四條金吾殿御書
82 四条金吾殿御書
雪のごとく白く候白米一斗、古酒のごとく候油一筒、御布施一貫文。態使者を以て盆料送給候。
殊に御文の趣難有あはれに覚候。抑盂蘭盆と申は源目連尊者の母青提女と申人、慳貪の業によりて五百生餓鬼道にをち給て候を、目連救ひしより事起りて候。雖然仏にはなさず、其故は我身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし。霊山八箇年の座席にして法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱て多摩羅跋栴檀香仏となり給、此時母も仏になり給。
又施餓鬼の事仰候。法華経第三云如従飢国来忽遇大王膳[云云]。此文は中根の四大声聞、醍醐の珍膳をおと(音)にもきかざりしが、今経に来て始て醍醐の味をあくまでになめて、昔しうへ(飢)たる心を忽にやめし事を説給文也。若爾者、餓鬼供養の時は此文を誦して南無妙法蓮華経と唱てとぶらひ給べく候。
総じて餓鬼にをいて三十六種類相わかれて候。其中に_身餓鬼と申は目と口となき餓鬼にて候。是は何なる修因ぞと申に、此世にて夜討強盗などをなして候によりて候。
食吐餓鬼と申は人の口よりはき出す物を食し候。是も修因如上。又人の食をうばふに依り候。
食水餓鬼と云は父母孝養のために手向る水などを呑餓鬼なり。
有財餓鬼と申は馬のひづめの水をのむがき(餓鬼)なり。是は今生にて財ををしみ、食をかくす故也。
無財がき(餓鬼)と申は生れてより以来、飲食の名をもきかざるがき(餓鬼)なり。
食法がき(餓鬼)と申は出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思て今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法がき(餓鬼)とて法をくらふがき(餓鬼)と申なり。
当世の僧を見るに、人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり。是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり。是は未来には牛頭と云鬼となるべし。
又人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施す事なき人もあり。是は未来には馬頭と云鬼となり候。
又在家の人々も、我父母、地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらはずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬眷属充満して我心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給らん。
僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定て天の日月、地の地神いかりいきどをり給て、不孝の者とおもはせ給らん。形は人にして畜生のごとし。人頭鹿とも申べき也。
日蓮此業障をけしはてゝ、未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば、種種の大難雨のごとくふり、雲のごとくにわき候へども、法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず。かゝる日蓮が弟子檀那となり給人々、殊に今月十二日妙法聖霊法華経の行者也。日蓮が檀那也。いかでか餓鬼道におち給べきや。定て釈迦多宝十方の諸仏の御宝前にましまさん。是こそ四条金吾殿の母よ母よと、同心に頭をなで悦びほめ給らめ。あはれいみじき子を我はもちたりと、釈迦仏とかたらせ給らん。
法華経云若有善男子善女人聞妙法華経提婆達多品浄心信敬不生疑惑者不堕地獄・餓鬼・畜生生十方仏前所生之処常聞此経若生人天中受勝妙楽若在仏前蓮華化生と[云云]。此経文に善女人と見へたり、妙法聖霊の事にあらずんば誰が事にやあらん。
又云此経難持若暫持者我即歓喜諸仏亦然如是之人諸仏所歎[云云]。日蓮讃歎したてまつる事はもののかずならず、諸仏所歎と見えたり。あらたのもしや、あらたのもしやと、信心をふかくとり給べし、信心をふかくとり給べし。南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。恐恐謹言。七月十二日 日蓮[花押] 四条金吾殿御返事