妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

四菩薩造立鈔

第二巻 定本番号 20335 弘安2(1279) 分類: その他

祖寿: 58 対告衆: 富木 著作地: 身延 

    335   四菩薩造立鈔
白小袖・薄墨染衣一・同色袈裟一帖・鵞目一貫文給候。不始于今御志、言を以て宣がたし。何日を期してか遂対面心中の朦朧を申披哉。
一 御状云、本門久成の教主釈尊奉造、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕候き。然れば如聴聞者何の時乎[云云]。
夫仏 世を去せ給て二千余年に成ぬ。其間月氏・漢土・日本国・一閻浮提の内に仏法の流布する事、僧は稲麻のごとく法は竹葦の如し。然るにいまだ本門の教主釈尊並に本化の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し。三朝の間に未聞。日本国に数万の寺々を建立せし人々も、本門の教主・脇士を造るべき事を不知。上宮太子仏法最初の寺と号して、四天王寺を造立せしかども、阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等四天王を造り副たり。伝教大師延暦寺を立給に、中堂には東方の鷲王の相貌を造て本尊として、久成の教主脇士をば建立し給はず。南京七大寺の中にも此事を未聞。田舎の寺々以て爾也。
かたがた不審なりし間、法華経の文を拝見し奉りしかば其旨顕然也。末法闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨分明也。正像に出世せし論師人師の造らざりしは、仏の禁を重ずる故也。若正法・像法の中に久成の教主釈尊並脇士を造るならば、夜中に日輪出日中に月輪の出たるが如くなるべし。末法に入て始の五百年に、上行菩薩の出させ給て造り給べき故に、正法像法の四依の論師人師は言にも出させ給はず。龍樹・天親こそ知せ給たりしかども、口より外へ出させ給はず。天台智者大師も知せ給たりしかども、迹化の菩薩の一分なれば一端は仰出させ給たりしかども、其実義をば宣出させ給はず。但ねざめの枕に時鳥の一音を聞しが如くにして、夢のさめて止ぬるやうに弘給候ぬ。夫より已外の人師はまして一言をも仰出し給事なし。此等の論師人師は霊山にして、迹化の衆は末法に入ざらんに、正像二千年の論師人師本門久成の教主釈尊並久成の脇士地涌上行等の四菩薩を影ほども申出すべからずと御禁ありし故ぞかし。
今末法に入れば尤仏金言の如きんば、造るべき時なれば本仏本脇士造り奉るべき時也。当時は其時に相当れば、地涌の菩薩やがて出させ給はんずらん。先其程四菩薩を建立し奉るべし。尤今は然るべき時也と[云云]。されば天台大師は後五百歳遠沾妙道としたひ、伝教大師は正像稍過已末法太有近法華一乗機今正是其時と恋させ給。日蓮は世間には日本第一の貧者なれども、以仏法論ずれば一閻浮提第一の富者也。是時の然らしむる故也と思へば喜び身にあまり、感涙難押、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。恐くは付法蔵の人々も日蓮には果報は劣らせ給たり。天台智者大師・伝教大師等も及給べからず。最四菩薩を建立すべき時也[云云]。
問云 可造立四菩薩証文有之耶。答云 涌出品云有四導師一名上行二名無辺行三名浄行四名安立行等[云云]。問云 後五百歳に限るといへる経文有之耶。答云 薬王品云 我滅度後後五百歳中 広宣流布於閻浮提 無令断絶等[云云]。
一 御状云太田方の人々 一向に迹門に得道あるべからずと申され候由其聞候。是は以の外の謬也。御得意候へ。本迹二門の浅深・勝劣・与奪・傍正は時と機とに依べし。一代聖教を弘むべき時に三あり。機もて爾也。仏滅後正法の始の五百年は一向小乗、後の五百年は権大乗、像法一千年は法華経の迹門等也。末法の始には一向に本門也。一向に本門の時なればとて迹門を捨べきにあらず。於法華経一部前十四品を捨べき経文無之。本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時、爾前迹門は正法像法、或は末法は本門の弘らせ給べき時也。今の時は正には本門、傍には迹門也。迹門無得道と云て、迹門を捨てゝ一向本門に心を入させ給人々は、いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ。以の外の僻見也。私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其身に入替て、人をして自身ともに無間大城に墜べきにて候。つたなしつたなし。此法門は年来貴辺に申含たる様に人々にも披露あるべき者也。総じて日蓮が弟子と云て法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はば、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守候べし。其さへ尚人々の御心中は量りがたし。
一 日行房死去の事、不便に候。是にて法華経の文読進らせて、南無妙法蓮華経と唱へ進せ、願は日行を釈迦・多宝・十方諸仏霊山へ迎取せ給へと申上候ぬ。身の所労いまだきらきら(快然)しからず候間、令省略候。又々可申候。恐々謹言。   弘安二年五月十七日   日蓮 [花押]   富木殿  [御返事]