椎地四郎殿御書
25 椎地四郎殿御書
先日御物語の事について、彼人の方へ相尋候し処、仰候しが如く少もちがはず候き。これにつけても、いよいよはげまして法華経の功徳を得給べし。師曠が耳、離婁が眼のやうに聞見させ給へ。
末法には法華経の行者必ず出来すべし。但大難来りなば強盛の信心弥弥悦をなすべし。火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや。大海へ衆流入る、されども大海は河の水を返す事ありや。
法華大海の行者に諸河の水大難の如く入れども、かへす事、とがむる事なし。諸河の水入る事なくば大海あるべからず。大難なくば法華経の行者にはあらじ。
天台云衆流入海薪熾於火等[云云]。法華経の法門を一文一句なりとも人にかたらんは、過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし。
経云、亦不聞正法如是人難度[云云]。此文の意は正法とは法華経也。此経をきかざる人は度しがたしと云文なり。
法師品には若是善男子善女人乃至則如来使と説せ給て、僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり。貴辺すでに俗也、善男子の人なるべし。
此経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし。
妙楽大師云、一句染神咸資彼岸思惟修習永用舟航[云云]。生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず。
抑法華経の如渡得船の船と申事は、教主大覚世尊、巧智無辺の番匠として、四味八教の材木を取集め、正直捨権とけづりなして、邪正一如ときり合せ、醍醐一実のくぎ(釘)を丁とうつて、
生死の大海へをしうかべ、中道一実のほばしらに界如三千の帆をあげて、諸法実相のおひて(追風)をえて、以信得入の一切衆生を取のせて、釈迦如来はかぢ(楫)を取り、
多宝如来はつなで(綱手)を取給へば、上行等の四菩薩は函蓋相応してきりきりとこぎ給所の船を、如渡得船の船とは申也。是にのるべき者は日蓮が弟子檀那等也。能能信じさせ給へ。
四條金吾殿に見参候はば能能語り給候へ。委は又又可申候。恐恐謹言。四月二十八日 日蓮 花押 椎地四郎殿ぇ