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主師親御書釈尊三徳

第一巻 定本番号 8 建長7(1255) 分類: その他

祖寿: 34 対告衆: 御両親 

    8   主師親御書
釈迦仏は我等が為には主也・師也・親也。一人してすくひ護ると説給へり。阿弥陀仏は我等が為には主ならず、親ならず、師ならず。
然れば天台大師是を釈して曰、西方仏別縁異。仏別故隠顕義不成縁異故子父義不成。又此経首末全無此旨。閉眼穿鑿と。
実なるかな、釈迦仏は中天竺の浄飯大王の太子として、十九御年家を出給て檀特山と申山に篭らせ給ひ、高峰に登ては妻木をとり、深谷に下ては水を結び、
難行苦行して御年三十と申せしに仏にならせ給て、一代聖教を説給に、上には華厳・阿含・方等・般若等の種種の経経を説せ給へども、
内心には法華経を説ばやとおぼしめされしかども、衆生の機根まちまちにして一種ならざる間、仏の御心をば説給はで、人の心に随ひ万の経を説給へり。
如此四十二年が程は心苦く思食しかども、今法華経に至て我願既に満足しぬ。我が如くに衆生を仏になさんと説給へり。
久遠より已来、或は鹿となり、或は熊となり、或時は鬼神の為に食れ給へり。
如此功徳をば法華経を信じたらん衆生は是真仏子とて、是実の我子なり、此功徳を此人に与へんと説給へり。
是程に思食たる親の釈迦仏をばないがしろに思ひなして、唯以一大事と説給へる法華経を信ぜざらん人は、争か仏になるべきや。能能心を留て案ずべし。
二巻云、若人不信毀謗此経則断一切世間仏種乃至不受余経一偈と。文の心は仏にならん為には、唯法華経を受持せん事を願て、余経の一偈一句をも受ざれと。
三巻云、如従飢国来忽遇大王膳と。文の心は飢たる国より来て忽に大王の膳にあへり。
心は犬野干の心を致すとも、迦葉・目連等の小乗の心をば起さざれ、破たる石は合とも、枯木に花はさくとも、二乗は仏になるべからずと仰せられしかば、
須菩提は茫然として手の一鉢をなげ、迦葉は涕泣の声大千界を響すと申て歎き悲みしが、
今法華経に至て迦葉尊者は光明如来の記別を授りしかば、目連・須菩提・摩訶迦旃延等は是を見て、我等も定て仏になるべし。
飢たる国より来て忽に大王の膳にあへるが如しと喜びし文也。
我等衆生無始曠劫より已来、妙法蓮華経の如意宝珠を片時も相離れざれども、無明の酒にたぼらかされて、衣の裏にかけたりとしらずして、少きを得て足ぬと思ひぬ。
南無妙法蓮華経とだに唱奉りたらましかば、速に仏に成べかりし衆生どもの、五戒十善等のわずかなる戒を以て、
或は天に生れて、大梵天帝釈の身と成ていみじき事と思ひ、或時は人に生れて、諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成て是程のたのしみなしと思ひ、少きを得て足ぬと思ひ悦びあへり。
是を仏は夢の中のさかへ(栄)まぼろしのたのしみ也。唯法華経を持奉り速に仏になるべしと説給へり。
又四巻云而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後[云云]。釈迦仏は師子頬王の孫、浄飯王には嫡子也。十善の位をすて、五天竺第一なりし美女耶輸多羅女をふりすてゝ、
十九の御年出家して勤行ひ給しかば、三十の御年成道し御坐て三十二相八十種好の御形にて、御幸なる時は大梵天王・帝釈左右に立、多聞・持国等の四天王先後囲繞せり。
法を説給ふ御時は四弁八音の説法は祇園精舎に満、三智五眼の徳は四海にしけり。然れば何れの人か仏を悪むべき。なれども尚怨嫉するもの多し。
まして滅度の後一毫の煩悩をも断ぜず、少しの罪をも弁へざらん法華経の行者を、悪み嫉む者多からん事は雲霞の如くならんと見えたり。
然則末代悪世に此経を有のまゝに説人には敵多からんと説れて候に、世間の人人我も持たり、我も読奉り、行じ候に、敵なきは仏の虚言歟、法華経の実ならざる歟。
又実の御経ならば当世の人人経をよみまいらせ候は虚よみ歟。実の行者にてはなき歟如何。能能心得べき事也。明むべき物也。
四巻の多宝如来は釈迦牟尼仏御年三十にして仏に成給ふに、初には華厳経と申経を十方華王のみぎりにして別円頓大の法輪、法慧功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩に対して三七日の間説給しにも来り給はず。
其二乗の機根叶はざりしかば、瓔珞細軟の衣をぬぎすて、麁弊垢膩之衣を著、波羅奈国鹿野苑に趣て、十二年の間生滅四諦の法門を説給ひしに、阿若倶鄰等の五人証果し、八万の諸天は無生忍を得たり。
次に欲・色二界の中間大宝坊の儀式、浄名の御室には三万二千の牀を立、般若白鷺池の辺十六会の儀式、染浄虚融の旨をのべ給しにも来給はず、
法華経にも一巻乃至四巻人記品までも来給はず、宝塔品に至て初て来給へり。
釈迦仏先四十余年の経を我と虚事と仰られしかば人用る事なく、法華経を真実也と説せ給へども、仏は無虚妄の人とて永く虚言し給はずと聞しに、
一日ならず二日ならず、一月ならず二月ならず、一年二年ならず、四十余年の程虚言したりと仰らるれば、又此経を真実也と説給も虚言にやあらんずらんと不審をなしゝかば、
此不審釈迦仏一人しては舎利弗を始め、事はれがたかりしに、此多宝仏宝浄世界よりはるばると来らせ給て、
法華経は皆是真実なりと証明し給しに、先の四十余年の経々を虚言と仰せらるゝ事、実の虚言に定れり。
又法華経より外の一切経を空に浮べて、文文句句阿難尊者の如く覚へ富楼那の弁舌の如くに説とも其を難事とせず。
又須弥山と申山は十六万八千由句の金山にて候を、他方世界へつぶて(礫)になぐる者ありとも難事には候はじ。
仏滅度後当世末代悪世に法華経を有のまゝに能説ん、是を難しとすと説給へり。
五天竺第一の大力なりし提婆達多も、長三丈五尺広一丈二尺の石をこそ仏になげかけて候しか。
又漢土第一の大力楚の項羽と申せし人も、九石入の釜に水満候しをこそひさげ(提)候しか。
其に是は須弥山をばなぐる者は有とも、此経を説の如く読奉らん人は有がたしと説て候に、人ごとに此経をよみ書説候。
経文を虚言に成て当世の人人を皆法華経の行者と思ふべき歟。能能御心得有べき事也。
五巻提婆品云、若有善男子善女人聞妙法華経提婆達多品浄心信敬不生疑惑者不堕地獄餓鬼畜生生十方仏前と。此品には二の大事あり。
一には提婆達多と申は阿難尊者には兄、斛飯王には嫡子、師子頬王には孫、仏にはいとこにて有しが、仏は一閻浮提第一の道心者にてましましゝに怨をなして、
我は又閻浮提第一の邪見放逸の者とならんと誓て、万の悪人を語て仏に怨をなして三逆罪を作て現身に大地破て無間大城に堕て候しを、天王如来と申す記別を授らるる品にて候。
然れば善男子と申は男此経を信じまひらせて聴聞するならば、提婆達多程の悪人だにも仏になる。
まして末代の人はたとひ重罪なりとも多分は十悪をすぎず。まして深く持奉る人仏にならざるべきや。
二には娑竭羅龍王のむすめ龍女と申八歳のくちなは仏に成たる品にて候。此事めづらしく貴き事にて候。
其故は華厳経には女人地獄使能断仏種子外面似菩薩内心如夜叉と。文の心は女人は地獄の使よく仏の種をたつ。外面は菩薩に似たれども内心は夜叉の如しと云へり。
又云、一度女人を見る者はよく眼の功徳を失ふ。設ひ大蛇をば見るとも女人を見るべからずと云。
又有経云、所有三千界男子諸煩悩合集為一人女人之業障。三千大千世界にあらゆる男子の諸の煩悩を取集て女人一人の罪とすと云へり。
或経には三世の諸仏の眼は脱て大地に堕とも、女人は仏に成べからずと説給へり。然に此品の意は畜生たる龍女だにも仏に成れり。
まして我等は形のごとく人間の果報也。彼が果報にはまされり。争か仏にならざるべきやと思食すべきなり。中にも三悪道におちずと説て候。
其地獄と申は八寒八熱乃至八大地獄の中に、初め浅き等括地獄を尋れば、此一閻浮提の下一千由句也。其中の罪人は互に常に害心をいだけり。
もしたまたま相見れば猟師が鹿にあへるが如し。各各鉄の爪を以て互につかみさく。血肉皆尽て唯残て骨のみあり。
或は獄卒棒を以て頭よりあなうら(跖)に至るまで皆打くだく、身も破れくだけて猶沙の如し。
焦熱なんど申地獄は譬んかたなき苦也。鉄城四方に回て門を閉たれば力士も開きがたく、猛火高くのぼって金翅のつばさもかけるべからず。
餓鬼道と申は其住処に二あり。一には地の下五百由句の閻魔王宮にあり。二には人天の中にもまじって其相種種也。
或は腹は大海の如く、のんどは鍼の如くなれば、明ても暮ても食すともあくべからず。まして五百生七百生なんど飲食の名をだにもきかず。
或は己れが頭をくだきて脳を食するもあり。或は一夜に五人の子を生て夜の内に食するもあり。
万菓林に結べり。取んとすれば悉く剣林となり、万水海に入る、飲んとすれば猛火となる。如何にしてか此苦をまぬがるべき。
次に畜生道と申は其住所に二あり。根本は大海に住す。枝末は人天に雑れり。短き物は長き物にのまれ、小き物は大なる物に食はれ、互に相食でしばらくもやすむ事なし。
或は鳥獣と生れ、或は牛馬と成て重き物をおほせられ、西へ行んと思へば東へやられ、東へ行んとすれば西へやらる。山野に多くある水草をのみ思て余は知るところなし。
然るに善男子善女人此法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱奉らば、此三罪を脱るべしと説給へり。何事か是にしかん。たのもしきかな、たのもしきかな。
又五巻云、我闡大乗教度脱苦衆生と。心は、われ大乗の教をひらいてとは法華経を申す。苦の衆生とは地獄の衆生にもあらず、餓鬼道の衆生にもあらず、只女人を指て苦の衆生とは名たり。
五障三従と申て、三したがふ事有て、五の障りあり。
龍女我女人の身を受けて女人の苦をつみしれり。然ば余をば知べからず、女人を導かんと誓へり。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経     日蓮 [花押]