弥源太殿御返事
142 弥源太殿御返事
抑日蓮は日本第一の僻人也。其故は皆人の父母よりもたかく、主君よりも大事におもはれ候ところの阿弥陀仏・大日如来・薬師等を御信用ある故に、三災七難先代にこえ、天変地夭等昔にもすぎたりと申す故に、結句は今生には身をほろぼし、国をそこなひ、後生には大阿鼻地獄に堕給べしと、一日片時もたゆむ事なくよばわりし故にかゝる大難にあへり。譬ば夏の虫の火にとびくばり、ねずみがねこのまへに出たるが如し。是あに我身を知て用心せざる畜生の如くにあらずや。身命を失ふ事併ら心より出れば僻人也。
但し石は玉をふくむ故にくだかれ、鹿は皮肉の故に殺され、魚はあぢはひある故にとらる。すい(翠)は羽ある故にやぶらる。女人はみめかたちよ(美)ければ必ずねたまる。此意なるべき歟。日蓮は法華経の行者なる故に、三類の強敵あつて種々の大難にあへり。
然るにかゝる者の弟子檀那とならせ給事不思議也。定て子細候らん。相構て能々御信心候て、霊山浄土へまいり給へ。
又御祈祷のために御太刀同刀あはせて二送給はて候。此太刀はしかるべきかぢ(鍛匠)作候歟と覚へ候。あまくに(天国)、或は鬼きり(切)、或はやつるぎ(八剣)、異朝にはかむしやうばくや(干将莫耶)が剣に争かことなるべきや。此を法華経にまいらせ給。殿の御もちの時は悪の刀、今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし。譬ば鬼の道心をおこしたらんが如し。あら不思議や、不思議や。後生には此刀をつえとたのみ給べし。
法華経は三世の諸仏発心のつえにて候ぞかし。但日蓮をつえはしらともたのみ給べし。けはしき山、あしき道、つえをつきぬればたをれず。殊に手をひかれぬればまろぶ事なし。南無妙法蓮華経は死出の山にてはつえはしらとなり給へ。釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩は手を取り給べし。日蓮さきに立候はば、御迎にまいり候事もやあらんずらん。又さきに行せ給はば、日蓮必閻魔法王にも委く申べく候。此事少もそら事あるべからず。日蓮法華経の文の如くならば通塞の案内者なり。只一心に信心おはして霊山を期し給へ。ぜに(錢)と云ものは用にしたがつて変ずるなり。法華経も亦復如是。やみには燈となり、渡りには舟となり、或は水ともなり、或は火ともなり給なり。若然ば法華経は現世安穏後生善処の御経なり。
其上、日蓮は日本国の中には安州のものなり。総じて彼国は天照太神のすみそめ(住初)給し国なりといへり。かしこにして日本国をさぐり出し給ふ。あはの国御くりや(廚)なり。しかも此国の一切衆生の慈父悲母なり。かゝるいみじき国なれば定で故ぞ候らん。いかなる宿習にてや候らん。日蓮又彼国に生れたり、第一の果報なるなり。此消息の詮にあらざれば委はかゝず、但おしはかり給べし。能々諸天にいのり申べし。信心にあかなく(無倦)して所願を成就し給へ。女房にもよくよくかたらせ給へ。恐恐謹言。 二月二十一日 日蓮[花押] 弥源太殿[御返事]