下山御消息
247 下山御消息
於例時者尤可被読阿弥陀経歟等[云云]。此事は仰候はぬ已前より、親父の代官といひ、私と申、此四五年が間は無退転例事には阿弥陀経を読奉り候しが、去年之春の末へ夏の始より、阿弥陀経を止て一向に法華経の内、自我偈読誦し候。又同ば一部を読奉らむとはげみ候。これ又偏に現当の御祈祷の為也。
但阿弥陀経念仏止て候事は、此日比日本国に聞へさせ給日蓮聖人、去文永十一年の夏の比、同甲州飯野御牧、波木井の郷の内、身延の嶺と申す深山に御隠居せさせ給候へば、さるべき人々御法門可承之由候へども御制止ありて入られず。おぼろげの強縁ならではかなひがたく候しに、有人見参の候と申候しかば、信じまいらせ候はんれう(料)には参候はず、ものの様をも見候はんために、閑所より忍て参り御庵室の後に隠れ、人々の御不審に付てあらあら御法門とかせ給候き。
法華経と大日経・華厳・般若・深密・楞伽・阿弥陀経等の経々の勝劣浅深等を先として説給しを承候へば、法華経と阿弥陀経の勝劣は一重二重のみならず、天地雲泥に候けり。譬ば帝釈と猿猴と、鳳凰と烏鵲と、大山と微塵と、日月と蛍炬等の高下勝劣也。彼々の経文と法華経とを引合てたくらべさせ給しかば愚人も弁つ可し。白々也赤々也。されば此法門は大体人も知れり。始ておどろくべきにあらず。
又仏法を修行する法は必ず経々の大小・権実・顕密を弁べき上、よくよく時を知り、機を鑑て申べき事也。而に当世日本国は人毎に阿みだ経並に弥陀の名号等を本として、法華経を忽諸し奉る。世間に智者と仰るる人々、我も我も時機を知れり知れりと存ぜられげに候へども、小善を持て大善を打奉り、権経を以て実経を失ふとがは、小善還て大悪となる、薬変て毒となる、親族還て怨敵と成が如し。難治の次第也。
又仏法には賢なる様なる人なれども、時に依り機に依り国に依り先後の弘通に依る事を弁へざれば、身心を苦めて修行すれども験なき事なり。設一向に小乗流布の国には大乗をば弘通する事はあれども、一向大乗の国には小乗経をあながちにいむ(忌)事也。しゐてこれを弘通すれば国もわづらひ、人も悪道まぬがれがたし。
又初心の人には二法を並て修行せしむる事をゆるさず。月氏の習には、一向小乗の寺の者は王路を行かず、一向大乗の僧は左右路をふむ事なし。井の水河の水同く飲事なし。何況一房に栖なんや。されば法華経に、初心の一向大乗の寺を仏説給に、但楽受持大乗経典乃至不受余経一偈。又云又不親近求声聞比丘比丘尼優婆塞優婆夷。又云亦不問訊等[云云]。設親父たれども一向小乗の寺に住する比丘・比丘尼をば、一向大乗寺の子息此を礼拝せず親近せず。何況其法を修行せんや。大小兼行の寺は初心の者入ことを許す。
而今日本国は最初仏法の渡て候し比は大小雑行にて候しが、人王四十五代聖武天皇の御宇に、唐の揚州龍興寺の鑑真和尚と申せし人、漢土より我朝に法華経天台宗を渡給て有しが、円機未熟とやおぼしけん、此の法門をば己心に収て口にも出し給はず。大唐の終南山の豊徳寺の道宣律師の小乗戒日本国三所に建立せり。此偏に法華宗の流布すべき方便也。大乗出現の後には肩を並て行よとにはあらず。例ば儒家の本師たる孔子・老子等の三聖は仏の御使として漢土に遣されて、内典の初門に礼楽の文を諸人に教たり。止観に経を引て云、我遣三聖化彼震旦等[云云]。妙楽大師云礼楽前馳真道後開[云云]。釈尊は大乗の初門に且小乗戒を説給しかども、時過ぬれば禁誓云、涅槃経云若有人言如来無常云何是人舌不堕落等[云云]。
其後、人王第五十代桓武天王の御宇に、伝教大師と申せし聖人出現せり。始には華厳・三論・法相・倶舎・成実・律の六宗を習極給のみならず、達磨宗の淵底を探究竟するのみならず、本朝未弘の天台法華宗・真言宗の二門を尋顕て浅深勝劣心中に存給。去延暦二十一年正月十九日に桓武皇帝高雄寺に行幸ならせ給、南都七大寺の長者善議・勤操等の十四人最澄法師に召合せ給て、六宗と法華宗との勝劣浅深得道の有無を糾明せられしに、先は六宗の碩学各々宗々ごとに我が宗は一代超過一代超過の由立申されしかども、澄公の一言に万事破畢ぬ。其後皇帝重て口宣す。和気弘世を御使として諫責せられしかば、七大寺六宗碩学一同に謝表を奉畢。一十四人之表云此界含霊而今而後悉載妙円之船早得済彼岸[云云]。教大師云二百五十戒忽捨畢[云云]。又云正像稍過已末法太有近。又云一乗之家都不用。又云無以穢食置宝器。又云仏世之大羅漢已被此呵嘖。滅後小蚊虻何不随此[云云]。此又私の責にはあらず。法華経には正直捨方便但説無上道[云云]。涅槃経には邪見之人等[云云]。邪見方便と申は華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経経也。捨者天台云廃也。又云謗者背也。正直初心の行者の法華経を修行する法は、上に挙るところの経々宗々を抛て、一向に法華経を行ずるが真の正直の行者にては候也。而を初心の行者深位の菩薩の様に、彼々の経々と法華経とを並て行ずれば不正直の者となる。世間の法にも(前欠)かねたるがごとし。家には殺害を招き、子息は父定ず。賢人は二君に仕へず、貞女は両夫に嫁がずと申此也。
又私に異義を申べきにあらず。如来は未来を鑑させ給て、我滅後正法一千年・像法一千年・末法一万年が間、我法門を弘通すべき人々並に経々を一一にきりあてられて候。而に此を背人世に出来せば、設智者賢王なりとも用べからず。所謂我滅後次日より五百年が間は一向小乗経を弘通すべし。迦葉・阿難乃至富那奢等の十余人也。後の五百余年は権大乗経所謂華厳・方等・深密・大日経・般若・観経・阿弥陀経等を、馬鳴菩薩・龍樹菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の四依の大菩薩大論師弘通すべし。而に此等の阿羅漢並等大論師は法華経の深義を知食ざるには有ず。然而流布の時も来らず、釈尊よりも仰つけられざる大法なれば、心には存給ども、口には宣給はず。或は粗口に囀給やうなれども、実義をば一向に隠て止ぬ。像法一千年が内に入ぬれば月氏の仏法漸く漢土・日本に渡来る。世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、法華経の半分迹門十四品を譲給。これは又地涌の大菩薩、末法の初に出現せさせ給て、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱させ給べき先序のため也。所謂迹門弘通の衆は南岳・天台・妙楽・伝教等是也。
今の時は世すでに上行菩薩等の御出現の時剋に相当れり。而に余愚眼を以てこれを見に、先相すでにあらはれたる歟。而諸宗所依の華厳・大日・阿みだ経等は其流布の時を論ずれば、正法一千年の内後五百年乃至像法の始の諍論の経々也。而に人師等経々の浅深勝劣等に迷惑するのみならず、仏の譲状をもわすれ、時機をも勘へず、猥宗々を搆像末の行となせり。例ば白田に種を下して玄冬に穀をもとめ、下弦に満月を期し、夜中に日輪を尋る如し。何況律宗なむど申宗一向小乗也。月氏には正法一千年の前の五百年の小法、又日本国にては像法の中比、法華経天台宗の流布すべき前に且く機を調養せむがため也。例せば日出んとて明星前に立ち、雨下らむとて雲先おこるが如し。日出雨下後の星・雲はなにかせん。而に今は時過ぬ。又末法に入て之を修行せば、重病に軽薬を授け、大石を小船に載たり。偶々修行せば身は苦暇は入て験なく、花のみ開て菓なく、雷のみ鳴雨下じ。
故に教大師像法の末に出現して、法花経の迹門戒定慧の三が内、其の中円頓戒壇を叡山に建立し給し時、二百五十戒忽に捨畢。随て又鑑真が末の南都七大寺一十四人三百余人も加判して大乗の人となり、一国挙て小律儀を捨畢。其授戒の書を可見。分明也。而を今邪智の持斉法師等、昔し捨し小乗経を取出て、一戒もたもたぬ名計なる二百五十戒の法師原有て、公家・武家を誑惑して国師とのゝしる。剰我慢を発て大乗戒の人を破戒無戒とあなづる。例ば狗犬が師子を吠へ、猿猴が帝釈をあなづるが如し。今の律宗の法師原は、世間の人々には持戒実語の者のやうには見ゆれども、其実を論ずれば天下第一の不実の者也。其故は彼等が本文とする四分・十誦等の律文は大小乗の中には一向小乗、小乗の中には最下の小律也。在世には十二年の後、方等大乗へ遷程の且くのやすめ(息)ことは、滅後には正法の前五百年は一向小乗寺なり。此又一向大乗寺の毀謗となさんが為、されば日本国には像法半に鑑真和尚、大乗の手習とし給。教大師彼宗を破し給て、人をば天台宗へとりこし、宗をば失べしといへども、後に事の由を知が為に、我大乗の弟子を遣して助をき給。而今の学者等は此由知ずして、六宗は本より破れずして有とおもへり。無墓々々。
又一類の者等、天台才学を以て見れば、我律宗幼弱なる故に、漸々に梵網経へうつりし。結句は法華経の大戒を我が小律に盗入て、還て円頓の行者を破戒無戒と咲へば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給て、天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪取て彼等にあたへ。万民は又一向大乗寺の帰依を抛てて彼寺にうつる。手づから火をつけざれども日本一国の大乗の寺を焼失、抜目鳥にあらざれども一切衆生の眼抜ぬ。仏の記給ふ阿羅漢に似る闡提是也。
涅槃経云我涅槃後無量百歳四道聖人悉復涅槃。正法滅後於像法中当有比丘似像持律少読誦経貪嗜飲食長養其身。乃至雖服袈裟猶如猟師細視徐行如猫伺鼠、外現賢善内懐貪嫉如受_法婆羅門等実非沙門現沙門像邪見熾盛誹謗正法等[云云]。此経文に世尊未来を記置給。抑釈尊は我等がためには賢父たる上明師也聖主也。一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て未来悪世を鑑給て記置給記文云我涅槃後無量百歳[云云]。仏滅後二千年已後と見へぬ。又四道聖人悉復涅槃[云云]。付法蔵の二十四人を指歟。正法滅後等[云云]。像末の世と聞えたり。当有比丘似像持律等[云云]。今末法の代に比丘似像を撰び出さば、日本国には誰の人をか引出て、大覚世尊をば不妄語の人とし奉るべき。俗男・俗女・比丘尼をば此経文に載たる事なし。但比丘計也。
比丘は日本国に数をしらず。而ども其の中三衣一鉢身に帯せねば似像と定めがたし。唯持斉法師計あひ似たり。一切の持斉の中には次下の文に持律と説たり。律宗より外は又脱れぬ。次下の文に、少読誦経[云云]。相州鎌倉極楽寺の良観房にあらずば、誰を指出て経文をたすけ奉べき。次下の文に猶如猟師細視徐行如猫伺鼠外現賢善内懐貪嫉等[云云]。両火房にあらずば誰をか三衣一鉢猟師伺猫として仏説を可信。哀哉。当時の俗男・俗女・比丘尼等・檀那等が、山の鹿・家の鼠となりて、猟師猫に似たる両火房に伺れたぼらかされて、今生には守護国土の天照太神・正八幡等にすてられ、他国の兵軍にやぶられて、猫の鼠を捺取が如く、猟師の鹿を射死が如し。俗男武士等は射伏切伏られ、俗女は捺取られて他国へおもむかん。王昭君・楊貴妃が如くになりて、後生には無間大城に一人もなく趣べし。而を余此事を見故に、彼が檀那等が大悪心をおそれず強盛にせむる故に、両火房内々諸方に讒言を企てて、余が口を塞がんとはげみし也。
又経云供養汝者堕三悪道等[云云]。在世の阿羅漢を供養せし人尚三悪道脱がたし。何況滅後の誑惑小律の法師等をや。小戒の大科をばこれを以て可知。或は又驢乳にも譬たり、還て糞となる。或は狗犬にも譬たり、大乗の人の糞を食す。或は猿猴或は瓦礫と[云云]。然ば時を弁へず機をしらずして小乗戒を持ば大乗の障となる。破れば又必悪果を招く。其上、今の人々小律の者どもは大乗戒を小乗戒に盗入れ、驢乳に牛乳を入れて大乗の人をあざむく。大偸盗の者大謗法の者、其とがを論れば、提婆達多も肩を並がたく瞿伽利尊者が足も及ざる、閻浮第一の大悪人也。帰依せん国土安穏なるべしや。余此事を見るに、自身だにも弁へなばさてこそあるべきに、日本国に智者とおぼしき人々一人も不知。国すでにやぶれなんとす。其上、仏の諫暁を重ずる上、一分の慈悲にもよをされて、国に代て身命を捨て申せども、国主等彼にたぼらかされて、用る人一人もなし。譬へば熱鉄に冷水を投げ、睡眠の師子に手を触が如し。
爰に両火房と申法師あり。身には三衣を皮の如くはなつ事なし。一鉢は両眼をまほるが如し。二百五十戒堅く持ち、三千の威儀をとゝのへたり。世間の無智道俗、国主よりはじめて万民にいたるまで、地蔵尊者の伽羅陀山より出現せる歟、迦葉尊者の霊山より下来かと疑。余法華経の第五巻勧持品を拝見し奉て末代に入て法華経の大怨敵三類有べし。其第三の強敵は此者かと見了。便宜あらば、国敵を責て彼が大慢を倒て、仏法の威験あらわさんと思処に、両火房常に高座にして歎て云、日本国の僧尼に二百五十戒五百戒、男女には五戒八斉戒等を一同に持せんと思に、日蓮が此の願の障となると[云云]。余案云、現証に付て事を切んと思処に、彼常に雨を心に任て下す由披露あり。古へも又雨を以て得失をあらはす例これ多。所謂伝教大師と護命と、守敏と弘法と等也。此に両火房上より祈雨の御いのりを仰付られたりと[云云]。此に両火房祈雨あり。去文永八年六月十八日より二十四日也。此に使を極楽寺へ遣す。年来の御歎きこれなり。七日が間に若一雨も下ば、御弟子となりて二百五十戒具に持上に、念仏無間地獄と申事ひがよみなりけりと申べし。余だにも帰伏し奉ば、我弟子等をはじめて日本国大体かたぶき候なんと[云云]。七日が間に三度の使をつかはす。然どもいかんがしたりけむ、一雨も不下之上、頽風・飆風・旋風・暴風等の八風十二時にやむ事なし。剰二七日まで一雨も不下。風もやむ事なし。されば此事は何事ぞ。和泉式部と云し色好み、能因法師と申せし無戒の者、此は彼の両火房がいむところの三十一字ぞかし。彼月氏の大盗賊南無仏と称せしかば天頭を得たり。彼両火房並に諸僧等の二百五十戒、真言法華の小法大法の数百人の仏法の霊験、いかなれば婬女等之誑言大盗人が称仏には劣らんとあやしき事也。
此を以て彼等が大科をばしらるべきに、さはなくして還て讒言をもちゐらるゝは、実とはおぼへず。所詮日本国亡国となるべき期来る歟。又祈雨の事はたとひ雨下せりとも、雨の形貌を以て祈者の賢不賢を知事あり。雨種々也。或は天雨、或は龍雨、或は修羅雨、或は麁雨、或甘雨、或雷雨等あり。今の祈雨は都て一雨も下らさる上、二七日が間、前より遥に超過せる大旱魃・大悪風、十二時に止ることなし。両火房真の人ならば、忽に邪見をも翻し、跡をも山林に隠べきに、其義は無くて面を弟子檀那等にさらす上、剰讒言を企日蓮が頸をきらせまいらせんと申上、あづかる人の国まで状を申下て種をたゝんとする大悪人也。
而を無智の檀那等、恃怙して現世には国をやぶり、後生には無間地獄に堕なん事の不便さよ。起世経云有諸衆生為放逸汚清浄行故天不下雨。又云有不如法慳貧嫉妬邪見顛倒故天則不下雨。又経律異相云有五事無雨。一二三[略之]四雨師婬乱五国王不理治雨師瞋故不雨[云云]。此等の経文の亀鏡をもつて両火房が身に指当てて見よ。少もくもりなからむ。一には名は持戒ときこゆれども、実には放逸なる歟。二には慳貧なる歟。三には嫉妬なる歟。四には邪見なる歟。五には婬乱なる歟。此五にはすぐべからず。又此経は両火房一人には不可限。昔をかがみ、今をもしれ。弘法大師の祈雨の時、二七日之間、一雨も下らざりしもあやしき事也。而を誑惑の心強盛なりし人なれば、天子の御祈雨の雨を盗取て我が雨と[云云]。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の祈雨の時、小雨は下たりしかども三師ともに大風連々と吹て、勅師をつけてをはれしあさましさと、天台大師・伝教大師の須臾と三日が間に帝釈雨を下て小風も吹ざりしも、たとく(貴)ぞおぼゆるおぼゆる。
法華経云、或有阿練若納衣在空閑乃至貪著利養故与白衣説法為世所恭敬如六通羅漢。又云常在大衆中欲毀我等故向国王大臣婆羅門居士及余比丘衆誹謗説我悪乃至悪鬼入其身罵詈毀辱我。又云濁世悪比丘不知仏方便随宣所説法悪口而顰蹙数数見擯出等[云云]。涅槃経云有一闡提作羅漢像住於空処誹謗方等大乗経典諸凡夫人見已皆謂真阿羅漢是大菩薩等[云云]。今予法華経と涅槃経との仏鏡をもつて、当時の日本国を浮て其影をみるに、誰の僧か国主に六通の羅漢の如くたとまれて、而も法華経の行者を讒言して頸をきらせんとせし。又いづれの僧か万民に大菩薩とあをがれたる。誰の智者か法華経の故に度々処々を追はれ、頸をきられ、弟子を殺され、両度まで流罪せられて最後に頸に及ばんとせし。無眼無耳の人は除く。有眼有耳人は経文を見聞せよ。今の人々は人毎とに、経文を我もよむ、我も信たりといふ。只にくむところは日蓮計也。経文を信ずるならば、慥にのせたる強敵を取出して、経文を信じてよむしるしとせよ。若不爾者、経文の如く読誦する日蓮をいかれるは、経文をいかれるにあらずや。仏使をかろしむる也。
今の代の両火房法華経の第三の強敵とならずば、釈尊は大妄語の仏、多宝十方の諸仏は不実の証明也。又経文まことならば、御帰依の国主は現在には守護の善神にすてられ、国は他の有となり、後生には阿鼻地獄疑なし。而に彼等が大悪法を尊るる故に、理不尽の政道出来す。彼の国主の僻見の心を推するに、日蓮は阿弥陀仏の怨敵、父母の建立の堂塔の讎敵なれば、仮令政道をまげたりとも仏意には背かじ、天神もゆるし給べしとをもはるゝ歟。はかなしはかなし。委細にかたるべけれども、此は小事なれば申ず。心有者推て知ぬべし。上に書挙るより雲泥大事なる日本第一の大科、此国に出来して年久くなる間、此国既に梵釈日月四天大王等の諸天にも捨られ、守護の諸大善神も還て大怨敵となり、法華経守護の梵帝等隣国の聖人に仰付て日本国を治罰し、仏前の誓状を遂とをぼしめす事あり。
夫正像の古へは世濁世に入といへども、始なりしかば国土さしも不乱、聖賢も間間出現し、福徳の王臣も絶ざりしかば、政道も曲る事なし。万民も直かりし故に、小科を対治せんがために三皇・五帝・三王・三聖等出現して、墳典を作て代を治す。世しばらく治たりしかども、漸漸にすへになるまゝに、聖賢も出現せず、福徳の人もすくなければ、三災は多大にして七難先代に超過せしかば、外典及がたし。其時治を代て内典を用て世を治す。随て世且はおさまる。されども又世末になるまゝに、人の悪は日々に増長し、政道は月々に衰減するかの故に、又三災七難先よりいよいよ増長して、小乗戒等の力験なかりしかば、其時治をかへて小乗の戒等を止て大乗を用ゆ。大乗又叶ねば法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立して代を治たり。所謂伝教大師、日本三所の小乗戒並に華厳三論法相の三大乗戒を破失せし是也。
此大師は六宗をせめ落させ給のみならず、禅宗をも習極、剰日本国にいまだひろまらざりし法華宗真言宗をも勘出して勝劣鏡をかけ、顕密の差別黒白也。然ども世間の疑散じがたかりしかば、去延暦年中に御入唐、漢土の人々も他事には賢かりしかども、法華経大日経・天台真言二宗の勝劣浅深は分明に知せ給はざりしかば、御帰朝の後、本の御存知の如く、妙楽大師の記の十の、不空三蔵の改悔の言を含光がかたりしを引載て、天台勝れ真言劣なる明証を依憑集に定給。剰真言宗の宗の一字を削給。其故は善無畏・金剛智・不空の三人、一行阿闍梨をたぼらかして、本はなき大日経に天台己証の一念三千の法門を盗入て、人の珍宝を我が有とせる大誑惑の者と心得給へり。例せば澄観法師が天台大師の十法成乗の観法を華厳経に盗入て、還て天台宗を末教と下がごとしと御存知あて、宗の一字を削て叡山は唯七宗たるべしと[云云]。
而を弘法大師と申天下第一の自讃毀他の大妄語の人、教大師御入滅の後、対論なくして公家をかすめたてまつりて八宗と申立ぬ。然ども本師の跡を紹継する人々は叡山は唯七宗にてこそあるべきに、教大師の第三の弟子慈覚大師と叡山第一の座主義真和尚の末弟子智証大師と、此二人は漢土に渡給し時、日本国にて一国の大事と諍論せし事なれば、天台・真言の碩学等に値給毎に勝劣浅深を尋給。然に其時の明匠等も或は真言宗勝れ、或は天台宗勝れ、或は二宗斉等、或は理同事異といへども、倶に慥の証文をば出さず。二宗の学者等併胸臆の言也。
然に慈覚大師は学極めずして帰朝して疏十四巻を作れり。所謂、金剛頂経の疏七巻、蘇悉地経の疏七巻也。此疏の為体は法華経と大日経等の三部経とは理同事異等[云云]。此疏の心は大日経の疏と義釈との心を出すが、なを不審あきらめがたかりけるかの故に、本尊の御前に疏を指置て、此疏仏意に叶へりやいなやと祈せいせし処に、夢に日輪を射と[云云]。うちをどろきて吉夢也、真言勝たる事疑なしとおもひて宣旨を申下す。日本国に弘通せんとし給しが、ほどなく疫病やみて四ヶ月と申せしかば、跡もなくうせ給ぬ。而智証大師は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任て宣旨を申下給。所謂真言法華斉等也。譬ば鳥の二の翼、人の両目の如し。又叡山も八宗なるべしと[云云]。此両人は身は叡山の雲の上に臥といへども、心は東寺里中の塵にまじはる。本師の遺跡を紹継する様にて、還て聖人の正義を忽諸し給へり。法華経の於諸経中最在其上の上の字を、うちかへして大日経の下に置、先大師の怨敵となるのみならず、存外に釈迦・多宝・十方分身・大日如来等の諸仏の讎敵となり給。されば慈覚大師の夢に日輪を射と見しは是也。仏法の大科此よりはじまる。日本国亡国となるべき先兆也。
棟梁たる法華経既に大日経の椽梠となりぬ。王法も下剋上して、王位も臣下に随ふべかりしを、其時又一類の学者有て堅く此法門を諍論せし上、座主も両方を兼て事いまだきれざりしかば、世も忽にほろびず有ける歟。例せば外典云、大国には諍臣七人、中国には五人、小国には三人諍論すれば、仮令政道に謬誤出来すれども国不破。乃至家に諫子あれば不義におちずと申が如し。仏家も又如是。天台・真言の勝劣浅深事きれざりしかば少々の災難は出来せしかども、青天にも捨られず、黄地にも犯されず、一国の内の事にてありし程に、人王七十七代後白河の法皇の御宇に当て、天台座主明雲、伝教大師の止観院法華経の三部をすてて、慈覚大師の総持院大日の三部に付給。天台山は名計にて真言山になり、法華経の所領は大日経の地となる。天台と真言と、座主と大衆と敵対あるべき序也。国又王と臣と諍論して王は臣に随べき序也。一国乱て他国に破らるべき序也。然ば明雲は義仲に殺れて、院も清盛にしたがひられ給。
然ども公家も叡山も共に此の故としらずして、世静ならずすぐる程に、災難次第に増長して人王八十二代隠岐の法皇の御宇に至て、一災起れば二災起と申て禅宗・念仏宗起合ぬ。善導房は法華経は末代には千中無一とかき、法然は捨閉閣抛と[云云]。禅宗は法華経を失はんがために教外別伝・不立文字とのゝしる。此三の大悪法鼻を並て一国に出現せしが故に、此国すでに梵釈二天・日月・四王に捨られ奉り、守護善神も還て大怨敵とならせ給。然ば相伝の所従に責随られて主上・上皇共に夷島に放れ給、御返なくしてむなしき島の塵となり給。所詮実経の所領を奪取て権経真言の知行となせし上、日本国の万民等、禅宗・念仏宗の悪法を用し故に、天下第一先代未聞の下剋上出来せり。而に相州は謗法の人ならぬ上、文武きはめ尽せし人なれば、天許国主となす。随て世且く静なりき。然而又先に王法を失し真言漸く関東に落下る。存外に崇重せらるゝ故に、鎌倉又還て大謗法一闡提の官僧・禅僧・念仏僧の檀那と成て、新寺を建立して旧寺を捨る故に、天神は眼を瞋して此国を睨め、地神は憤を含で身を震ふ。長星は一天に覆ひ、地震は四海を動す。
余此等の災夭に驚て、粗内典五千外典三千等を引見に、先代にも希なる天変地夭也。然而儒者家には記せざれば知事なし。仏法は自迷なればこゝろへず。此災夭は常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず。定て仏法より事起る歟と勘へなしぬ。先大地震に付て去正嘉元年に書を一巻注たりしを、故最明寺の入道殿に奉る。御尋もなく御用もなかりしかば、国主の御用なき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん。念仏者並に檀那等、又さるべき人々も同意したるとぞ聞へし。夜中に日蓮が小庵に数千人押寄て殺害せんとせしかども、いかんがしたりけん、其の夜の害もまぬかれぬ。然ども心を合たる事なれば、寄たる者も科なくて、大事の政道を破る。
日蓮が生たる不思議なりとて伊豆国へ流ぬ。されば人のあまりににくきには、我がほろぶべきとがをもかへりみざる歟。御式目をも破らるゝ歟。御起請文を見に、梵・釈・四天・天照太神・正八幡等を書のせたてまつる。余存外の法門を申さば、子細を弁られずば、日本国の御帰依の僧等に召合せられて、其になを事ゆかずば、漢土月氏までも尋らるべし。其に叶ずば、子細ありなんとて、且くまたるべし。子細も弁えぬ人々が身のほろぶべきを指をきて、大事の起請を破るゝ事心へられず。自讃には似れども本文に任て申。余は日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母也、二には師匠也、三には主君の御使也。経云即如来使。又云眼目也。又云日月也。章安大師云為彼除悪則是彼親等[云云]。而謗法一闡提国敵の法師原が讒言を用て、其義を不弁、左右なく大事たる政道を曲らるるは、わざとわざはひをまねかるゝ歟。無墓々々。然るに事しづまりぬれば、科なき事は恥かしき歟の故に、ほどなく召返されしかども、故最明寺の入道殿も又早かくれさせ給ぬ。
当御時に成て或は身に疵をかふり、或は弟子を殺れ、或は所々を追、或はやどをせめしかば、一日片時も地上に栖べき便りなし。是に付ても、仏は一切世間多怨難信と説置給、諸菩薩は我不愛身命但惜無上道と誓へり。加刀杖瓦石数数見擯出の文に任て流罪せられ、刀のさきにかゝりなば、法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりて、わざと不軽菩薩の如く、覚徳比丘の様に、龍樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者の如く弥強盛に申しはる。
今度法華経の大怨敵を見て、経文の如く父母師匠朝敵宿世の敵の如く、散々に責るならば、定て万民もいかり、国主も讒言を収て、流罪し頸にも及ばんずらん。其時仏前にして誓状せし梵・釈・日月・四天の願をもはたさせたてまつり、法華経の行者をあだまんものを須臾ものがさじと、起請せしを身にあてて心みん。釈迦・多宝・十方分身諸仏の或は共に宿し、或は衣を覆はれ、或は守護せんと、ねんごろに説せ給しをも、実歟虚言歟と知て信心をも増長せんと退転なくはげみし程に、案にたがはず、去文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。外には遠流と聞しかども、内には頸を切と定ぬ。余又兼て此事を推せし故に弟子に向て云、我願既に遂ぬ。悦身に余れり。人身は受がたくして破れやすし。過去遠々劫より由なき事には失しかども、法華経のために命をすてたる事はなし。我頸を刎られて師子尊者が絶たる跡を継ぎ、天台・伝教の功にも超へ、付法蔵の二十五人に一を加て二十六人となり、不軽菩薩の行にも越て、釈迦・多宝・十方の諸仏にいかがせんとなげかせまいらせんと思し故に、言をもおしまず已前にありし事、後に有べき事の様を平金吾に申含ぬ。此語しげければ委細にはかかず。
抑日本国の主となりて、万事を心に任給へり。何事も両方を召合てこそ勝負を決し御成敗をなす人の、いかなれば日蓮一人に限て諸僧等に召合せずして大科に行るゝらん。是偏にただ事にあらず。たとひ日蓮は大科の者なりとも国は安穏なるべからず。御式目を見に、五十一箇條を立てて、終に起請文を書載たり。第一第二は神事仏事乃至五十一等[云云]。神事仏事の肝要たる法華経を手ににぎれる者を、讒人等に召合られずして、彼等が申まゝに頸に及ぶ。然ば他事の中にも此起請文に相違する政道は有らめども此は第一大事也。日蓮がにくさに国をかへ、身を失はんとせらるゝ歟。魯哀公が忘事の第一なる事を記せらるゝには、移宅に妻をわすると[云云]。孔子云、身をわするゝ者あり。国主と成て政道を曲る是也[云云]。将又国主は此事を委細には知せ給はざる歟。いかに知せ給はずとのべらるゝとも、法華経の大怨敵と成給ぬる重科は脱るべしや。
多宝十方の諸仏の御前にして、教主釈尊申口として、末代当世の事を説せ給しかば、諸菩薩記云悪鬼入其身罵詈毀辱我乃至数数見擯出等[云云]。又四仏釈尊の最勝王経云由愛敬悪人治罰善人故乃至他方怨賊来国人遭喪乱等[云云]。たとひ日蓮をば軽賎せさせ給とも、教主釈尊の金言、多宝十方の諸仏の証明は空かるべからず。一切の真言師・禅宗・念仏者等の謗法の悪比丘をば前より御帰依ありしかども、其大科を知せ給はねば少し天も許し、善神もすてざりけるにや。而を日蓮が出現して、一切の人を恐ず、身命を捨てて指申ば、賢なる国主ならば子細を聞給べきに、聞ず、用られざるだにも不思議なるに、剰へ頸に及ばんとせしは存外の次第也。然ば大悪人を用る大科、正法の大善人を耻辱する大罪、二悪鼻を並て此国に出現せり。譬ば修羅を恭敬し、日天を射奉が如し。故に前代未聞の大事此国に起るなり。是又先例なきにあらず。夏桀王は龍蓬が頭を刎ね、殷紂王は比干が胸をさき、二世王は李斯を殺、優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如し、檀弥羅王は師子尊者の頸をきる。武王は慧遠法師と諍論し、憲宗王は白居易を遠流し、徽宗皇帝は法道三蔵の面に火印をさす。此等は皆諫暁を用ざるのみならず、還て怨を成せし人々、現世には国を亡し身を失、後生には悪道に堕。是又人をあなづり、讒言を納て理を尽ざりし故也。
而に去文永十一年二月に佐土国より召返されて、同四月の八日に平金吾対面して有し時、理不尽の御勘気の由委細に申含ぬ。又恨らくは此国すでに他国に破れん事のあさましさよと歎申せしかば、金吾が云、何の比か大蒙古は寄候べきと問しかば、経文には分明に年月を指たる事はなけれども、天の御気色を拝見し奉に、以の外に此国を睨させ給か。今年は一定寄ぬと覚ふ。若寄するならば一人も面を向者あるべからず。此又天の責也。日蓮をばわどのばら(和殿原)が用ぬ者なれば力及ばず。穴賢々々。真言師等に調伏行せ給べからす。若行するほどならば、いよいよ悪かるべき由申付て、さて帰てありしに、上下共に先の如く用さりげに有上、本より存知せり、国恩を報ぜんがために三度までは諫暁すべし。用ずば山林に身を隠さんとおもひし也。又上古の本文にも、三度のいさめ用ずば去といふ。本文にまかせて且く山中に罷入ぬ。其上は国主の用給はざらんに其巳下に法門申て何かせん。申たりとも国もたすかるまじ。人も又仏になるべしともおぼへず。
又念仏無間地獄、阿弥陀経を読べからずと申事も私の言にはあらず。夫弥陀念仏と申は源と釈迦如来の五十余年の説法の内、前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり。然ども如来の金言なれば定て真実にてこそあるらめと信ずる処に、後八年の法華経の序分たる無量義経に、仏、法華経を説せ給はんために、先づ四十余年の経々並に年紀等を具に数へあげて、未顕真実乃至終不得成無上菩提と、若干の経々並に法門を唯一言に打消給事、譬ば大水の小火をけし、大風の衆の草木の露を落が如し。然後に正宗法華経の第一巻にいたりて、世尊法久後要当説真実。又云正直捨方便但説無上道と説給。譬へば闇夜に大月輪出現し、大塔立後足代を切捨がごとし。然後実義を定云、今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子。而今此処多諸患難。唯我一人能為救護。雖復教詔而不信受乃至見有読誦書持経者軽賎憎嫉而懐結恨。其人命終入阿鼻獄等[云云]。経文の次第普通の性相の法には似ず。常には五逆七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定て候に、此はさにては候はず。在世滅後の一切衆生、阿弥陀経等の四十余年の経々を堅く執て法華経へうつらざらむと、仮令法華経へ入とも本執を捨ずして彼々の経々を法華経に並て修行せん人と、又自執の経々を法華経に勝たりといはん人と、法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者と、此等の諸人を指つめて其人命終入阿鼻獄と定させ給し也。
此事はただ釈迦一仏の仰なりとも、外道にあらずば疑べきにてはあらねども、巳今当の諸経の説に色をかへて重き事をあらはさんがために、宝浄世界の多宝如来は自はるばる来給て証人とならせ給、釈迦如来の先判たる大日経・阿弥陀経・念仏等を堅く執して、後の法華経へ入ざらむ人々は入阿鼻獄は一定也と証明し、又阿弥陀仏等の十方の諸仏は各々国々を捨てゝ霊山虚空会に詣給、宝樹下に坐して広長舌を出し大梵天に付給、無量無辺の虹の虚空に立たらんが如し。心は四十余年の中の観経・阿弥陀経・悲華経等に、法蔵比丘等の諸菩薩四十八願等を発て、凡夫を九品の浄土へ来迎せんと説事は、且く法華経已前のやすめ言也。実には彼々の経々の文の如く十方西方への来迎はあるべからず。実とおもふことなかれ。釈迦仏の今説給が如し。実には釈迦・多宝・十方諸仏、寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為也と出給広長舌也。我等と釈迦仏とは同程の仏也。釈迦仏は天月の如し、我等は水中の影月也。釈迦仏の本土は実には娑婆世界也。天月動給はずば我等もうつるべからず。此土に居住して法華経の行者を守護せん事、臣下が主上を仰奉らんが如く、父母の一子を愛するが如くならんと出給舌也。
其時阿弥陀仏の一二の弟子、観音・勢至等は阿弥陀仏の塩梅也、双翼也、左右臣也、両目の如し。然に極楽世界よりはるばると御共し奉たりしが、無量義経の時、仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕真実、乃至法華経にて一名阿弥陀と名をあげて此等の法門は真実ならずと説給しかば、実とも覚へざりしに、阿弥陀仏正く来て合点し給しをうち見て、さては我等が念仏者等を九品の浄土へ来迎の蓮台と合掌の印とは虚しかりけりと聞定て、さては我等も本土に還て何かせんとて、八万二万の菩薩のうちに入、或は観音品に遊於娑婆世界と申て、此土の法華経の行者を守護せんとねんごろに申せしかば、日本国より近き一閻浮提の内、南方補陀落山と申小所を釈迦仏より給て宿所と定給ふ。
阿弥陀仏は左右の臣下たる観音・勢至に捨られて、西方世界へは還給はず。此世界に留て法華経の行者を守護せんとありしかば、此世界の内、欲界第四の兜率天、弥勒菩薩の所領の内、四十九院の一院を給て、阿弥陀院と額を打ておはするとこそうけ給はれ。其上阿弥陀経には、仏、舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説給ふ。舎利弗舎利弗又舎利弗と二十余処までいくばくもなき経によび給しは、かまびすしかりし事ぞかし。然ども四紙一巻が内、すべて舎利弗等の諸声聞の往生成仏許さず。法華経に来てこそ、始て華光如来・光明如来とは記られ給しか。一閻浮提第一の大智者たる舎利弗、浄土の三部経にて往生成仏の跡をけづる。まして末代牛羊の如なる男女、彼々の経々にて生死を離なんや。
此由を弁へざる末代の学者等、並に法華経を修行する初心の人々、かたじけなく阿弥陀経を読、念仏を申て、或は法華経に鼻を並べ、或は後に此を読て法華経の肝心とし、功徳を阿弥陀経等にあつらへて、西方へ回向し往生せんと思ふは、譬へば飛龍が驢馬を乗物とし、師子が野干をたのみたる歟。将又日輪出現の後の衆星の光、大雨の盛時の小露也。故教大師云賜白牛朝不用三車得家業夕何須除糞。故経云正直捨方便但説無上道。又云日出星隠見巧知拙[云云]。法華経出現の後は巳今当の諸経の捨らるゝ事は勿論也。たとひ修行すとも法華経の所従にてこそあるべきに、今の日本国の人々、導綽が未有一人得者、善導が千中無一、慧心が往生要集の序、永観が十因、法然が捨閉閣抛等を堅く信て、或は法華経を抛て一向念仏を申者もあり、或は念仏を本として助に法華経を持者もあり、或は弥陀念仏と法華経とを鼻を並て左右に念じて二行と行ずる者もあり、或は念仏と法華経と一法二名也と思て行ずる者もあり。此等は皆教主釈尊の御屋敷の内に居して、師主をば指置奉て、阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に毎国毎郷毎家々並立て、或は一万二万、或は七万返、或は一生の間、一向に修行て主師親をわすれたるだに不思議なるに、剰へ親父たる教主釈尊の御誕生御入滅の両日を奪取て、十五日は阿弥陀仏の日、八日は薬師仏の日等[云云]。一仏誕入の両日を東西二仏の死生の日となせり。是豈不孝の者にあらずや。逆路七逆の者にあらずや。毎人此重科有て、しかも毎人我身は科なしとおもへり。無慚無愧の一闡提人也。
法華経の第二巻に主と親と師との三大事を説給へり。一経の肝心ぞかし。其経文云今此三界皆是我有。其中衆生悉是吾子。而今此処多緒患難。唯我一人能為救護等[云云]。又此経に背者を文に説て云雖復教詔而不信受乃至其人命終入阿鼻獄等[云云]。されば念仏者が本師導公は其中衆生の外か。唯我一人の経文を破て千中無一といへし故に、現身に狂人と成て楊柳に上て身をなげ、堅土に落て死にかねて、十四日より二十七日まで十四日が間顛倒狂死畢。又真言宗元祖善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等は親父兼たる教主釈尊法王を立下て、大日他仏をあがめし故に、善無畏三蔵は閻魔王のせめにあづかるのみならず、又無間地獄に堕ぬ。汝等此事疑あらば眼前に閻魔堂の画を見よ。金剛智・不空の事はしげければかゝず。又禅宗の三階信行禅師は法華経等の一代聖教をば別教と下す。我が作る経をば普経と崇重せし故に、四依の大士の如くなりしかども、法華経の持者の優婆夷にせめられてこえを失ひ、現身に大蛇となり、数十人の弟子を呑食。
今日本国の人々はたとひ法華経を持釈尊を釈尊と崇重し奉とも、真言宗・禅宗・念仏者をあがむるならば、無間地獄はまぬがれがたし。何況や三宗の者共を日月の如く渇仰し、我身にも念仏を事とせむ者をや。心あらん人々は念仏・阿弥陀経等をば父母師君宿世の敵よりもいむべきもの也。例ば逆臣が旗をば官兵は指事なし、寒食の祭には火をいむぞかし。されば古への論師天親菩薩は小乗経を舌の上に置じと誓ひ、賢者たりし吉蔵大師は法華経をだに読給はず。此等はもと小乗経を以て大乗経を破失し、法華経を以て天台大師を毀謗し奉し謗法の重罪を消滅せんがため也。今日本国の人々は一人もなく不軽軽毀の如く、苦岸・勝意等の如く、一国万人皆無間地獄に堕べき人々ぞかし。仏の涅槃経に記して、末法には法華経誹謗の者は大地微塵よりもおほかるべしと記給し是也。
而に今法華経の行者出現せば、一国万人皆法華経読誦を止て、吉蔵大師の天台大師に随が如く身を肉橋となし、不軽軽毀の還て不軽菩薩に信伏随従せしが如く仕るとも、一日二日、一月二月、一年二年、一生二生が間には法華経誹謗の重罪は尚なをし減がたかるべきに、其義はなくして当世の人々は四衆倶に一慢をおこせり。所謂念仏者は法華経をすてゝ念仏を申。日蓮は法華経を持といへども念仏を恃ず。我等は念仏をも持ち法華経をも信ず。戒をも持一切の善を行ず等[云云]。此等は野兎が跡を隠し、金鳥が頭を穴に入、魯人が孔子をあなづり、善星が仏ををどせしにことならず。鹿馬迷やすく、鷹鳩変がたき者也。無墓無墓。
当時は予が古へ申せし事の漸く合かの故に、心中には如何せんとは思ふらめども、年来あまりに法にすぎてそしり悪口せし事が、忽に翻がたくて信ずる由をせず、而も蒙古はつよりゆく。如何せんと宗盛・義朝が様になげく也。あはれ人は心はあるべきものかな。孔子は九思一言、周公旦は浴する時は三度にぎり食時は三度吐給。賢人は如此用意をなす也。世間の法にも、はふ(法)にすぎばあやしめといふぞかし。国を治する人なんどが、人の申せばとて委細にも尋ずして、左右なく科に行はれしは、あはれくやしかるらんに、夏桀王が湯王に責られ、呉王が越王に生どりにせられし時は、賢者の諫暁を用ざりし事を悔ひ、阿闍世王が悪瘡身に出他国に襲はれし時は、提婆を眼に見じ耳に聞じと誓、乃至宗盛がいくさにまけ義経に生どられて鎌倉に下されて面をさらせし時は、東大寺を焼払はせ山王の御輿を射奉し事を歎し也。
今世も又一分もたがふべからず。日蓮を賎み諸僧を貴給故に、自然に法華経の強敵と成給事を弁ず。存外政道に背て行るゝ間、梵・釈・日・月・四天・龍王等の大怨敵と成給。法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界・迹化他方・二聖・二天・十羅刹女・鬼子母神は他国の賢王の身に入易て、国主を罰し国を亡せんとするをしらず。真の天のせめにてだにもあるならば、たとひ鉄囲山を日本国に引回し、須弥山を蓋として、十方世界の四天王を集て、波際に立並てふせがするとも、法華経の敵となり、教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五巻を以て日蓮が頭を打、十巻共に引散て散々に蹋たりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ。日本守護の天照太神・正八幡等もいかでかかゝる国をばたすけ給べき。いそぎいそぎ治罰を加て、自科を脱がれんとこそはげみ給らめ。をそ(遅)く科に行間、日本国の諸神ども四天大王にいましめられてやあるらん。難知事也。
教大師云窃以菩薩国宝載法華経大乗利他摩訶衍説。弥天七難非大乗経以何為除。未然大災非菩薩僧豈得冥滅等[云云]。而を今大蒙古国を調伏する公家武家の日記を見に、或は五大尊、或は七仏薬師、或は仏眼、或は金輪等云云。此等の小法は大災を消べしや。還著於本人と成て国忽に亡なんとす。或は日吉の社にして法華護摩を行といへども、不空三蔵が悞れる法を本として行間、祈祷の儀にあらず。又今の高僧等は或は東寺の真言、或は天台の真言也。東寺は弘法大師、天台は慈覚・智証也。此三人は上に申すが如く大謗法の人々也。其より巳外の諸僧等は或は東大寺の戒壇の小乗の者也。叡山の円頓戒者又慈覚の謗法に曲られぬ。彼円頓戒も迹門の大戒なれば今の時の機にあらず。旁叶べき事にはあらず。只今国土やぶれなん。後悔さきにたたじ、不便々々と語給しを、千万が一を書付て参せ候。
但身も下賎に生れ、心も愚に候へば、此事は道理かとは承候へども、国主も御用なきかの故に、鎌倉にては如何が候けん。不審に覚候。返々も愚意に存候は、これ程の国の大事をばいかに御尋もなくして、両度の御勘気には行はれけるやらんと聞食しほどかせ給はぬ人々の、或は道理とも、或は僻事とも、仰あるべき事とは覚候はず。又此身に阿弥陀経を読候はぬも併ら御為、父母の為にて候。只理不尽に読べき由を仰を蒙候はば其時重て申べく候。いかにも聞食さずして、うしろの推義をなさん人々の仰をば、たとひ身は随様に候ども、心は一向に用まいらせ候まじ。又恐にて候へども、兼てつみしらせまいらせ候。此御房は唯一人おはします。若やの御事の候はん時は御後悔や候はんずらん。世間の人々の用ねば、とは一旦のをろかの事也。上の御用あらん時は誰人か用ざるべきや。其時は又用たりとも何かせん。人を信て法を不信。又世間の人々の思て候は、親には子は是非随べしと、君臣師弟如此。此等は外典をも不弁、内典をも知ぬ人々の邪推也。外典孝経には子父臣君諍べき段もあり、内典には棄恩入無為真実報恩者と仏定め給ぬ。悉達太子は閻浮第一の孝子也。父の王の命を背てこそ、父母をば引導し給しか。比干が親父紂王を諫暁して、胸をほら(屠)れてこそ、賢人の名をば流せしか。賎み給とも小法師が諫暁を用ひ給はずば、現当の御歎なるべし。此は親の為に読まいらせ候はぬ阿弥陀経にて候へば、いかにも当時は叶べしとはおぼへ候はず。恐々申上候。 建治三年六月 日 [僧日永] 下山兵庫五郎殿 [御返事]