乙御前母御書
132 乙御前母御書
をとごぜんのはゝ日蓮いまは法華経をしのばせ給て仏にならせ給べき女人なり。かへすがへす、ふみ(文)ものぐさき者なれども、たびたび申候。又御房たちをもふびん(不便)にあたらせ給とうけ給。申ばかりなし。
なによりも女房のみ(身)として、これまで来て候し事。これまでながされ候ける事は、さる事にて御心ざしのあらわるべきにやありけんと、ありがたくのみをぼへ候。
釈迦如来の御弟子あまたをはしゝなかに、十大弟子とて十人ましましゝが、なかに目犍連尊者と申せし人は神通第一にてをはしき。四天下と申て日月のめぐり給ところを、かみすぢ(髪筋)一すぢき(切)らざるにめぐり給き。これはいかなるゆへぞとたづぬれば、せんしやう(先生)に千里ありしところをかよいて仏法を聴聞せしゆへなり。
又、天台大師の御弟子に章安と申せし人は、万里をわけて法華経をきかせ給き。伝教大師は三千里をすぎて止観をならい、玄奘三蔵二十万里をゆきて般若経を得給へり。道のとをきに心ざしのあらわるるにや。かれは皆男子なり。権化の人のしわざなり。今御身は女人なり。ごんじち(権実)はしりがたし。いかなる宿善にてやをはすらん。昔女人すいをと(好夫)をしのびてこそ或は千里をもたづね、石となり、木となり、鳥となり、蛇となれる事もあり。 十一月三日 日蓮[花押] をとごぜんのはゝ をとごぜんがいかにひととなりて候らん。法華経にみやづかわせ給ほうこう(奉公)をば、をとごぜんの御いのちさいわいになり候はん。