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法華経 解題・要旨

28品+開経・結経。各品の梗概・教学要点・重要語をまとめる。

開経(無量義経)

無量義経 徳行品 第一

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梗概
霊鷲山にて、釈尊が一万二千人の比丘と八万人の菩薩を前にして、まさに法華経を説こうとする準備の場面である。大荘厳菩薩を上首として八万の菩薩衆が一斉に立ち上がり、世尊の徳行を一八〇余の譬諭をもって讃嘆する。世尊は仏教の四十余年間に多くの教えを説いたが、いまだ最上の真実を顕していないことを暗に告げ、これより無量義の法を説く意思を示す。法華経正説の直前を飾る荘厳な序段であり、無量義経全体の冒頭でもある。
教学要点
本品は法華経を「正しく顕す」ための前提を整える経。一切経の中で爾前経(華厳・阿含・方等・般若)を「四十余年未だ真実を顕さず」と総括し、これから説かれる無量義(および法華経)が究極の教えであることを宣言する。爾前経の権の位置づけと、法華経の実の位置づけが対比される根拠の章。日蓮宗では「四十余年未顕真実」の語を、法華経至上の論理的根拠の一つとして極めて重視する。
重要語
四十余年未顕真実無量義処三昧大荘厳菩薩一百八十喩法華の前序

無量義経 説法品 第二

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梗概
大荘厳菩薩が世尊に対して、衆生が速やかに無上菩提を成ずる法門を問う。世尊は「一法に無量の義あり」と答え、一つの根本法から無量の教えが衆生の機根に応じて分かれ出ることを説示する。煩悩・五蘊・三毒・六道・七難・八苦・九結など、衆生のあらゆる状態に対応する無量の教法が、本来は一つの実相に帰することを明かす。後半では、無量義経を聞いて持つ者に十不思議の功徳が具わると示し、法華経への橋渡しの構えを整える。
教学要点
権と実の構造を明確化する章。仏は四十余年の間、衆生の機根に応じて種々の方便の法を説いてきたが、それは一実相に帰する。一切衆生悉有仏性を前提に、機根の差別と教法の差別を統合的に説明する。日蓮はこの章を、法華経の「権実相対」の論拠として用いる。また、無量の教法も結局は法華経一仏乗に集約されるという見方の根拠ともなる。
重要語
一法無量義機根権実十不思議無量義処

無量義経 十功徳品 第三

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梗概
大荘厳菩薩が、この経を持つ者に具わる十種の不思議な功徳について問う。世尊は十功徳を順次列挙し、聞持・読誦・解説・書写の功徳が無量無辺であることを示す。経末に至り、世尊は静かに師子座に座し、無量義処三昧に入る。この三昧こそが法華経正説の直接の準備であり、続いて法華経 序品が始まる。聴衆は世尊の入定を見て、何か大いなる法が説かれる前兆を感ずる。
教学要点
持経の功徳を強調し、後に説かれる法華経への期待を最大限に高める章。十不思議の功徳は、後の法華経 法師品の五種法師の功徳の前駆をなす。また、世尊が「無量義処三昧」に入って法華経が始まるという構造は、法華経が無量義経の延長として、しかも無量義の根源として説かれることを示唆する。日蓮宗では本品を、法華経本論への直接の導入として位置づける。
重要語
十功徳無量義処三昧師子座入定聞持の功徳

迹門(序品〜安楽行品)

1.

序品 第一

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梗概
王舎城・耆闍崛山(霊鷲山)にて、釈尊が大比丘衆一万二千人・菩薩衆八万人・諸天・八部衆など無量の聴衆を前にして無量義経を説き終え、無量義処三昧に入る。天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華の四華が降り、六種に大地が震動する。世尊の眉間白毫から放たれた光明が東方一万八千の世界を悉く照らし、衆生の業道・諸仏の説法・菩薩の修行が一望に観じられる。この瑞相に弥勒菩薩が驚き、文殊師利菩薩に問い、文殊は過去無量劫の日月燈明仏の例を引いて、これから世尊が大法(後に法華経と判明)を説く前兆であると告げる。
教学要点
法華経の序章。六種の瑞(六瑞)と弥勒・文殊の問答を通じて、これから説かれる教えが特別な大法であることを聴衆と読者の双方に印象づける。日蓮はこの序品を、本門寿量品の久遠開顕への伏線として読む。また、文殊が日月燈明仏の例を引いて法華経説法の前例を示すことで、法華経が時を超えて諸仏が説く根本の経であることを示唆する。序品の壮大な序段は、法華経全体が単なる一説法ではなく、宇宙的・時間的に重層する根本の経であることを示す。
重要語
白毫光弥勒・文殊問答無量義処三昧六瑞日月燈明仏八部衆
2.

方便品 第二

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梗概
世尊が無量義処三昧から静かに起ちあがり、舎利弗に向かって「諸仏の智慧は甚深無量・難解難入、一切声聞・辟支仏の知る所に非ず」と告げる。舎利弗は深く驚き、三度にわたって法を請う。世尊は最初これを止めるが、舎利弗の真摯な請いに応じて遂に説き始めようとする。その時、五千人の慢心の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷が席を立って退場する(五千起去)。これを世尊は止めず、「枝葉を払い去って唯だ真実の貞実有るのみ」と述べる。続いて、諸仏が世に出る一大事の因縁は、衆生をして仏の知見を開示悟入せしめんがためであることを明かし、過去・現在・未来の三世諸仏もみな三乗を方便として説き、究極は一仏乗を顕すことを宣言する。十如是・諸法実相の説示もここに含まれる。
教学要点
迹門の眼目にして法華経全体の前半の核心。「開三顕一」――声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便として開いて、一仏乗の真実を顕す。「二乗作仏」――従来成仏不能とされた声聞・縁覚も悉く成仏できる。「十如是」――如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等。これは「諸法実相」の具体的な内容であり、後の天台 一念三千の基礎となる。日蓮はこの方便品を朝夕の勤行に必ず誦し、特に「諸法実相」を法華経の根本の理念とする。
重要語
十如是諸法実相開三顕一一仏乗二乗作仏五千起去三止三請一大事因縁
3.

譬諭品 第三

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梗概
舎利弗が方便品の説示を聞いて即座に領解し、未来世における華光如来として成仏することの授記を世尊から受ける。これに歓喜した舎利弗が世尊に重ねて方便の説き分けを問い、世尊は有名な三車火宅の譬えを説く。長者の家が炎に包まれているのに、家の中で遊ぶ子等は危険を知らない。長者は子等の好む羊車・鹿車・牛車を約束して家から救い出すが、後にそれぞれに大白牛車(最上の宝車)を等しく与える。三車は声聞・縁覚・菩薩の三乗、大白牛車は一仏乗を象徴し、仏が方便で導きながら最後には一乗の真実を与えることを示す。
教学要点
迹門における第二の眼目。方便品で理として明かされた「開三顕一」を、譬諭をもって具体化する。三車は方便、大白牛車は真実。仏の慈悲は方便を用いて衆生を救い、その究極は一仏乗の救済にある。舎利弗の授記は、二乗作仏の最初の具体例として極めて重要。日蓮は譬諭品を方便品と並ぶ法華経の核心の章として重視し、「一切衆生に三車を約して大白牛車を与える」仏の方便と真実の関係を、自らの折伏弘通の精神とも結びつける。
重要語
三車火宅大白牛車舎利弗授記華光如来三乗方便
4.

信解品 第四

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梗概
譬諭品の説示を聞いた須菩提・摩訶迦旃延・摩訶迦葉・摩訶目犍連の四大弟子が、深く法華経の真意を領解する。彼らは自らの体験を譬えるため、長者窮子の譬えを世尊に申し述べる。一人の窮子(貧しき子)が幼い時に父の家を出て長年放浪し、知らずに父の屋敷に至る。父はすぐに我が子と知るが、子は驚いて逃げようとする。父は方便をもって子をその屋敷の雇人として雇い入れ、徐々に身分を上げ、ついに我が子であることを告げて全財産を相続させる。世尊が二乗に対して方便を用いてゆっくりと法華経の真実へ導いた次第を、四大弟子が自ら譬諭をもって表現したものである。
教学要点
譬諭品が仏の側から方便を説いたのに対し、信解品は二乗の側からの領解の表明である点に意義がある。「窮子は二乗、長者は仏」――仏は本来の我が子(一切衆生)を知っているが、衆生は自らの仏性を知らない。仏は方便で衆生を雇人とし、徐々に育てて真実を悟らせる。この譬えは、法華経以前の四十余年の説法が、すべて法華経のための準備であったことを示す。日蓮宗では、衆生の本来仏性と仏の慈悲方便を一体に説く重要な章とされる。
重要語
長者窮子四大声聞領解父子相見本来仏性
5.

薬草諭品 第五

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梗概
世尊が四大弟子の領解を是認し、自ら三草二木の譬えを説く。一つの大雲が大地に等しく雨を降らせるが、大地に生える大薬草・中薬草・小薬草・大樹・小樹は、それぞれの種に応じて雨を受けて育つ。雨は等しいが、育ち方は各々の機根に応じる。如来の説法もまた、平等の慈雨でありながら、衆生の機根に応じて受け取られ方が異なることを示す。続いて世尊は、自身が世に出て法を説く目的は一切衆生を究竟一切種智の地に至らせるためであり、衆生の機根の差別はあっても、究極の目的は一に帰することを再確認する。
教学要点
仏の慈悲の平等性と、衆生の機根の差別性を統合する譬諭。仏の説法は「一雨等潤」――一つの雨が等しく潤すように一切衆生に向けて等しく説かれる。しかし衆生は各々の能力に応じて受け取る。この理解により、爾前経で説かれた三乗の差別と、法華経で説かれる一仏乗の統一が両立する。日蓮はこの平等性の譬えを、「南無妙法蓮華経」が万人に等しく開かれた救済の法門であることの根拠の一つとする。
重要語
三草二木一雨等潤機根差別究竟一切種智平等の慈雨
6.

授記品 第六

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梗概
世尊が摩訶迦葉に未来世における光明如来としての成仏を授記する。次いで須菩提に名相如来、摩訶迦旃延に閻浮那提金光如来、摩訶目犍連に多摩羅跋栴檀香如来としての成仏を順次授記する。それぞれの未来世における国土の名・劫の名・寿命・像法の長さなどが詳細に語られる。声聞である四大弟子が次々に未来仏として授記される様子は、二乗作仏の具体的な実証であり、聴衆の歓喜は天地を震わせる。
教学要点
方便品で説かれた「二乗作仏」を、具体的な授記の儀式として実現する章。理論ではなく実例として、二乗が将来必ず成仏することを世尊が保証する。これは爾前経で「二乗は焦芽敗種、永く仏にならず」とされていた立場を完全に覆す。日蓮宗教学では、声聞授記は法華経の救済の普遍性を示す重要な根拠であり、後の提婆達多品の悪人成仏・女人成仏と並んで「一切衆生悉有仏性」の具体的証明となる。
重要語
四大声聞授記光明如来名相如来未来成仏二乗作仏の実証
7.

化城諭品 第七

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梗概
世尊が過去三千塵点劫の昔、大通智勝仏という仏のもとで、釈尊自身と一切衆生が法華経の縁を結んだ宿世の物語を説く。大通智勝仏には十六人の王子があり、出家して父仏のもとで法華経を学んだ。その十六王子の一人が後の釈尊であり、十六王子は十方の世界で成仏して衆生を導いている。続いて化城宝処の譬えを説く。導師が宝処(仏果)を求めて旅する人々を率いて険難の路を進むとき、人々が疲れて引き返そうとするので、化作した仮の城(化城)を見せて休ませ、勇気を取り戻させてから再び宝処へ導く。化城は声聞・縁覚の小乗涅槃、宝処は一仏乗の成仏。仏の方便智と真実智が見事に表現される。
教学要点
法華経における時間観の壮大な拡大。「三千塵点劫」の数量喩により、釈尊と衆生の関係が現世に始まるものではなく、久遠の過去から続く深い縁であることを示す。これは寿量品の「五百塵点劫」と並ぶ、法華経の根本時間観の双璧をなす。化城宝処の譬えは、二乗の悟りが究極ではなく、それを越えた一仏乗の宝処があることを示し、迹門全体の方便と真実の構造を再確認する。日蓮はこの久遠の宿縁を、自らの末法における弘通の理論的根拠とする。
重要語
三千塵点劫大通智勝仏十六王子化城宝処宿縁方便智と真実智
8.

五百弟子受記品 第八

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梗概
化城諭品の説示を聞いた富楼那弥多羅尼子が深く領解し、世尊から法明如来としての成仏を授記される。続いて、千二百人の阿羅漢を代表して五百人の弟子(憍陳如以下)にも未来世における成仏(普明如来等)が授記される。歓喜した五百弟子は、世尊の前に進み出て自らの不足を懺悔し、衣裏明珠の譬えを述べる。すなわち、ある人が親友の家で酒に酔って寝た間に、親友が無価の宝珠をその人の衣の裏に縫い付けて去ったが、当人はそれを知らずに長年諸国を流浪し貧苦に喘ぐ。後に親友に再会して宝珠の存在を知り、たちまち富者となる。仏が二乗に与えた一仏乗の種子を、二乗が自覚せずに長く小乗の境涯に留まっていたことの譬えである。
教学要点
声聞授記の範囲を、四大弟子から千二百衆へと拡大する章。これにより、二乗作仏が個別の特例ではなく、一切の二乗に普遍的に開かれた救済であることが確証される。衣裏明珠の譬えは、「本来具足の仏性」を象徴する重要な譬諭で、信解品の長者窮子と並んで、衆生が自らの仏性に気づくことの大切さを説く。日蓮宗ではこの本来具足の理を、唱題行によって覚醒される本来の仏界の発現として理解する。
重要語
五百弟子授記富楼那衣裏明珠法明如来本来仏性
9.

授学無学人記品 第九

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梗概
阿難および羅睺羅、ならびに学・無学の比丘二千人が、世尊の前に進み出て授記を求める。阿難はかつて世尊の侍者として常に法を聞き多くを記憶していたが、自身の成仏については未だ明確な保証を得ていなかった。世尊はまず阿難に「山海慧自在通王如来」としての成仏を、羅睺羅に「蹈七宝華如来」としての成仏を授記する。続いて学・無学二千人にも一斉に成仏が授記される。八千人の天人が法華経の弟子となることを誓い、未来世における仏国土の様相が詳述される。
教学要点
声聞授記の章の総括的完結。直弟子・侍者・最近親(羅睺羅は世尊の実子)にも成仏が確証され、また学(修行中)も無学(阿羅漢果に至った者)も等しく授記される。これにより、阿羅漢果が究極ではないこと、しかし一切の声聞が法華経に出会えば必ず成仏することが明示される。日蓮宗では本品をもって迹門の前半「二乗作仏の証明」が完成すると位置づけ、これより後の章は法師品以下「弘通の段」へと移行すると見る。
重要語
阿難・羅睺羅授記学・無学山海慧自在通王如来蹈七宝華如来
10.

法師品 第十

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梗概
世尊が薬王菩薩を上首とする八万の大士に告げて、法華経を末世にあって受持・読・誦・解説・書写する者(五種法師)の功徳の絶大さを説く。法華経の一句一偈を聞いて随喜する者にも未来仏としての授記を与えることを宣言する。続いて、末世に法華経を弘める者は、如来の使い、如来の所遣であり、人天の供養を受けるに値する者であることを明かす。さらに、法を説く者の身構えとして、衣・座・室の三軌(柔和忍辱衣を着、一切法空座に座し、大慈悲室に住す)を説き、末世における弘通の精神的基盤を示す。
教学要点
迹門の流通分(後半)の始まり。これまでの章で説かれた「開三顕一」「二乗作仏」の教えを末世に伝える者(法師)の責任と功徳を明示する。「五種法師」――受持・読・誦・解説・書写の五つの実践は、現代でも法華経信仰の基本である。「衣坐室の三軌」は、末世に法華経を弘める者の精神的姿勢の規範として、日蓮宗の僧俗の修養の指針となる。日蓮は自身が「如来の使い」として末法に出現したことを、本品の説示に直接の根拠を求める。
重要語
五種法師衣座室三軌如来使法師の功徳一句一偈の随喜
11.

見宝塔品 第十一

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梗概
世尊が法華経を説く法座の前に、大地より七宝で荘厳された巨大な宝塔が涌出し、虚空に住する。塔中より「善哉善哉、釈迦牟尼世尊、よく能く平等大慧・諸仏所護念の妙法華経を以て大衆に開示す」と讃嘆の声が響く。世尊は大楽説菩薩の問いに答えて、この宝塔の中に多宝如来が坐していること、多宝如来は東方宝浄国の如来で、入滅後も法華経の説かれる処に常に出現して証明することを誓った仏であることを明かす。多宝塔を開くため、世尊は十方の分身仏を呼び集め、娑婆世界を浄化する。塔の扉が開き、多宝如来は半座を分けて釈尊を招き入れ、二仏が並んで宝塔中に座する。この後、聴衆も虚空に上げられて虚空会の説法が始まる。さらに世尊は、末世における法華経弘通の困難さを六難九易(六つの難・九つの易)で示し、聴衆の信を確立する。
教学要点
法華経の壮大なドラマツルギーの頂点。多宝如来の出現と二仏並座(釈迦と多宝が同座する)という前代未聞の場面によって、法華経が時空を超えた真実の経であることを視覚的・神秘的に証明する。「二仏並座」は、仏の真理性の永遠性と、それを今ここで顕現する力を象徴する。日蓮宗の本尊・十界曼荼羅では、中央首題の左右に「釈迦牟尼仏」「多宝如来」が配されるが、これは見宝塔品の二仏並座を直接に表現したものである。「六難九易」は末法弘通の困難さを示し、行者の覚悟を促す。
重要語
多宝如来宝塔涌現二仏並座六難九易十方分身仏虚空会
12.

提婆達多品 第十二

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梗概
世尊が過去無量劫の昔、求法のために身命を捨てて阿私仙人に仕えたとき、その仙人こそが現在の提婆達多であったことを明かす。釈尊にとって最大の宿敵であり五逆罪を犯した提婆達多が、実は釈尊に法華経を教えた本師であったという驚くべき事実が宣言される。世尊は提婆達多に「天王如来」としての未来成仏を授記する。次いで文殊師利菩薩が竜宮で八歳の竜女に法華経を教化したことを語る。智積菩薩は「女人は速かに成仏できぬ」と疑うが、竜女自身が現れて宝珠を世尊に献じ、東方の世界に至って即座に男身に変じて成仏する姿を見せる。一切の聴衆はこの奇蹟に歓喜し、無上正等覚を求めることを誓う。
教学要点
一切衆生悉有仏性の最も劇的な証明。「悪人成仏」――五逆罪人の提婆達多にも成仏が授記される。「畜生成仏」――畜生道に属する龍族にも成仏できる。「女人成仏」――女人もまた即身に成仏できる。これは爾前経で「女人は変成男子の手続きを経て、長劫の修行の後にようやく成仏する」とされた立場を覆す画期的説示である。「即身成仏」の最初の経証であり、日蓮宗の本尊論・成仏論の重要な根拠となる。八歳の竜女が即座に成仏する姿は、修行の長短や境涯の優劣を超えて、信を起こして法華経に値えば誰もが成仏できるという普遍救済の象徴である。
重要語
提婆達多授記阿私仙人竜女成仏即身成仏悪人成仏女人成仏
13.

勧持品 第十三

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梗概
薬王菩薩と大楽説菩薩を上首とする二万の菩薩衆が、世尊滅後の悪世に法華経を読誦・書写・供養することを誓う。続いて八十万億那由他の菩薩衆も、滅後の悪世に身命を惜しまず法華経を弘通することを誓う。彼らは二十行の偈をもって、その誓願を表現する。この偈の中で、末世の弘通には三類の強敵が立ちはだかることが予告される。すなわち俗衆増上慢(在家の悪人)、道門増上慢(他宗の僧侶)、僭聖増上慢(聖人を装う高位の僧)の三類である。最後に、悉達多太子の祖母である摩訶波闍波提と妃の耶輸陀羅にも未来成仏が授記される。
教学要点
末世における法華経弘通の困難と、それに立ち向かう菩薩の誓願を説く章。「三類の強敵」の予言は、後の世に法華経の行者が必ず遭遇する迫害を予告したものとして極めて重要。日蓮聖人は自身の度重なる法難(伊豆流罪・小松原法難・龍口法難・佐渡流罪)を、本品の三類の強敵の予言が自身に的中したことの証明と捉え、自らを「法華経の行者」と位置づけた。『開目抄』『撰時抄』等で繰り返しこの章が引用される。法華経の行者の覚悟と、迫害の中にあっても信を貫く精神的基盤を与える章。
重要語
三類の強敵二十行偈俗衆増上慢道門増上慢僭聖増上慢法華経の行者
14.

安楽行品 第十四

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梗概
勧持品の苛烈な弘通の誓願を受けて、文殊師利菩薩が世尊に問う。「末世にあって、いかにして法華経を説くべきか」と。世尊は答えて、四種の安楽行を説く。第一に身安楽行、第二に口安楽行、第三に意安楽行、第四に誓願安楽行である。それぞれの行において、菩薩が遠ざけるべき対象や保つべき心構えが詳細に説かれる。最後に髻中明珠の譬えが説かれる。転輪聖王が戦に勝った兵に種々の褒賞を与えるが、最も重い功には自分の髻の中にある宝珠を与える。仏もまた、法華経という最高の宝を、末世の弘通者にこそ授けるのである。
教学要点
末世における弘通の精神的・実践的指針を四つの安楽行として体系化する章。勧持品の積極的・対抗的な弘通の姿勢に対し、安楽行品は穏やか・純粋・忍辱の姿勢を説く。「身安楽行」――俗事を遠ざけ静かに過ごす、「口安楽行」――他経・他人を誹らず温和に語る、「意安楽行」――嫉妬・諂曲を離れる、「誓願安楽行」――衆生救済の大誓願を起こす。日蓮宗では、勧持品の折伏行と安楽行品の摂受行の両面を、時と機に応じて使い分けるべきとする立場が一般的。
重要語
四安楽行身安楽行口安楽行意安楽行誓願安楽行髻中明珠

本門(従地涌出品〜普賢勧発品)

15.

従地涌出品 第十五

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梗概
他方より来た八河沙の菩薩たちが、世尊に対して滅後の娑婆世界における法華経の護持と弘通を申し出る。しかし世尊は意外にも、その申し出を断る。なぜなら娑婆世界には、本来こそ法華経を護持・弘通すべき菩薩たちがすでに存在するからである。世尊がこう告げると同時に、大地が裂け、無数(地涌六万恒河沙)の菩薩が大地より涌出する。彼らはそれぞれが六万恒河沙の眷属を率い、その上首は上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩である。涌出した菩薩はみな金色の身体に三十二相を備え、すでに無量劫の修行を経た成熟した菩薩であった。弥勒菩薩が驚いて世尊に問う。「世尊、これらの無量の菩薩はどこからやって来たのか。世尊が成道して四十余年、いかなる時にこれらを教化したというのか」。この問いが、続く如来寿量品の久遠開顕への直接の伏線となる。
教学要点
法華経 28品の最大の転換点。本品より本門が始まる。地涌の菩薩の出現は、釈尊が伽耶城近郊の菩提樹下で四十余年前に成道した仏ではなく、もっと久遠の昔に成道した本仏であることを暗示する。なぜなら、これだけ無数の成熟した菩薩を教化した仏が、四十余年で生まれるはずがないからである。弥勒の問いはまさにこの疑問を表明し、次の寿量品でその答えが明かされる。日蓮聖人は、地涌の菩薩の上首・上行菩薩を自身の本地とし、末法の弘通は地涌の菩薩の役割であると位置づける。
重要語
地涌の菩薩上行・無辺行・浄行・安立行本門開顕の序弥勒の疑問本化四菩薩
16.

如来寿量品 第十六

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梗概
弥勒菩薩の問いに対して、世尊が三度にわたって聴衆に「如来の誠諦の語を信解せよ」と告げ、聴衆も三度にわたって「願わくは説きたまえ、我等当に信受したてまつるべし」と請う。世尊はおもむろに告げる。「一切世間の天人および阿修羅は、皆な謂えり、今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たり、と。然るに善男子、我実に成仏して已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と。釈尊は伽耶始成の新しい仏ではなく、無量無辺百千万億那由他劫(五百塵点劫)の昔に既に成仏した久遠本仏であることを宣言する。寿量品の中段では良医病子の譬えが説かれる。良医が遠方より帰宅すると、子等が毒薬を誤って飲んで苦しんでいた。良医は薬を調合して与えるが、心の乱れた子等は飲もうとしない。良医は方便として「父は遠国で死んだ」と告げて去り、子等が哀しみのあまり正気に戻ってから薬を飲ませて治す。仏もまた、衆生に正法を信じさせるために方便として滅度を示すが、実は常住して衆生を救う。最後に有名な「自我偈」が朗々と唱えられる。「自我得仏来、所経諸劫数、無量百千万億載阿僧祇、常説法教化、無数億衆生……」
教学要点
法華経の最大の核心、本門の眼目。「久遠実成」――釈尊は伽耶始成の新しい仏ではなく、五百塵点劫の昔から既に常住する本仏である。この一句が、爾前経・迹門と本門とを画する決定的な転換点となる。良医病子の譬えは仏の方便(滅度の示現)と真実(常住)の関係を示し、自我偈は本門の核心を韻文の形で集約する。日蓮宗の本仏観は本品に立脚し、十界曼荼羅の中央首題「南無妙法蓮華経」はこの本門寿量品の久遠本仏への帰命を表現する。朝夕の勤行において自我偈は必ず誦され、唱題行と並ぶ日々の修行の柱となる。
重要語
久遠実成我実成仏已来良医病子自我偈本門寿量五百塵点劫伽耶始成本仏
17.

分別功徳品 第十七

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梗概
寿量品の久遠開顕の説示を聞いた聴衆の中に、その教えを信解した者の功徳の分量が、世尊によって順次分別して説かれる。あるいは一念信解の功徳、あるいは深信解相の功徳、あるいは広為他人説の功徳など、信解の深さに応じて未来世における無量の功徳が約束される。中段では、世尊滅後における信解の段階を四信五品の階位に分けて説く。在世の四信とは「一念信解・略解言趣・広為他説・深信観成」の四段階。滅後の五品とは「随喜・読誦・説法・兼行六度・正行六度」の五段階。聴衆の中で深く信解した者は、無上正等覚を必ず得るとの保証を与えられる。
教学要点
寿量品の久遠本仏の説示を、信解の階位として体系化する章。「四信五品」は、法華経修行の段階を簡潔に整理した枠組みで、特に滅後五品の最初である「随喜」は、日蓮宗における信仰の入口として重視される。日蓮の『四信五品抄』は本品を主題とし、末法における修行の本質が「信」にあることを論じる。本品はまた、本門の正宗分(寿量品)から流通分(分別功徳品以降)への橋渡しの章でもある。
重要語
四信五品在世四信滅後五品一念信解随喜寿量品聞持
18.

随喜功徳品 第十八

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梗概
弥勒菩薩が世尊に、滅後の世にあって法華経を聞いて随喜する者の功徳について問う。世尊は答えて、その功徳の絶大さを「五十展転随喜の譬え」で示す。ある人が法華経を聞いて随喜し、その後他人にその喜びを伝え、その人がまた他人に伝え、と五十回展転して伝えられた最後の人の随喜の功徳ですら、無量無辺の財施を四百万億阿僧祇の世界に施した功徳より遥かに勝ると説く。なお最初に法華経を聞いて随喜した人の功徳の大きさは、ほとんど推し量ることができない。たとえ短い時間でも法を聞いて喜ぶ心を起こすこと自体が、無量の善根を生じる。
教学要点
法華経流通の力を示す重要な章。「随喜」は法華経修行の最も基本的な入口であり、たとえ深い理解がなくても、聞いて喜ぶ一念が無量の功徳を生むことを保証する。これは末世の凡夫にとって極めて励みとなる説示である。日蓮の『四信五品抄』では、滅後五品の最初を「随喜」とすることの意義を、この章に基づいて論じる。広宣流布の理念――一人が随喜し、それを次々と伝える――の経典的根拠となる章。
重要語
五十展転随喜随喜の功徳法華経流通聞経の功徳広宣流布
19.

法師功徳品 第十九

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梗概
世尊が常精進菩薩に告げて、滅後の世にあって法華経を受持・読・誦・解説・書写する者(五種法師)に具わる六根清浄の功徳を詳説する。眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六根がそれぞれ清浄となり、世間のあらゆるものを微細に観じ、聞き、嗅ぎ、味わい、感じ、思惟することができるようになる。眼根清浄を例にとれば、肉眼でありながら三千大千世界の内外の山河大地・諸天の宮殿・地獄餓鬼まで悉く見通すことができる。同様に他の五根も、修行の進展に応じて凡夫の感覚を遥かに超えた清浄な作用を得るようになる。
教学要点
法師品の五種法師の功徳を具体的に展開した章。「六根清浄」は、修行者の感覚器官と意識のあり方が法華経修行によって根本的に転換することを示す。日蓮はこの六根清浄を、唱題行による生命の浄化と内面の覚醒として理解する。本品で示される功徳は超自然的に表現されるが、その本質は、法華経を実践することで凡夫の限界が克服され、本来具足の仏性が顕現することにある。常不軽菩薩品の但行礼拝とも深く関連する章。
重要語
六根清浄五種法師の功徳眼根清浄耳根清浄法師品との対
20.

常不軽菩薩品 第二十

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梗概
世尊が大勢至菩薩に過去の物語を語る。威音王仏という仏の像法時代に、一人の比丘がいた。彼は法華経を読誦することもなく、ただ会う人ごとに「我深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず、所以は何ん、汝等皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(二十四字の法華経)と唱えて礼拝した。出会う人々の多くは怒り、罵詈し、杖木瓦石をもって彼を打擲した。それでも彼は遠く離れて高声で同じ言葉を唱え続けた。人々は彼を「常不軽」(常に軽んじない者)と呼んだ。彼は臨終に至って空中で威音王仏の説いた法華経を聞き、六根清浄を得て寿命を二百万億那由他歳延長し、広く法華経を説いて多くの人々を導いた。かつて彼を罵り打った人々は阿鼻地獄に堕ちたが、後に罪を償ってから常不軽菩薩のもとに帰って法華経を受持した。この常不軽菩薩こそが釈尊の過去身であり、罵詈打擲した人々の多くは現在の聴衆の中にいる。
教学要点
法華経が説く「一切衆生悉有仏性」「本来仏性」の理を、行の形で具体化した最も重要な章の一つ。「但行礼拝」――ただひたすら礼拝する行は、相手の本来仏性を信じて疑わない態度の表現である。日蓮聖人は常不軽菩薩の行を末法における自身の弘通の手本とし、『開目抄』等で繰り返しこの章を引用する。罵詈打擲を受けながらも信を貫く姿勢は、末法の法華経の行者の精神的な原型である。「二十四字の法華経」とは、常不軽菩薩の唱えた二十四字の偈であり、法華経の精髄を一句に凝縮したものとして大切にされる。
重要語
但行礼拝二十四字の法華経常不軽行威音王仏本来仏性罵詈打擲
21.

如来神力品 第二十一

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梗概
世尊が十大神力を一斉に現じ、その荘厳と力用の絶大さを聴衆に示す。第一に出広長舌――舌を伸ばして梵天に至らしめる。第二に放毛孔光――身の毛孔より無量の光を十方に放つ。第三に一謦欬声――ひとたび謦欬すると十方に響く。第四に倶共弾指――菩薩衆と共に弾指すると十方に響く。第五に六種震動――大地が六種に震動する。第六に普見大会――大会の様子が十方に普く見える。第七に空中唱声――空中で唱う声が遍く聞こえる。第八に咸皆帰命――一切衆生が悉く帰命する。第九に遥散諸物――遠くから諸物が散ぜられる。第十に通一仏土――十方の仏土が一仏土の如く通ずる。これらの神力を示した後、世尊は地涌の菩薩の上首・上行菩薩らに対して、滅後の悪世における法華経の弘通を別付嘱する。
教学要点
本門の結要付嘱の章。地涌の菩薩――とりわけ上行菩薩を上首とする四菩薩――に対する、釈尊からの直接の付嘱が行われる。「神力出広長舌」など十大神力は、釈尊が本仏として持つ宇宙的な力の象徴的表現。日蓮聖人はこの結要付嘱を、自身の末法における弘通の使命の経典的根拠とする。日蓮宗において上行菩薩は、末法の法華経弘通の主体であり、日蓮聖人を上行菩薩の再誕(あるいは本地)と位置づける見方は本品に基づく。
重要語
十大神力結要付嘱別付嘱上行菩薩出広長舌本仏の神力
22.

嘱累品 第二十二

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梗概
世尊が右手を伸ばして大会の菩薩・摩訶薩の頂を三度撫で、「私が無量百千万億阿僧祇劫の昔から修行して得たこの法華経を、今汝等に付嘱する。汝等は当に一心に流布広宣し、その心を増益させるべし」と告げる。これを三度繰り返す(摩頂三度)。地涌の菩薩のみならず、十方より来た一切の菩薩、釈尊の分身仏、多宝如来も含めた一切の聴衆に対する一般の付嘱(総付嘱・一般付嘱)が行われる。神力品の地涌菩薩への別付嘱と並んで、本門における付嘱の儀式が完了する。多宝如来は宝塔の中に戻り、十方の分身仏もそれぞれの国土に帰る。
教学要点
神力品の別付嘱(特に地涌菩薩への付嘱)に対し、本品は一般付嘱(総付嘱・一切菩薩への付嘱)の章。「摩頂三度」――右手で菩薩衆の頭頂を三度撫でる行為は、最高度の信頼と任命を象徴する仏教的儀礼。本品で本門の付嘱の儀式が完了し、これより後の章は本門の流通分(薬王品〜普賢勧発品)へと移行する。日蓮宗では、神力品(別付嘱)が末法の地涌菩薩への直接付嘱、嘱累品(一般付嘱)が一切の弘通者への普遍付嘱と区別される。
重要語
摩頂三度一般付嘱総付嘱別付嘱との対比一切菩薩
23.

薬王菩薩本事品 第二十三

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梗概
宿王華菩薩が世尊に、薬王菩薩の往昔の本事(過去の物語)について問う。世尊は答えて、薬王菩薩の前身が一切衆生喜見菩薩であった頃の壮絶な物語を語る。一切衆生喜見菩薩は日月浄明徳仏のもとで法華経を聞いて深く感激し、自らの身に香油を塗り、神通力で身を金色の光明と化し、一千二百年の間燃え続けて法華経を供養した。その身が燃え尽きると、次の生で同じ日月浄明徳仏に再び生まれ、なお父王の臂を焼いて七万二千歳の間供養した。これらの捨身供養により、無量の衆生が無生法忍を得た。本品はまた、法華経が一切経の中で最尊最勝であり、これを聞いて持つ者の功徳を諸々の譬諭をもって讃嘆する。
教学要点
法華経への絶対的な供養の意義を示す章。一切衆生喜見菩薩(薬王菩薩の本地)の燃身供養は、自らの身体すら惜しまず法に捧げる究極の供養の姿勢を象徴する。日蓮宗では、この章を末法における法華経への絶対の信仰と、身命を惜しまぬ弘通の姿勢の根拠とする。日蓮聖人の度重なる法難は、まさに本品の「身命を惜しまず」の精神を身読したものとされる。本品はまた、法華経の絶対性を諸々の譬諭(諸河の海、衆星の月、衆山の須弥、人民の天王 等)で表現する重要な章でもある。
重要語
燃身供養一切衆生喜見菩薩日月浄明徳仏法華経讃嘆法供養
24.

妙音菩薩品 第二十四

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梗概
東方の浄華宿王智仏の国土に住む妙音菩薩が、釈尊と多宝如来の説法を聞きに娑婆世界に来ることを願う。浄華宿王智仏は娑婆世界の汚穢を警告するが、妙音菩薩はそれを意に介さず、八万四千の菩薩を率いて娑婆に来儀する。釈尊の前に到り、釈尊と多宝如来を供養し、法華経を聞く。妙音菩薩はかつて雲雷音王仏のもとで法華経に供養した功徳によって今の身を得たことを語り、また衆生を救うため、三十四種の様々な身を現じて法を説いてきたことを示す。説法を終えて再び本土に還る。
教学要点
十方諸仏が法華経を説くこと、また法華経の真理が娑婆世界に限られず宇宙的に普遍であることを示す章。妙音菩薩の三十四種の応身は、次の観世音菩薩普門品の三十三応身と対をなし、法華経が説く救済の方法が衆生の機根に応じて自在に変化することを表現する。日蓮宗では、法華経の救済の宇宙的広がりを示す章として位置づけられる。
重要語
妙音菩薩浄華宿王智仏雲雷音王仏三十四応身十方諸仏
25.

観世音菩薩普門品 第二十五

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梗概
無尽意菩薩が世尊に、観世音菩薩の名前の由来と功徳について問う。世尊は答えて、苦悩する衆生が一心に観世音菩薩の名を称えるならば、観世音菩薩は即座にその音声を観察してこれを救うがゆえに「観世音」と名付けると説く。火難・水難・刀杖・羅刹・鬼神・盗賊などのあらゆる難から救い、また貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の心病からも救う。続いて観世音菩薩が衆生救済のために示す三十三の応身を列挙する――仏身・辟支仏身・声聞身・梵王身・帝釈身・自在天身・大自在天身・天大将軍身・毘沙門身などである。最後に偈頌をもって観音の救済を讃え、これを聞いた持地菩薩は、本品(普門品)を持つ者の功徳の絶大さを述べる。
教学要点
法華経の中でも独立性が高く、古来「観音経」として単独で読誦されることも多い章。観世音菩薩の救済は、信を起こして名を称える「称名」の行によって発動する点に特徴があり、これは唱題行の原型とも言える。三十三応身は、仏が衆生の機根・境涯に応じて自在に姿を変えて救済する大慈悲の表現。日蓮宗では本品を、法華経の救済の普遍性を示すと共に、観音信仰と法華信仰の統合的理解を提供する章として読む。
重要語
観世音三十三身普門示現称名の利益観音経
26.

陀羅尼品 第二十六

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梗概
薬王菩薩が世尊に、滅後の悪世にあって法華経を持つ者を守護するための呪を説きたいと申し出る。世尊は許諾し、薬王菩薩は「安爾、曼爾、摩禰、摩摩禰……」の陀羅尼を説く。続いて勇施菩薩が「痤隷、摩訶痤隷……」の陀羅尼を、毘沙門天王が「阿梨、那梨、㝹那梨……」の陀羅尼を、持国天王が「阿伽禰、伽禰……」の陀羅尼を、最後に十羅刹女と鬼子母神が連名で「伊提履、伊提泯……」の陀羅尼を説く。これら五番の神咒は、法華経の行者が遭遇する妨害を退け、行者を守護する力を持つ。十羅刹女は法華経の行者を害する者は「頭破七分、阿梨樹枝の如し」となるべしと誓う。
教学要点
法華経の行者を守護する諸天善神の働きを説く章。「五番神咒」は古来、法華経弘通における護法の根拠とされる。日蓮宗の本尊・十界曼荼羅には、十羅刹女・鬼子母神・四大天王などの守護神が勧請されているが、これは本品の説示に基づく。日蓮聖人は数々の法難に際して、本品の守護神の誓いを根拠に「諸天善神の加護」を確信し続けた。本品はまた、信仰と祈祷の側面を法華経信仰に補強する重要な章でもある。
重要語
五番神咒十羅刹女鬼子母神陀羅尼頭破七分守護神
27.

妙荘厳王本事品 第二十七

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梗概
世尊が過去無量無辺不可思議阿僧祇劫の昔の物語を説く。雲雷音宿王華智仏という仏の時代に、妙荘厳王という王があった。王とその妃・浄徳夫人、二人の息子・浄蔵浄眼が登場する。妙荘厳王は深く邪見に染まっており、婆羅門の法を信じていた。妃の浄徳夫人と二人の息子は仏法を信じていた。浄蔵浄眼の二子は神変を現じ、父王に仏法に帰依するよう説得する。妙荘厳王は二子の神変と説法によって遂に邪見を捨て、雲雷音宿王華智仏のもとに行って出家・受戒し、深く法華経を信じる者となる。この物語は、家族の中で正法に導く子の働き、また邪見の人を法に帰依せしめる善知識の力を示す。
教学要点
善知識(よき導き手)の働きと、家族間の教化の意義を説く章。浄蔵浄眼の二子は妙荘厳王の善知識として現れ、父王を正法に導く。これは、信仰が個人だけのものではなく、家族・社会の中で広がるべきものであることを示唆する。日蓮宗では、本品を在家信徒の家庭信仰の根拠とすることもあり、また邪見の人を法華経に導く力強い実例として読まれる。
重要語
妙荘厳王浄蔵浄眼善知識雲雷音宿王華智仏家族教化
28.

普賢菩薩勧発品 第二十八

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梗概
普賢菩薩が東方の宝威徳上王仏の国土から、無量無辺の菩薩を率いて娑婆世界に来儀し、世尊の前に到る。世尊に礼拝し、釈尊滅後の悪世にあって法華経をいかにして得るべきかを問う。世尊は答えて、四法を成就すれば必ず法華経を得ることができると説く。すなわち諸仏の護念を成就すること、諸徳本を植えること、正定聚に入ること、一切衆生を救う心を発すこと、の四法である。普賢菩薩は法華経の行者を六牙の白象に乗って守護することを誓い、行者が三七日(二十一日間)専心に修行するならば、普賢菩薩自らが現れて教化することを保証する。最後に普賢菩薩を讃え、法華経全体が結ばれる。
教学要点
法華経本論を結ぶ章。これより結経(観普賢菩薩行法経)への直接の橋渡しとなる。「普賢勧発」――普賢菩薩が法華経の行者を勧め励まし守護する。「六牙白象」――普賢菩薩が乗る六本の牙を持つ白い象は、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の象徴。日蓮宗では、本品の普賢勧発の精神を末法の弘通の励みとし、また結経への橋渡しの章として重視する。
重要語
普賢勧発六牙白象四法成就宝威徳上王仏結経への橋

結経(観普賢菩薩行法経)

観普賢菩薩行法経

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梗概
釈尊が毘舎離国大林精舎の重閣講堂において、阿難・摩訶迦葉・弥勒菩薩に対し、普賢菩薩を観じてその指導を受ける行法を説く。修行者は精進し、十方の諸仏と普賢菩薩を観じ、自身の身・口・意の三業による罪を懺悔する。六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)のそれぞれが過去から積み重ねてきた罪業を一根ずつ懺悔する六根懺悔の儀軌が詳しく説かれる。これにより、六根が清浄となり、修行者は普賢菩薩の指導のもとに法華経の真実を体得することができる。
教学要点
法華経本論の修行(信解・受持・読誦・解説・書写)に伴う、実践的な懺悔の観法を説く結経。六根懺悔の行は、法華経修行を完成させる観行として極めて重要である。日蓮宗では、結経として観普賢菩薩行法経を位置づけ、開経の無量義経三部と合わせて、法華三部経の構造(開経・本論・結経)を完成させる。本経により、法華経全体の修行体系(解→行→証)が結ばれる。
重要語
六根懺悔結経普賢観法三業懺悔法華三部経の結び

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