秋元御書(筒御器鈔)
360 秋元御書
筒御器一具付三十並盞付六十送給候畢。御器と申はうつはものと読候。大地くぼければ水たまる。青天浄ければ月澄り。月出ぬれば水浄し。雨降ば草木昌へたり。器は大地のくぼきが如し。水たまるは池に水の入が如し。月の影を浮ぶるは法華経の我等が身に入せ給が如し。
器に四の失あり。一には覆と申てうつぶける也。又はくつがへす、又は蓋をおほふ也。二には漏と申て水もる也。三には汗と申てけがれたる也。水浄けれども糞の入たる器の水をば用る事なし。四には雑也。飯に或は糞、或は石、或は沙、或は土なんどを雑へぬれば人食ふ事なし。器は我等が身心を表す。我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。法華経と申は、仏の智慧の法水を我等が心に入ぬれば、或は打返し、或は耳に聞じと左右の手を二の耳に覆ひ、或は口に唱へじと吐出しぬ。譬ば器を覆するが如し。或は少し信ずる様なれども又悪縁に値て信心うすくなり、或は打捨、或は信ずる日はあれども捨る月もあり。是は水の漏が如し。或は法華経を行ずる人の、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申は、飯に糞を雑へ沙石を入たるが如し。法華経の文に但楽受持大乗経典乃至不受余経一偈等と説は是也。世間の学匠は法華経に余行を雑ても苦しからずと思へり。日蓮もさこそ思候へども、経文は不爾。譬ば后の大王の種子を孕めるが、又民ととつげば王種と民種と雑て、天の加護と氏神の守護とに被捨、其国破るゝ縁となる。父二人出来れば王にもあらず、民にもあらず、人非人也。法華経の大事と申は是也。種・熟・脱の法門法華経の肝心也。三世十方の仏は必妙法蓮華経の五字を種として仏に成給へり。南無阿弥陀仏は仏種にはあらず。真言五戒等も種ならず。能々此事を習給べし。是は雑也。
此覆・漏・汗・雑の四の失を離て候器をば完器と申てまたき器也。塹・つゝみ(堤)漏らざれば水失事なし。信心のこゝろ全ければ平等大慧の智水乾く事なし。今此筒の御器は固く厚く候上、漆浄く候へば、法華経之御信力の堅固なる事を顕し給歟。毘沙門天は仏に四の鉢を進せて、四天下第一の福天と云はれ給ふ。浄徳夫人は雲雷音王仏に八万四千の鉢を供養し進せて、妙音菩薩と成給ふ。今法華経に筒御器三十盞六十進せて、争か仏に成らせ給はざるべき。
抑日本国と申は十の名あり。扶桑・野馬台・水穂・秋津洲等也。別しては六十六箇国島二、長三千余里、広不定也。或百里、或五百里等。五畿・七道、郡五百八十六、郷三千七百二十九、田代上田一万一千百二十町乃至八十八万五千五百六十七町。人数四十九億八万九千六百五十八人也。神社三千百三十二社、寺一万一千三十七所。男十九億九万四千八百二十八人、女二十九億九万四千八百三十人也。其男の中に只日蓮第一の者也。何事の第一とならば、男女に披悪たる第一の者也。其故は日本国に国多く人多と云へども、其心一同に南無阿弥陀仏を口ずさみとす。阿弥陀仏を本尊とし、九方を嫌て西方を願。設法華経を行ずる人も、真言を行ふ人も、戒を持つ者も、智者も愚者も、余行を謗として念仏を正とし、罪を消すさん謀は名号也。故に或は六万・八万・四十八万返、或は十返・百返・千返也。而を日蓮一人、阿弥陀仏は無間の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗持斉等は国賊也と申故に、自上一人至下万民父母の敵・宿世の敵・謀叛・夜打・強盗よりも、或は畏、或は瞋、或は罵、或は打。是を_者には所領を与へ、是を讃る者をば其内を出し、或は過料を引せ、殺害したる者をば褒美なんどせらるゝ上、両度まで御勘気を蒙れり。
当世第一の不思議の者たるのみならず、人王九十代、仏法渡ては七百余年なれども、かゝる不思議の者なし。日蓮は文永の大彗星の如し、日本国に昔より無き天変也。日蓮は正嘉の大地震の如し、秋津洲に始ての地夭也。日本国に代始てより已に謀叛の者二十六人。第一は大山の王子、第二は大山の山丸、乃至、第二十五人は頼朝、第二十六人は義時也。二十四人は奉披責朝、獄門に披懸首、山野に曝骸。二人は奉傾王位国中を拳手。王法既に尽ぬ。此等の人々も日蓮が不過披悪万人。
尋其由法華経には最第一の文あり。然を弘法大師は法華最第三。慈覚大師は法華最第二。智証大師は如慈覚。今叡山・東寺・園城寺之諸僧、法華経に向ては法華最第一と読ども、其義をば第二第三と読也。公家と武家とは子細は知しめさねども、御帰依の高僧等皆此義なれば師檀一同の義也。其外、禅宗は教外別伝[云云]。法華経を蔑如する言也。念仏宗は千中無一、未有一人得者と申す。心は法華経を念仏に対して拳て失ふ義也。律宗は小乗也。正法の時すら仏免し給事なし。況や末法に是を行じて国主を誑惑し奉るをや。姐己・妹喜・褒似之三女が三王を誑かして代を失しが如し。かゝる悪法国に流布して法華経を失故に、安徳・尊成等の大王、天照太神・正八幡に披捨給て、或は海に沈み、或は島に披放給、相伝の所従等に披傾給しは、天に捨られさせ給故ぞかし。
法華経の御敵を御帰依有しかども、是を知人なければ其失を知事もなし。智人知起蛇自識蛇是也。日蓮は非智人蛇は龍の心を知り、烏の世の吉凶を計るが如し。此事計を勘へ得て候也。此事を申ならば須臾に可当失。不申又大阿鼻地獄に堕べし。
法華経を習には有三義。一には謗人。勝意比丘・苦岸比丘・無垢論師・大慢婆羅門等が如し。彼等は三衣を纏身。一鉢を当眼、二百五十戒を堅く持て、而大乗の讎敵と成て無間大城に堕にき。今日本国の弘法・慈覚・智証等は持戒は如彼等智慧は又彼比丘に不異。但大日経真言第一、法華経第二第三と申事、百千に一も日蓮が申様ならば無間大城にやおはすらん。此事は申も恐あり。増て書付までは如何と思候へども、法華経最第一と披説候に、是を二三等と読ん人を聞て、恐人恐国不申、即是彼怨と申て、一切衆生の大怨敵なるべき由、経と釈とにのせられて候へば申候也。不恐人不憚代云事我不愛身命但惜無上道と申は是也。不軽菩薩の悪口杖石も非他事。非不恐世間唯法華経の責の苦なれば也。例せば祐成・時宗が大将殿の陣の内を簡ざりしは、敵の恋しく恥の悲しかりし故ぞかし。此は謗人也。
謗家と申は都て一期の間、法華経を不謗、昼夜十二時に行ずれども、謗家に生ぬれば必無間地獄に堕つ。例せば勝意比丘・苦岸比丘之家に生て、或は弟子と成り、或は檀那と成し者共が心ならず無間地獄に堕たる是也。譬ば義盛が方の者、軍をせし者はさて置ぬ。腹の内に有し子も産を不披待、母の腹を如披裂。今日蓮が申弘法・慈覚・智証の三大師の法華経を正く無明の辺域 虚妄の法と披書候は、若法華経の文実ならば、叡山・東寺・園城寺・七大寺・日本一万一千三十七所之寺々の僧は如何が候はんずらん。先例の如ならば無間大城無疑。是は謗家也。
謗国と申は、謗法の者其国に住すれば其一国皆無間大城になる也。大海へは一切の水集り、其国は一切の禍集る。譬ば山に草木の滋きが如し。三災月々に重なり。七難日々に来る。飢渇発れば其国餓鬼道と変じ、疫病重なれば其国地獄道となる。軍起れば其国修羅道と変ず。父母・兄弟・姉妹を簡ばず、妻とし、夫と憑ば其国畜生道となる。死して三悪道に堕にはあらず。現身に其国四悪道と変ずる也。此を謗国と申。例せば大荘厳仏の末法、師子音王仏の濁世の人々の如し。又報恩経に説れて候が如んば、過去せる父母・兄弟・姉妹一切の人死せるを食し、又生たるを食す。今日本国亦復如是。真言師・禅宗・持斉等人を食する者国中に充満せり。是偏に真言の邪法より事起れり。龍象房が人を食しは万が一顕たる也。彼に習て人の肉を或は猪鹿に交へ、或は魚鳥に切雑へ、或はたゝき加へ、或はすし(鮨)として売る。食する者不知数。皆天に捨られ、守護の善神に放されたるが故也。結句は此国他国より責られ、自国どし打して、此国変じて無間地獄と成べし。
日蓮此大なる失を兼て見し故に、与同罪の失を脱んが為め、仏の呵責を思故、知恩報恩の為め国の恩を報ぜんと思て、国主並に一切衆生に令告知也。不殺生戒と申は一切の諸戒の中の第一也。五戒の初にも不殺生戒、八戒・十戒・二百五十戒・五百戒・梵網の十重禁戒・華厳の十無尽戒・瓔珞経の十戒等の初には皆不殺生戒也。儒家の三千禁の中にも大辟こそ第一にて候へ。其故は_満三千界無有直身命と申て、三千世界に満る珍宝なれども命に替る事はなし。蟻子を殺者尚地獄に堕つ。況魚鳥等をや。青草を切者猶地獄に堕。況死骸を切者をや。如是重戒なれども、法華経の敵に成れば此を害するは第一の功徳と説給也。況や供養を可展哉。故に仙予国王は五百人之法師を殺し、覚徳比丘は殺無量之謗法者阿育大王は十万八千の外道を殺し給き。此等の国王・比丘等は閻浮第一之賢王、持戒第一之智者也。仙予国王は釈迦仏、覚徳比丘は迦葉仏、阿育大王は得道の仁也。今日本国も又如是。持戒・破戒・無戒、王臣・万民を不論、一同の法華経誹謗之国也。設身の皮をはぎて法華経を奉書、肉を積で供養し給とも、必国も滅び、身も地獄に堕給べき大なる科あり。唯真言宗・念仏宗・禅宗・持斉等の身を禁て法華経によせよ。
天台六十巻を空に浮て国主等には智人と披思人人の、或は智の不及歟、或は知れども世を恐るゝ歟の故に、或は真言宗をほめ、或は念仏・禅・律等に同ずれば、彼等が大科には百千超て候。例せば成良・義村等が如し。慈恩大師は玄賛十巻を造て法華経を讃て地獄に堕つ。此人は太宗皇帝の御師、玄奘三蔵の上足、十一面観音の後身と申ぞかし。音は法華経に似たれども、心は爾前の経に同ずる故也。嘉祥大師は法華玄十巻を造て、既に無間地獄に堕べかりしが、法華経を読事を打捨て、天台大師に仕しかば、地獄の苦を脱れ給き。今法華宗の人々も又如是。比叡山は法華経の御住所、日本国は一乗の御所領也。而を慈覚大師は法華経の座主を奪取て真言の座主となし、三千の大衆も又其所従と成ぬ。弘法大師は法華宗の檀那にて御坐ます嵯峨の天皇を奪取て、内裏を真言宗の寺と成せり。
安徳天皇は明雲座主を師として、頼朝の朝臣を調伏せさせ給程に、右大将殿に披罰のみならず、安徳は西海に沈み、明雲は義仲に殺され給き。尊成王は天台座主慈円僧正、東寺御室並に四十一人之高僧等を奉請下、内裏に大檀を立て、義時右京権太夫殿を調伏せし程に、七日と申せし六月十四日に、洛陽破て王は隠岐国、或は佐渡島に被遷、座主・御室は或は被責或は思死に死給き。世間の人々此根源を知事なし。此偏に法華経・大日経之勝劣に迷る故也。今も又日本国、大蒙古国の責を得て、彼不吉の法を以て御調伏を被行承る。又日記分明也。此事を知ん人争可不歎。
悲哉、我等誹謗正法の国に生て大苦に値はん事よ。設謗身は脱ると云とも、謗家謗国の失如何せん。謗家の失を脱んと思はば、父母兄弟等に此事を語申せ。或は被悪歟、或は信ぜさせまいらする歟。謗国之失を脱れんと思はば、国主を諌暁し奉て、死罪歟流罪歟に可被行也。我不愛身命但惜無上道と被説、身軽法重死身弘法と被釈是也。
過去遠々劫より今に仏に成らざりける事は、加様の事に恐て云出さざりける故也。未来も亦復可如是。今日蓮が身に当てつみ知れて候。設此事を知る弟子等の中にも、当世の責のおそろしさと申、露の身難消依て、或は落、或は心計は信じ、或はとかうす。御経の文に難信難解と被説候が身に当て貴く覚え候ぞ。謗ずる人は大地微塵の如し。信ずる人は爪上の土の如し。謗ずる人は大海、進む人は一渧。
天台山に龍門と申所あり。其滝百丈なり。春の始に魚集て此滝へ登に、百千に一も登る魚は龍と成。此滝の早き事、矢にも過ぎ、電光にも過たり。登がたき上に、春の始に此滝に漁父集て、魚を取る網を懸る事百千重、或は射て取り、或は酌で取。鷲・鵰・鴟・梟・虎・狼・犬・狐集て昼夜に取噉ふ也。十年二十年に一も龍となる魚なし。例せば凡下の者の昇殿を望み、下女が后と成んとするが如し。法華経を信ずる事、此にも過て候と思食せ。
常に仏禁て言、何なる持戒智慧高く御坐て、一切経並に法華経を進退せる人也とも、法華経の敵を見て、責め罵り国主にも不申、人を恐て黙止するならば、必無間大城に堕べし。譬ば我は謀叛を発さねども、謀叛の者を知て国主にも申さねば、与同罪彼謀叛の者の如し。南岳大師云、法華経の讎を見て不呵責者は謗法の者也。無間地獄の上に堕んと。見て申さぬ大智者は、無間の底に堕て彼地獄の有ん限は出べからず。日蓮此禁を恐るゝ故に、国中を責て候程に、一度ならず流罪死罪に及びぬ。今は罪も消え、過も脱なんと思て、鎌倉を去て此山に入て七年也。
此山の為体、日本国の中には七道あり。七道の内東海道十五箇国。其内に甲州飯野御牧三箇郷之内、波木井と申。此郷之内、戌亥の方に入て二十余里の深山あり。北は身延山、南は鷹取山、西は七面山、東は天子山也。板を四枚つい立たるが如し。此外を回て四の河あり。従北南へ富士河、自西東へ早河、此は後也。前に西より東へ波木井河中に一の滝あり。身延河と名けたり。中天竺之鷲峰山を此処に移せる歟。将又漢土の天台山の来る歟と覚ゆ。此四山四河之中に、手の広さ程の平かなる処あり。爰に庵室を結で天雨を脱れ、木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折て身を養ひ、秋は果を拾て命を支へ候つる程に、去年十一月より雪降り積て、改年の正月今に絶る事なし。庵室は七尺、雪は一丈。四壁は冰を壁とし、軒のつらゝは道場荘厳の瓔珞の玉に似たり。内には雪を米と積む。本より人も来らぬ上、雪深して道塞がり、問人もなき処なれば、現在に八寒地獄の業を身につぐのへり。生ながら仏には成ずして、又寒苦鳥と申鳥にも相似たり。頭は剃事なければうづら(鶉)の如し。衣は冰にとぢられて鴦鴛の羽を冰の結べるが如し。
かゝる処へは古へ昵びし人も不問、弟子等にも捨られて候つるに、是御器を給て、雪を盛て飯と観じ、水を飲てこんず(漿)と思。志のゆく所思遣せ給へ。又々可申候。恐恐謹言。 弘安三年正月二十七日 日蓮 花押 秋元太郎兵衛殿 御返事