太田左衛門尉御返事
285 太田左衛門尉御返事
当月十八日之御状同廿三日之午剋計到来軈拝見仕候畢。如御状御布施鳥目十貫文・太刀一・五明一本・焼香廿両給候。抑専御状云、某今年は五十七に罷成候へば大厄の年歟と覚候。なにやらんして正月の下旬之比より卯月の此比に至候まで身心に苦労多く出来候。自本受人身者は必身心に諸病相続して五体に苦労あるべしと申ながら更に[云云]。此事最第一歎事也。
十二因縁と申法門あり。意は我等が身は以諸苦為体。されば先世に業を造る故に諸苦を受け、先世の集煩悩が諸苦を招き集め候。過去の二因・現在の五果・現在の三因・未来の両果とて三世次第して一切の苦果を感ずる也。在世の二乗が此等の諸苦を失はんとて、沈空理灰身滅智して、菩薩の勤行精進の志を忘れ、空理を証得せん事を真極と思也。仏方等の時、此等の心地を弾呵し給し也。然るに生を受此三界者離苦者あらんや。羅漢の応供猶如此。況底下の凡夫をや。さてこそいぞぎ生死を離るべしと勧め申候へ。此等体の法門はさて置ぬ。
御辺は今年は大厄と[云云]。昔伏羲の御宇に、黄河と申す河より亀と申魚、八卦と申す文を甲に負て浮出たり。時の人此文を取挙て見れば、人の生年より老年の終まで厄の様を明たり。厄年の人の危き事は、少水に住む魚を鴟鵲なんどが伺ひ、燈の辺に住める夏の虫の火中に入んとするが如くあやうし。鬼神やゝもすれば此人の神を伺ひなやまさんとす。神内と申す時は諸の神在身万事叶心。神外と申時は諸神識の家を出て万事を見聞する也。当年は御辺は神外と申て諸神他国へ遊行すれば慎て除災得楽を祈り給べし。又木性の人にて渡せ給へば、今年は大厄なりとも春夏の程は何事か渡らせ給べき。至門性経云木遇金抑揚火得水光滅土値木時痩金入火消失水遇土不行等[云云]。指て引申べき経文にはあらざれども、予が法門は四悉檀を心に懸て申なれば、強て成仏の理に不違者且世間普通の義を可用歟。
然に法華経と申御経は身心の諸病の良薬也。されば経云此経則為閻浮提人病之良薬。若人有病得聞是経病即消滅不老不死等[云云]。又云現世安穏後生善処等[云云]。又云諸余怨敵皆悉摧滅等[云云]。取分奉る御守方便品・寿量品、同くは一部書て進らせ度候へども、当時は難去隙ども入事候へば略して二品奉り候。相構相構不離御身重つゝみ(包)て御所持可有者也。
此方便品と申は迹門の肝心也。此品には仏、十如実相の法門を説て十界の衆生の成仏を明し給へば、舎利弗等は此を聞て断無明惑叶真因位のみならず、未来華光如来と成て、成仏の覚月を離苦世界の暁の空に詠ぜり。十界の衆生の成仏の始は是也。当時の念仏者・真言師の人人、成仏は我依経に限れりと深く執するは、此等の法門を不習学未顕真実の経に所説名字計なる授記を執する故也。貴辺は日来は此等の法門に迷給しかども、日蓮が法門を聞て、賢者なれば本執を忽に翻し給て、法華経を持給のみならず、結句は身命よりも此経を大事と思食す事、不思議が中の不思議也。是は偏に今の事に非ず。過去の宿縁開発せるにこそ、かくは思食らめ。難有難有。
次に寿量品と申は本門の肝心也。又此品は一部の肝心、一代聖教の肝心のみならず、三世の諸仏の説法の儀式の大要也。教主釈尊寿量品の一念三千の法門を証得し給事は三世の諸仏と内証等きが故也。但し此法門は非釈尊一仏己証諸仏亦然也。我等衆生の無始巳来六道生死の浪に沈没せしが、今教主釈尊の所説の法華経に奉値事は乃往過去に此寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故也。難有法門也。
華厳・真言の元祖、法蔵・澄観・善無畏・金剛智・不空等が、釈尊一代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗取て、自本自の依経に不説華厳経・大日経に有一念三千云て取入るる程の盗人にばかされて、末学深く此見を執す。無墓無墓。結句は真言の人師云争盗醍醐各名自宗[云云]。又云、法華経の二乗作仏・久遠実成は無明の辺域、大日経に所説法門は明の分位等云云。華厳の人師云、法華経に所説一念三千の法門は枝葉、華厳経の法門は根本の一念三千也[云云]。是無跡形僻見也。真言・華厳経一念三千を説たらばこそ、一念三千と云名目をばつかはめ。おかしおかし、亀毛兎角の法門也。
正く久遠実成の一念三千の法門は前四味並に法華経迹門十四品まで秘させ給て有しが、本門正宗に至て寿量品に説顕し給へり。此一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入て、末代貧窮の我等衆生の為に残し置せ給し也。正法・像法に出させ給し論師人師の中に此大事を不知。唯龍樹・天親こそ心の底に知せ給しかども色にも出させ給はず。天台大師玄・文・止観に秘せんと思召しかども、末代の為にや止観十章第七正観の章に至て粗書せ給たりしかども、薄葉に釈を設てさて止給ぬ。但示理観一分事の三千をば斟酌し給。彼天台大師は迹化の衆也。此日蓮は本化の一分なれば盛に本門の事の分を弘むべし。
然に如是大事の義理の篭らせ給御経を書て進らせ候へば弥信を取らせ給べし。勧発品云当起遠迎当如敬仏等[云云]。安楽行品云諸天昼夜常為法故而衛護之乃至天諸童子以為給使等[云云]。譬喩品云其中衆生悉是吾子等[云云]。法華経の持者は教主釈尊の御子なれば、争か梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜朝暮に守らせ給はざるべきや。厄の年災難を払はん秘法には不過法華経。たのもしきかな、たのもしきかな。さては鎌倉に候し時は細細申承候しかども、今は遠国に居住候に依て期面謁事更になし。されば心中に含たる事も使者玉章にあらざれば不及申。歎かし歎かし。当年の大厄をば日蓮に任せ給へ。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是にて量るべき也。又又可申候。 弘安元年[戊寅]四月廿三日 日蓮 [花押] 太田左衛門尉殿御返事