妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

新編 日蓮宗年表 14301439

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西暦和暦(北朝)和暦(南朝)干支改元日蓮聖人大閏月月日記録
1430永享2年元中9年庚戌聖誕209 祖滅1493・5・6・8・9・11・⑪・122・10将軍足利義教、京都本国寺をして先例に任せ祈禱を執行せしむ(布録)
永享2年元中9年庚戌6・17千葉家11代兼胤没39(賀過)
永享2年元中9年庚戌7・15駿河岩本実相寺5世日圍寂(過帳)
永享2年元中9年庚戌日親、旧宗の仏菩薩を存置せしむか否かにつき、鎌倉妙法寺円台坊日肝と対決に及ばんとせり(伝灯)
永享2年元中9年庚戌玉泉坊日傳、甲州に帰る(住状)
永享2年元中9年庚戌真如院日住、当時京都松原の談義所に住す、時に25歳(住状)
1431永享3年元中9年辛亥聖誕210 祖滅1503・5・7・8・10・111・23日隆の資正法院日從寂84、越前本勝寺歴、円海法印という(両譜)
永享3年元中9年辛亥10・413日まで、京都本国寺は宗祖150遠忌を修し、諸国末寺登山して千部大法会を行って報恩す(圀譜)
永享3年元中9年辛亥この頃、一乗坊日出、本覚寺を鎌倉小町の夷堂の霊地に創す(縁起・寺覧)
1432永享4年元中9年壬子聖誕211 祖滅1511・4・6・8・10・11・121・29京都本国寺8世大周院日聰寂66(圀譜)
永享4年元中9年壬子2・妙勝院日曉、京都本国寺に入山す、時に22歳(圀譜)
永享4年元中9年壬子3・9富士妙蓮寺7世日祐寂(過帳)
永享4年元中9年壬子5・29隆門の淡路妙京寺3世日修寂(過帳)
永享4年元中9年壬子9・20将軍義教、富士一覧のため京都を出発す(富覧記)
永享4年元中9年壬子9・28玉泉坊日傳、駿河清見ヶ関に於て将軍義教に直奏諫暁す、時に40歳(住状)
永享4年元中9年壬子富士大石寺日有、申状を足利幕府に上る(寺書)
永享4年元中9年壬子什門心了院日泰、京都白河に生る(房叢・土気記)
永享4年元中9年壬子身延山10世日延、身延梅平に生る(潅玄奥)
永享4年元中9年壬子大石寺日有、上洛奏聞す、在洛中日隆に会い四帖抄を贈られしも終に之を見ずと伝える(家抄)
1433永享5年元中9年癸丑聖誕212 祖滅1522・5・⑦・9・10・112・10将軍義教、先例により祈禱を京都本国寺に命ず(圀譜)
永享5年元中9年癸丑3・6備後水呑妙顕寺8世実乗院悠圓寂(過帳)
永享5年元中9年癸丑4・2日隆、六角以南、四条坊門以北、櫛笥以東、大宮以西4丁々の地を買得して本応寺をここに移し本能寺と改む(両譜・隆記)
永享5年元中9年癸丑7・2甲斐小室妙法寺日源寂(過帳)
永享5年元中9年癸丑10・3後花園天皇、天下静謐の懇祈を京都本国寺に命ず(圀録・圀譜)
永享5年元中9年癸丑足利義勝の生母勝鬘院、難産に悩み住本寺日廣に祈禱を請うて験あり、爾来将軍家の祈禱所となる(宗表)
永享5年元中9年癸丑玉泉坊日傳、上洛将軍義教に直訴す(住状)
永享5年元中9年癸丑日親、27歳にして九州の導師として肥前小城光勝寺に下向す(埴谷鈔)
永享5年元中9年癸丑京都妙蓮寺再興主日應、京都に生る(過帳)
永享5年元中9年癸丑身延日學の資実教院日養、但馬加保に巡教し真言の寺を改宗して大乗山学養寺という、のち加保山法華寺と改称(大観)
1434永享6年元中9年甲寅聖誕213 祖滅1532・5・8・10・11・124・1真間弘法寺俗別当宗明、開会抄3巻を著す(奥書)
永享6年元中9年甲寅6・5両山6世延命院日行寂48(当系・別統)
永享6年元中9年甲寅6・5塵劫院日壽、日行の付属を受けて池上本門寺の住持となる、時に4歳、亀壽丸という(当系・別統)
永享6年元中9年甲寅10・13越前高木泉久寺3世教法院日誠寂(過帳)
永享6年元中9年甲寅守玄院日國、常教寺を雲州意宇郡津田郷田中に創す(寺書)
永享6年元中9年甲寅越後金津妙蓮寺5世日賢寂(過帳)
1435永享7年元中9年乙卯聖誕214 祖滅1542・3・6・9・11・124・7若狭小浜長源寺開山・新潟本覚寺開山の安住院日源、新潟本覚寺に於て寂72(過帳)
永享7年元中9年乙卯5・17尾張津島本蓮寺3世日能寂(過帳・小本過)
永享7年元中9年乙卯9・8京都妙顕寺5世月明寂(分由)
永享7年元中9年乙卯10・26日隆、自ら寿塔を本能寺に建つ(隆記)
永享7年元中9年乙卯12・11鎌倉法華寺9世法性院日海寂、在位8年(玉沢歴譜)爾来中絶すること20余年(伝灯)
永享7年元中9年乙卯京都頂妙寺開祖妙国院日祝、中山法華経寺6世日薩に就て得度(別統)
永享7年元中9年乙卯酒井小太郎定隆、遠州に生る(土気記)
永享7年元中9年乙卯駿河岡宮の本果院日朝、日隆を京都本能寺に訪う、時に43歳(隆記)
永享7年元中9年乙卯日隆、十三番問答抄2巻を著す(隆記)
永享7年元中9年乙卯相模律師日授、越後より鎌倉に来たる(伝灯)
1436永享8年元中9年丙辰聖誕215 祖滅1552・3・5・⑤・6・9・11・125・9平(千葉)胤直、真間弘法寺を以て永代中山本妙寺の支配たるべき状を中山に与う(中書)
永享8年元中9年丙辰閏5・29三島本覚寺一乗坊日出、鎌倉妙隆寺大進律師日妙と共に鎌倉塔之辻天台宗金剛宝戒寺心海と問答す、日出時に56歳(永記・鎌倉本覚寺蔵)讒により我が宗徒の侍は所領を召し上げ、地下人は首を切り、法師を遠島に流すべしとて、荒居(今の浜土)閻魔堂に召出さる、然るに俄に赦免され返さる(伝灯)
永享8年元中9年丙辰6・8安房保田妙本寺日周、寺領の掟を定む(寺書)
永享8年元中9年丙辰8・9身延鏡円坊8世波木井大炊介春氏卒、法号日要(過帳)
永享8年元中9年丙辰11・16後花園天皇、京都四条高倉の地を日親に賜う、本阿弥清信(灯明院本光日瑞)、本法寺を開基し、上総伊北狩野修理入道叡昌の娘理哲尼貲を寄す、山号は父の名に因る(別統)
1437永享9年元中9年丁巳聖誕216 祖滅1562・4・5・7・9・122・25足利義教、京都妙本寺に命じて祈禱を行わしむ(顕書)
永享9年元中9年丁巳この春、行学院日朝、三島本覚寺住持となる、時に16歳(別統)
永享9年元中9年丁巳7・7日親、中山門徒を擯出せらる(折鈔)
永享9年元中9年丁巳10・足利持氏、応永23年由井ヶ浜にて討れし敵味方の亡魂弔の為に一万部の法華経読誦供養会を営み、我が宗は一千部を振当らる、日出等は他宗同座諷経禁制の由を上申し許を得る(伝灯)
1438永享10年元中9年戊午聖誕217 祖滅1572・3・5・7・8・10・125・28安房保田妙本寺日周、浜の館を定む(寺書)
永享10年元中9年戊午5・飢饉疫病流行し人多く死す(辻表)
永享10年元中9年戊午7・16鎌倉楞厳山妙法寺3世・名古屋本要寺祖宝塔院日肝寂68(妙法寺歴譜・伝灯)
永享10年元中9年戊午8・27越前平井平等会寺開祖日妙寂(過帳)
永享10年元中9年戊午11・10幕府、本能寺へ寺地を与う(隆記)
永享10年元中9年戊午日親、折伏正義鈔を著して九州の信徒に呈す(圀譜)
1439永享11年元中9年己未聖誕218 祖滅158①・2・4・6・7・9・10・122・10上杉憲実は上杉持朝・千葉胤直をして足利持氏を鎌倉永安寺に攻めしむ、持氏、叔父満直と共に自殺す、歳42(辻表)
永享11年元中9年己未2・28持氏の子義久は鎌倉報国寺に自殺す(辻表)
永享11年元中9年己未4・日隆、取要山法華寺を河内郡加納村に創す(隆記)
永享11年元中9年己未この頃日隆、泉州堺に至て顕本寺を創し、本浄院日淨を祖とす(隆記)
永享11年元中9年己未5・6日親、京都今出川に於て将軍足利義教に直訴諫暁し、また立正治国論を草す(埴谷鈔)
永享11年元中9年己未6・17相模三浦金谷山大明寺4世日要寂(過帳)
永享11年元中9年己未10・1妙本寺月明、遺跡を日具に譲る(寺書)