日女御前御返事
256 日女御前御返事
御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其数送給候畢。
抑此御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕給なり。
さて滅後には正法・像法・末法の中には、正像二千年にはいまだ本門の本尊と申名だにもなし。何に況や顕給はんをや。又顕すべき人なし。天台・妙楽・伝教等は内には鑑給へども、故こそあるらめ、言には出し給はず。彼の顔淵が聞し事、意にはさとるといへども、言に顕していはざるが如し。然るに仏滅後二千年過て、末法の始の五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫々たり、明々たり。天台・妙楽等の解釈分明也。
爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。龍樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊也。されば首題の五字中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ、普賢・文殊等、舎利弗・目連等坐を屈し、日天・月天・第六天の魔王・龍王・阿修羅、其外不動・愛染は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多・愚癡の龍女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等、加之、日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神、総じて大小神祇等体の神つらなる、其余の用の神豈もるべきや。宝塔品云接諸大衆皆在虚空[云云]。此等の仏・菩薩・大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれず。此御本尊の中に住し給、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是を本尊とは申也。
経云諸法実相是也。妙楽云実相必諸法諸法必十如乃至十界必身土[云云]。又云実相深理本有妙法蓮華経等[云云]。伝教大師云一念三千即自受用身自受用身者出尊形仏[文]。此故未曽有の大曼荼羅とは名付奉るなり。仏滅後二千二百二十余年には此御本尊いまだ出現し給はずと云事也。
かゝる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸をまねき、後生には此御本尊左右前後に立そひて、闇に燈の如く、険難の処に強力を得たるが如く、彼こへまはり、此へより、日女御前をかこみまほり給べきなり。相構相構、とわり(遊女)を我家へよ(寄)せたくもなき様に、謗法の者をせかせ給べし。捨悪知識親近善友とは是也。
此御本尊全く余所に求る事なかれ。只我等衆生法華経を持て、南無妙法蓮華経と唱る胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申也。十界具足とは十界一界もかけず一界にある也。依之曼陀羅とは申也。曼陀羅と云は天竺の名也。此には輪円具足とも功徳聚とも名る也。此御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入とは是也。日蓮が弟子檀那等、正直捨方便不受余経一偈と無二に信ずる故によて、此御本尊の宝塔の中へ入べきなり。たのもし、たのもし。如何にも後生をたしな(嗜)み給ふべし、たしなみ給ふべし。穴賢。南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤大切也。信心の厚薄によるべきなり。
仏法の根本は信を以て源とす。されば止観四云仏法如海唯信能入。弘決四云仏法如海唯信能入者孔丘之言尚信為首況仏法深理無信寧入。故華厳信為道元功徳母等。又止一云何聞円法起円信立円行住円位。弘一云言円信者依理起信信為行本[云云]。
外典云漢王信臣之説也河上波忽氷李広思父之讎也草中石飲羽と云り。所詮天台・妙楽釈分明に信を以て本とせり。彼漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば立波こほり行ぞかし。石に矢のたつ、是又父のかたきと思し至信の故也。何に況や仏法においてをや。法華経を受持て南無妙法蓮華経と唱る、即五種の修行を具足するなり。此事伝教大師入唐して、道邃和尚に値奉て、五種頓修の妙行と云事を相伝し給ふなり。日蓮が弟子檀那の肝要、是より外に求る事なかれ。神力品云。委くは又々可申候。穴賢穴賢。 建治三年八月二十三日 日蓮 [花押] 日女御前 [御返事]