断片200
断200
文はとかれたれども、実には諸行は往生せずと料簡したりけり。この二義世間にひろまりけるほどに、法華経等は一部八巻よむもよたけ也。真言の観念大事なり。一念は但南無阿弥陀仏と申せばやすし。させる功労をも入ざる故に、在家の諸人は一向称名念仏になりぬ。自然に法然が義つをりて多勢になるほどに、をゝぜいにをとされて、法華経真言等を行じつる人々も自義をすてゝ法然が義をならいまねび、心よせにをもい、久修聖行の法華経等をすてゝ三万六万等の念仏者になりぬ。結句はことに天台真言人々、法華経をすてゝ念仏になる証人となれるなり。ここに第一の不思議あり。法然が一類の一向の念仏者法然・隆観・上光・善恵・南無・薩生等或 二七日無記にて死者もあり、或は悪瘡、或は血をはき、或は遍身にあつきあせをながし、惣じて法然が一類八十余人一人も臨終よきものとてなし。又一向専修の念仏者もちうる在