妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

刑部左衛門尉女房御返事

第二巻 定本番号 20386 弘安3(1280) 分類: その他

祖寿: 59 著作地: 身延 

    386   刑部左衛門尉女房御返事
今月飛来雁書云、此十月三日、母にて候もの十三年に相当れり。銭二十貫文等[云云]。夫外典三千余巻には忠孝の二字を骨とし、内典五千余巻には孝養を眼とせり。不孝の者をば日月も光ををしみ、地神も瞋をなすと見へて候。
或経に云六道の一切衆生仏前に参り集たりしに、仏、彼等が身の上の事を一々に問給し中に、仏、地神に汝大地より重きものありや、と問給しかば、地神敬で申さく、大地より重き物候と申す。仏の曰く、いかに地神偏頗をば申ぞ。此三千大千世界の建立は皆大地の上にそなわれり。所謂須弥山の高十六万八千由句、横三百三十六万里也。大海は縦横八万四千由句也。其外の一切衆生草木等は皆大地の上にそなわれり。此を持るが大地より重き物有んや、と問給しかば、地神答云、仏は知食ながら人に知せんとて問給歟。我地神となること二十九劫也。其間、大地を頂戴して候に頸も腰も痛むことなし。虚空を東西南北へ馳走するにも重きこと候はず。但不孝の者のすみ候所が身にあまりて重く候也。頸もいたく、腰もおれぬべく、膝もたゆく、足もひかれず、眼もくれ、魂もぬけべく候。あわれ此人の住所の大地をばなげすてばやと思心たびたび出来し候へば、不孝の者の住所は常に大地ゆり候。されば教主釈尊の御いとこ提婆達多と申せし人は閻浮提第一の上臈、王種姓也。然れども不孝の人なれば、我等彼の下の大地を持ことなくして、大地破れて無間地獄に入給き。我等が力及ばざる故にて候と、かくの如く地神こまごまと仏に申上候しかば、仏はげにもげにもと合点せさせ給き。又仏歎云、我滅後の衆生の不孝ならん事、提婆にも過、瞿伽利にも超たるべし等[云云取意]。涅槃経に、末代悪世に不孝の者は大地微塵よりも多く、孝養の者は爪上の土よりもすくなからんと[云云]。
今日蓮案云、此経文は殊にさもやとをぼへ候。父母の御恩は今初て事あらたに申べきには候はねども、母の御恩の事、殊に心肝に染て貴をぼへ候。飛鳥の子をやしなひ、地を走る獣の子にせめられ候事、目もあてられず、魂もきえぬべくをぼへ候。其につきても母の御恩忘れがたし。胎内に九月の間の苦み、腹は鼓をはれるが如く、頸は針をさげたるが如し。気は出るより外に入事なく、色は枯たる草の如し。臥ば腹もさけぬべし。坐すれば五体やすからず。かくの如くして産も既に近づきて、腰はやぶれてきれぬべく、眼はぬけて天に昇るかとをぼゆ。かゝる敵をうみ落しなば、大地にもふみつけ、腹をもさきて捨べきぞかし。さはなくして、我が苦を忍て急ぎいだきあげて血をねぶり、不浄をすゝぎて胸にかきつけ、懐きかゝへて三箇年が間、慇懃に養ふ。母の乳をのむ事、一百八十斛三升五合也。此乳のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし。されば乳一升のあたひを・へて候へば、米に当れば一万一千八百五十斛五升、稲には二万一千七百束に余り、布には三千三百七十段也。何況一百八十斛三升五合のあたひをや。
他人の物は銭の一文・米一合なりとも盗ぬればろう(牢)のすもり(巣守)となり候ぞかし。而を親は十人の子をば養へども、子は一人の母を養ふことなし。あたゝかなる夫をば懐て臥ども、こゞへたる母の足をあたゝむる女房はなし。給狐独園の金鳥は子の為に火に入り、尸迦夫人は夫の為に父を殺す。仏の云、父母は常に子を念へども、子は父母を念はず等[云云]。影現王の云、父は子を念ふといえども、子は父を念はず等是也。設ひ又今生には父母に孝養をいたす様なれども、後生のゆくへまで問人はなし。母の生てをはせしには、心には思はねども一月に一度、一年に一度は問しかども、死し給てより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば形の如く問訪ひ候へども、十三年四千余日が間の程はかきたえ問人はなし。生てをはせし時は一日片時のわかれをば千万日とこそ思はれしかども、十三年四千余日の程はつやつやをとづれなし。如何にきかまほしくましますらん。
夫外典の孝経には、唯今生の孝のみををしへて、後生のゆくへをしらず。身の病をいやして、心の歎きをやめざるが如し。内典五千余巻には人天二乗の道に入て、いまだ仏道へ引導する事なし。夫目連尊者の父をば吉占師子、母をば青提女と申せしなり。母死して後餓鬼道に堕たり。しかれども凡夫の間は知る事なし。証果の二乗となりて天眼を開て見しかば、母餓鬼道に堕たりき。あらあさましやといふ計もなし。餓鬼道に行て飯をまいらせしかば、纔に口に入かと見えしが飯変じて炎となり、口はかなへの如く、飯は炭をおこせるが如し。身は燈炬の如くもえあがりしかば、神通を現じて水を出して消す処に、水変じて炎となり、弥火炎のごとくもゑあがる。目連自力には叶はざる間、仏の御前に走り参申してありしかば、十方の聖僧を供養し、其生飯を取て纔に母の餓鬼道の苦をば救給へる計也。
釈迦仏は御誕生の後、七日と申せしに母の摩耶夫人にをくれまいらせましましき。凡夫にてわたらせ給へば母の住処を知しめすことなし。三十の御年に仏にならせ給て、父浄飯王を現身に教化して証果の羅漢となし給ふ。母の御ためには、利天に昇り給て、摩耶経を説給て、父母を阿羅漢となしまいらせ給ぬ。此等をば爾前の経々の人々は孝養の二乗、孝養の仏とこそ思候へども、立還て見候へば、不孝の声聞、不孝の仏也。目連尊者程の聖人が母を成仏の道に入れ給はず。釈迦仏程の大聖の父母を二乗の道に入れ奉て、永不成仏の歎を深くなさせまいらせ給しをば、孝養とや申べき、不孝とや云べき。而に浄名居士、目連を毀て云、六師外道が弟子也等[云云]。仏自身を責て云、我則堕慳貪此事為不可等[云云]。然ば目連は知ざれば科浅もやあるらん。仏は法華経を知しめしながら、生てをはする父に惜み、死してまします母に再び値奉りて説せ給はざりしかば、大慳貪の人をばこれより外に尋ぬべからず。
つらつら事の心を案ずるに、仏は二百五十戒をも破り、十重禁戒をも犯し給者也。仏法華経を説せ給はずば、十方の一切衆生を不孝に堕し給ふ大科まぬがれがたし。故に天台大師此事を宣て云、過則属仏[云云]。有人云、是十方三世仏有違背本誓欺誑衆生等[云云]。夫四十余年の大小顕密の一切経並に真言・華厳・三論・法相・倶舎・成実・律・浄土・禅宗等の仏・菩薩・二乗・梵釈・日月及元祖等は、法華経に随ふ事なくば何なる孝養をなすとも、我則堕慳貪の科脱るべからず。故に仏本願に趣て法華経を説給き。而るに法華経の御座には父母ましまさゞりしかば、親の生れてまします方便土と申国へ贈給て候なり。其御言に云而於彼土求仏智慧得聞是経等[云云]。此経文は智慧ならん人々は心をとゞむべし。教主釈尊の父母の御ために説せ給て候経文也。此法門は唯天台大師と申せし人計こそ知てをはし候ひけれ。其外の諸宗の人々知ざる事也。日蓮が心中に第一と思ふ法門也。父母に御孝養の意あらん人々は法華経を贈り給べし。教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈給て候。
日蓮が母存生してをはせしに、仰せ候し事をもあまりにそむきまいらせて候しかば、今をくれまいらせて候があながちにくや(悔)しく覚へて候へば、一代聖教を・へて母の孝養を仕らんと存候間、母の御訪申させ給人々をば我身の様に思ひまいらせ候へば、あまりにうれしく思ひまいらせ候間、あらあらかきつけて申候也。定て過去聖霊も忽に六道の垢穢を離て霊山浄土へ御参り候らん。此法門を知識に値せ給て度々きかせ給べし。日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ。くはしくは又々申べく候。恐恐謹言。   十月二十一日   日蓮  花押   尾張行部左衛門尉殿女房  御返事