家給けると見たり。法華経六巻随喜功徳品云世皆不牢固如水沫泡焔。かゝるあだなる世生れて、世間まじはりにのみひまなく、今生の財のみにまぎれて、春夏の移り替れるをも不驚、花の散をも不惜、時鳥初音をそきをも不恨、秋冬の代り行にもさはがず、昨日過しをもくやまず、年月の重なるをも歎かずして、只、月を愛し華にめで空く明くらしつ。つゐに若浦は遠ざかり、老の浪は立重て、一期過て後に三悪道をすみかとし給事うたてかるべき。故かたのごとく仏法のわかちを立て、一はしの道理を申事也。
初て聞給ん人、たとひ誹謗ありとも、終には縁と成て扶かり給べし。其故うはなりの読ける法華経をにくかりければ、足を以てけたりし故、地獄おちて彼足より大光明を放たりき。何況や信ぜん人の功徳をや、何況や度重なりて聴聞して信心を深くせん人をや。一入再入の紅の染るに依て色をます、千顆万顆の珠みがくによりて光をます。又悪人いかやう悪とも、信心退転あるべからず。されば四巻云如来現在猶多怨嫉況滅度後云云。釈尊の在世には文殊・普賢・梵釈・日月・一国の王臣至て信仰有し時だにも、外道あだみ奉りき。何況濁世末代には、法華経を信ぜん人をば怨嫉多かるべしと釈尊定め給へり。如是御定候事のたがはず、にくまるるを以て、又法華経を信ぜん人の成仏すべしと云事をば、金言いよいよ疑給べからず。又以是知、疑をなして不信人地獄に堕んこと無疑。故怨嫉の来るはいよいよたのもしく候。されば涅槃経法華経を信ずる人爪上の土、余経を信ずる人は十方の土の如しと説給て、所詮、法華経を能信人をば怨嫉多故爪上の土と説給へり。是六難とも説給へり。さればいかに障碍ありとも、此すぢを得心行者は怨嫉に退屈あるべからず。
其上十軍魔とて法華経を持つ者には、第六天の魔王十魔を指そへて宝を失、命なる程障碍多かるべしと見たり。加様の義ありとも、魔障得心動転あるべからず。所詮、退転大科に依て富楼那尊者等のいみじかりし人、法華経の信心を退転三千塵点劫の間地獄に堕候ぞかし。故いかににくみそねまるるとも、法華経の故身を捨ん事は殊勝なり。されば西行法師華一枝おりたるとて、華の主とがめられて詠じける歌云、白浪の名をば立とも吉野河華故しづむ身をば惜まじと。是世間事すらやさかたの故ぬす人名をば立ともとよまれたり。いかに申候はんや、三世諸仏御本意たる法華経故あだまれん事口惜からざる事也。故最第一の法華経、三徳有縁の釈尊を信仰あつて理非をあきらめ、善悪を分給べき也。然現世安穏後生善処と説給故、今生諸余の難を払、後生には必仏になるべきをしへなれば、廃せず行ずべし。但諸宗の人々云、法華経を信ぜば我計り信ずるまでにてこそあれ。余宗をそしり捨よと云事、大なる科なりと思給。げにと人の誤をさのみ強申べきにあらねども、申さざれば釈尊の御遺言に背く。其故涅槃経云、未来に仏法に迷ん者をせめずんば、僻事なりと定め給。故に是を重重申して誤をばせめ申者也。
所詮、今生一世計沙汰する外典すら、賢人は身不惜命を捨て主君をばいさむなれ。我我経読、妙典書たる間、法華経不謗不背と申。是文字読ども心は不読。其故法華経諸経の王なる故不受余経見たり。是を読ながら余経を書並べ、唯我一人能為救護と読ながら、大日をあがめ、弥陀を信、結句釈尊そしる。譬御方に入て敵の旗ささば御方と云べき歟。そのごとく法華経の信者と云べきや。故伝教大師雖讃法華経還死法華心云云。此釈法相宗を責給釈也。所詮、此等の道理を分る人順縁を結、分給はざる人人逆縁と成べし。南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
   日蓮[花押]