妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

新編 日蓮宗年表 14201429

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西暦和暦(北朝)和暦(南朝)干支改元日蓮聖人大閏月月日記録
1420応永27年元中9年庚子聖誕199 祖滅139①・3・5・6・8・10・124・16妙本寺月明、念仏対破の為に正像末三時之行相を著す(識語)
応永27年元中9年庚子7・16権大僧都日英、6ヶ条の掟を定む(寺書)
応永27年元中9年庚子7・16日英、3種の経巻等を千代鶴法師・寅菊丸に譲与す(本法寺文書)
応永27年元中9年庚子7・18京都住本院7世寿量院日元寂(要過)
応永27年元中9年庚子8・6武州鐘ヶ淵長昌寺6世日如寂、日可の資なり、在位35年(過帳)
応永27年元中9年庚子8・6長昌寺7世日耀寂、日壽の資、在位35年(過帳)
応永27年元中9年庚子8・15重須本門寺4世日藏寂(過帳)
応永27年元中9年庚子12・21平(千葉)兼胤、安堵状を中山本妙寺別当日暹に与う(寺書)
応永27年元中9年庚子寅菊丸、中山5世日暹について剃髪し、日親と改む、時に14歳(別統・親記)
1421応永28年元中9年辛丑聖誕200 祖滅1402・4・6・8・9・111・1一乗坊日出、伊豆三島弘通を志し誓願を立つ、時に41歳(三覚書)
応永28年元中9年辛丑2・6備後水呑妙顕寺7世乗弘院悠實寂(過帳)
応永28年元中9年辛丑3・21京都上行院8世法性院日長寂、京都法性院開基(要過)
応永28年元中9年辛丑3・26京都妙蓮寺5世好学院精進坊日存寂53(蓮祖記・両譜・隆伝・別統)
応永28年元中9年辛丑両山7世塵劫院日壽、相州鎌倉に生る(両山系図次第・別統)
1422応永29年元中9年壬寅聖誕201 祖滅1411・4・6・8・9・10・⑩・111・5行学院日朝、伊豆宇佐美に生る(別統・朝師紀年録)
応永29年元中9年壬寅2・14日朝の父妙善歿(補施集奥書)
応永29年元中9年壬寅7・7中山5世治部公日暹寂74(過帳)
応永29年元中9年壬寅閏10・2中山6世兵部院日薩寂31、在位6ヶ月(過帳)
応永29年元中9年壬寅閏10・3相模入道佐竹常元父子の変鎌倉に起り、比企妙本寺兵火に罹て炎上(現状・史伝・別統)
応永29年元中9年壬寅11・8身延8世行学院日億寂(朝譜本・別統・延譜)
応永29年元中9年壬寅11・成就院日學、身延入山(延山記)
1423応永30年元中9年癸卯聖誕202 祖滅1421・4・6・8・9・11・126・13房州保田妙本寺6世日關寂(付次)
応永30年元中9年癸卯8・10権大僧都日英寂73(宣過・鎌倉妙隆寺過去帳)
応永30年元中9年癸卯10・1月明、妙本寺遺跡を藍婆丸(法諱日明)に付す、具圓は真俗違乱不孝の失により付属せず(顕書)
応永30年元中9年癸卯10・5村松海長寺日滿寂(過帳)
応永30年元中9年癸卯10・13天竜妙恩寺日義寂、在位38年(過帳)
応永30年元中9年癸卯10・21義持、京都妙本寺月明をして諸末寺に命じ3千万部法華経を修し、朝家安全・武運長久を祈らしむ(龍秘)
応永30年元中9年癸卯11・6曽谷三郎蓮久歿(野興過)
応永30年元中9年癸卯12・3曽谷典宗の室妙円寂(賀過)
応永30年元中9年癸卯12・28京都本国寺、立像堂二百坐祈禱巻数を幕府に捧げ、将軍義量これを嘉賞して御教書を日聰に下す(圀譜・寺書)
応永30年元中9年癸卯京都妙本寺日具、厳島に生る(龍略)
1424応永31年元中9年甲辰聖誕203 祖滅1432・5・8・9・11・122・18京都妙蓮寺6世精進院日道寂42(蓮祖記・別統)
応永31年元中9年甲辰3・4中山浄光院3世顕真房日經寂(過帳)
応永31年元中9年甲辰3・13中山安世院祖日慧寂(過帳・別統)
1425応永32年元中9年乙巳聖誕204 祖滅1441・3・6・⑥・8・9・11・124・26遠州鷲津本興寺改宗の祖、大慈悲院日乘寂81(過帳)
応永32年元中9年乙巳7・15尼ヶ崎長遠寺壽量院日榮寂(過帳)
応永32年元中9年乙巳10・11越前敦賀妙顕寺4世賢證寂(過帳)
応永32年元中9年乙巳12・13京都妙満寺日運、門徒古事を記し畢る(奥書)
1426応永33年元中9年丙午聖誕205 祖滅1451・3・6・9・11・122・1加倉井長茂歿、実氏の孫、法号秀山(倉系)
応永33年元中9年丙午2・18京都本国寺日聰、権少僧都に任ぜらる(圀譜)
応永33年元中9年丙午6・1常陸赤浜妙法寺4世日政寂55(過帳)
応永33年元中9年丙午6・7京都妙満寺4世鶴林院刑部阿闍梨日運寂(歴譜・霊記)
応永33年元中9年丙午6・8千葉10代満胤歿68(賀過・中檀過)
応永33年元中9年丙午8・3熱田本蓮寺5世本妙院日尊寂(過帳)
応永33年元中9年丙午日隆、元成寺を先考の遺跡に創立(隆記・隆伝)
応永33年元中9年丙午久遠成院日親、秋より冬に至るまで一百日の行法を修し信心を堅め弘通を誓う、時に20歳(親記)
応永33年元中9年丙午日親、ある日の夢に日祐判形を授かり、また曼奈羅の筆法を受くという(親記)
1427応永34年元中9年丁未聖誕206 祖滅1461・3・5・7・10・122・3南部長経歿、法号天眞守公(延山記)
応永34年元中9年丁未2・8この日より久遠成院日親上洛、弘通を戻橋に開始す、時に21歳(伝灯・親記)
応永34年元中9年丁未3・3迹本院具圓、妙本寺に帰伏状を入れる(顕書)
応永34年元中9年丁未4・25富士西山本門寺4世日任寂(過帳)
応永34年元中9年丁未5・6甲州石和遠妙寺7世壽遠院日久寂(過帳)
応永34年元中9年丁未10・13中山妙印尼歿(賀過)
応永34年元中9年丁未日親、摂州梶原に金仙寺を改て一乗寺となす(親記・別統)
応永34年元中9年丁未京都頂妙寺開山妙国院日祝、下総千葉郡に生る(別統・霊記)
応永34年元中9年丁未真如院日住、比叡山東塔北谷蔵乗坊の主、定源法師の会下に在て台家の教観を学ぶ、歳22(住見)
1428応永35・正長1年元中9年戊申4・27聖誕207 祖滅1471・3・③・5・7・9・121・28鎌倉法華寺8世覚真院日英寂(玉鑑)
応永35・正長1年元中9年戊申2・10佐渡河原田妙経寺4世日運寂(過帳)
応永35・正長1年元中9年戊申4・28尾州津島本蓮寺2世日救寂(過帳)
応永35・正長1年元中9年戊申7・1前関白一条経嗣の娘妙定尼歿(別統)
応永35・正長1年元中9年戊申9・6平賀6世日饒寂71、在位18年、日饒は台家より改宗、比企・池上・身延3山の学頭を勤む(賀図・賀過・別統)
応永35・正長1年元中9年戊申10・12日親、親蓮寺を豊後大分に創す(過帳)
応永35・正長1年元中9年戊申日親、西村氏の便船に乗て筑前博多に至り、折伏説法し、法性寺を創す(親記・別統)
応永35・正長1年元中9年戊申備中野山妙本寺源朝定歿57(系譜)
応永35・正長1年元中9年戊申日親、重て肥前松尾山の導師と為る(親記)
1429正長2・永享1年元中9年己酉9・5聖誕208 祖滅1481・3・5・6・8・10・124・8行学院日朝出家す、時に8歳(別統)
正長2・永享1年元中9年己酉5・16池田本覚寺日教寂(過帳)
正長2・永享1年元中9年己酉7・23野呂妙興寺日顗寂(過帳)
正長2・永享1年元中9年己酉8・京都妙覚寺9世大聖院日延、本覚山経王寺を和泉堺に移す(過帳・堺市史)
正長2・永享1年元中9年己酉10・23日隆、七箇の所以を述て妙蓮寺の歴祖に日存・日道を加うべきことを主張せしも大衆これを容れず(隆記)
正長2・永享1年元中9年己酉12・29伊豆柳瀬実成寺7世日眼寂(過帳)
正長2・永享1年元中9年己酉日隆、四帖抄を著して門流独立の法幢を掲ぐ(隆記)
正長2・永享1年元中9年己酉真如院日住、また天台宗京都松原談所に入りて研学す(住状)
正長2・永享1年元中9年己酉日隆、京都の商人小袖屋宗句の外護により、内野の草庵を創して本応寺と称す(隆記)