寂日房御書
341 寂日房御書
是まで御をとづれ、かたじけなく候。夫人身をうくる事はまれなり。已にまれなる人身をうけたり。又あひがたきは仏法、是又あへり。同仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり。まことにまことに過去十万億の諸仏供養の者也。
日蓮は日本第一の法華経の行者也。すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり。八十万億那由佗の菩薩は口には宣たれども修行したる人一人もなし。不思議の日蓮をうみ出せし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人也。父母となり其子となるも必宿習なり。若日蓮が法華経・釈迦如来の御使ならば父母あに其故なからんや。例せば妙荘厳王・浄徳夫人・浄蔵・浄眼の如し。釈迦・多宝の二仏、日蓮が父母と変じ給歟。然らずんば八十万億の菩薩の生れかわり給歟。又上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹歟。不思議に覚え候。
一切の物にわたりて名の大切なる也。さてこそ天台大師五重玄義の初に名玄義と釈し給へり。日蓮となのる事自解仏乗とも云つべし。かやうに申せば利口げに聞えたれども、道理のさすところさもやあらん。経云如日月光明能除諸幽冥斯人行世間能滅衆生闇と此文の心よくよく案じさせ給へ。斯人行世間の五の文字は、上行菩薩末法の始の五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇をてらすべしと云事也。日蓮等 此の上行菩薩の御使として、日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧しは是也。此山にしてもをこたらず候也。今の経文の次下に説て云於我滅度後応受持此経是人於仏道決定無有疑[云云]。
かゝる者の弟子檀那とならん人々は宿縁ふかしと思て、日蓮と同く法華経を弘むべき也。法華経の行者といはれぬる事不祥也。まぬかれがたき身也。彼のはんくわい(攀_)・ちやうりやう(張良)・まさかど(将門)・すみとも(純友)といはれたる者は、名ををしむ故に、はぢを思故に、ついに臆したることはなし。同じはぢなれども今生のはぢはもののかずならず。ただ後生のはぢこそ大切なれ。獄卒だつえば(奪衣婆)・懸衣翁が三途河のはた(端)にて、いしやう(衣装)をはがん時を思食て、法華経の道場へまいり給べし。法華経は後生のはぢをかくす衣也。経云如裸者得衣[云云]。此御本尊こそ冥途のいしやうなれ。よくよく信じ給べし。をとこ(男)のはだへ(膚)をかくさざる女あるべしや。子のさむさをあわれまざるをや(親)あるべしや。釈迦仏・法華経はめ(妻)とをやとの如くましまし候ぞ。日蓮をたすけ給事、今生の恥をかくし給人也。後生は又日蓮御身のはぢをかくし申べし。昨日は人の上、今日は我身の上なり。花さけばこのみなり、よめ(嫁)のしうとめ(姑)になる事候ぞ。信心をこたらずして南無妙法蓮華経と唱給べし。度々の御音信申つくしがたく候ぞ。此事寂日房くわしくかたり給へ。 九月十六日 日蓮 [花押]