妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

新編 日蓮宗年表 13901399

109

西暦和暦(北朝)和暦(南朝)干支改元日蓮聖人大閏月月日記録
1390康応2・明徳1年元中7年庚午3・26聖誕169 祖滅1091・2・③・4・7・9・11・122・29足利氏満、下総法華経寺の棟別銭を免除す(中書)
康応2・明徳1年元中7年庚午3・日什在京3年、上奏するも効を奏せず(運記)
康応2・明徳1年元中7年庚午4・29義満、祖父尊氏の23回忌を本国寺に修す(圀譜)
康応2・明徳1年元中7年庚午5・9駿河岡宮光長寺3世日景寂(過帳)
康応2・明徳1年元中7年庚午9・中山日尊、光乘阿闍梨、乘覺阿闍梨2人を身延に遣し七条袍服謗法衣の義を日叡に糺さしむ(伝灯)
康応2・明徳1年元中7年庚午10・中山日尊、大藏卿阿闍梨を身延に遣し、また11月には堯俊房を身延に使せしも、身延終に答うる所なし(伝灯)
康応2・明徳1年元中7年庚午上総埴谷日繼、妙宣寺開堂供養す、中山の日尊導師を勤む(伝灯)この時中山始て七条の袈裟に袍服を着す、身延日叡これを謗法衣なりと云いしより、中山日尊、身延日叡の間に袍服着不の論起る(伝灯)
康応2・明徳1年元中7年庚午京都妙覚寺日護、岐阜城主斎藤利藤常在寺を建て、招かれて住す(別統)
1391明徳2年元中8年辛未聖誕170 祖滅1101・3・5・8・10・121・この月より日什、目安・申状等を用意して将軍義満を諫暁せんとして期を待つ、日什更に奉行松田丹後守に就て義満に内奏せんとせしも不成功に終る(運記・什伝)
明徳2年元中8年辛未3・7日什、義満に庭中直訴す(運記)
明徳2年元中8年辛未3・23上総興津妙覚寺3世日仙寂23(系譜・過帳)
明徳2年元中8年辛未3・中山日尊、日正を身延に遣して袍服謗法の説を問詰せしむ(伝灯)
明徳2年元中8年辛未5・身延日叡、真間に下向し、次で鎌倉奉行所に中山日尊の代理侍従僧都日英と袍服の事を諍うて敗訴となる(伝灯)
明徳2年元中8年辛未7・25日什、京都を発し会津に下る(運記)一説、妙国寺創立
明徳2年元中8年辛未8・3日什、遠州吉美庄西郷河尻妙立寺に着す(運記)
明徳2年元中8年辛未8・時正(彼岸)、日什、一七日間府中玄妙寺にて説法す(運記)
明徳2年元中8年辛未8・29今川泰範、駿河上野郷地頭興津氏清をして大石寺東御堂及び坊地を日賢に還付せしむ(妙本書)
明徳2年元中8年辛未9・3奥津日乘、安房笠名郷の郷主池田延重を教化す(系譜)
明徳2年元中8年辛未9・8日什、駿河大岡庄の光長寺に着す(運記)
明徳2年元中8年辛未9・16日什、光長寺を出発す(運記)
明徳2年元中8年辛未9・19日什、相模龍ノ口大道の側なる宗祖の御墓五輪塔に参詣して辞去し、同日、鎌倉山内ミウリガ谷の平次郎の宅に入る(運記)
明徳2年元中8年辛未9・20日運・日實の2人、日什に受法す(運記)
明徳2年元中8年辛未9・21日什、武蔵品川本光寺に着す(運記)
明徳2年元中8年辛未9・22日什、武州品川宮内阿闍梨日春の坊に布教す(運記)
明徳2年元中8年辛未9・24日什、舟にて真間弘法寺に詣ず(運記)
明徳2年元中8年辛未10・9日什、奥州会津黒川安芸阿闍梨日意の坊へ着、御影講を修す(運記・什伝)
明徳2年元中8年辛未12・9日什、先亡後滅の大曼荼羅を認め会津妙法寺に寄せ、絵像の宝塔中央の題目を自書して末代木像造立の得意とす(什期記)
明徳2年元中8年辛未12・28江州今宿本像寺4世日純寂(過帳)
1392明徳3年元中9年壬申聖誕171 祖滅1111・3・4・6・9・⑩・11・121・20日什、嫡弟を限定せず折伏伝道をなす者を崇め、弘通すべきを置文す(日什跡之事・顕本)
明徳3年元中9年壬申2・26日運・日春・式部ともに奥州に下向す(運記)
明徳3年元中9年壬申2・28京都妙満寺開祖日什、会津黒川に寂79(運記・什期記)一説92歳
明徳3年元中9年壬申3・5日春・日運等、会津黒川に着す(運記)
明徳3年元中9年壬申4・日運、奥州より遠州府中を経て京都妙満寺へ着す(運記)
明徳3年元中9年壬申6・12中納言日傳は大石寺日時が大石寺東御堂並に敷地を掠領せるを訴う、因て光俊、日傳に返付すべきの許状を与う(保妙書)
明徳3年元中9年壬申6・19釈信伝、治部阿闍梨日傳より寂仙房日澄書写の中山関係の十一通御書を相伝す(奥書)
明徳3年元中9年壬申7・7光俊、大石寺東御堂並に坊地返還の旨を日傳に通達す(保妙書)
明徳3年元中9年壬申7・大石寺日時、重て大石寺御堂地等の件を幕府に訴う(保妙書)
明徳3年元中9年壬申8・房州清澄寺鐘を鋳る(鐘銘・集古十種)
明徳3年元中9年壬申12・9今川泰範、幕府の旨を奉じ駿河富士上方上野郷内法華堂の地を日時に渡付せしむ(石書)
明徳3年元中9年壬申備中野山境智寺大檀那伊達朝政没46(系図)
明徳3年元中9年壬申大橋太郎貞経(定継)の曽孫、愛知郡中根村法華寺を今の津島に移して本蓮寺と改名す(鷲津過去帳・別統)
1393明徳4年元中9年癸酉聖誕172 祖滅1122・3・5・7・9・111・8下総真間弘法寺4世日滿寂38(歴譜)
明徳4年元中9年癸酉5・8備後水呑妙顕寺5世乗妙院源悠寂(過帳)
明徳4年元中9年癸酉7・8足利義満、押小路南・姉小路北・堀川西・猪熊東(三条坊門)の敷地を知行状せしむ(寺書・霊記・別統・運記)、日霽妙顕寺を改めて妙本寺と号す(寺書)
明徳4年元中9年癸酉10・日英、妙隆寺を鎌倉小町に創す(縁起)
1394明徳5・応永1年元中9年甲戌7・5聖誕173 祖滅1131・3・5・6・8・10・124・18日興新六の日代、西山本門寺に寂98(過帳・辰師祖師伝)
明徳5・応永1年元中9年甲戌5・26上総興津妙覚寺6世日圓、房州広瀬岩井河に於て寂70、在住28年、岩井村信者池田入道日敬の死せる所に法蓮寺を再建せり(系譜)
明徳5・応永1年元中9年甲戌6・5越後本成寺日陣、規式並に禁制を定む(本綱)
明徳5・応永1年元中9年甲戌6・29千葉満胤、真間弘法寺に寺領安堵状を与う(中書)
明徳5・応永1年元中9年甲戌7・2沙弥道窓、真間弘法寺の本尊聖教並に敷地を本妙寺代官に譲渡す(中書)
明徳5・応永1年元中9年甲戌7・22讃岐大坊4世日正寂(歴譜)
明徳5・応永1年元中9年甲戌7・27武蔵一之江妙覚寺2世日典寂(過帳)
明徳5・応永1年元中9年甲戌12・2京都寺町法華寺6世権大僧都自定院日啓寂(過帳)
明徳5・応永1年元中9年甲戌山徒、吾が宗徒が法華宗号を用うるを阻む、妙本寺日霽、勅願の綸旨を示してこれを破す(別統・圀譜)
1395応永2年元中9年乙亥聖誕174 祖滅1142・4・6・⑦・8・9・10・123・26上総興津妙覚寺8世日實寂77、在住26年(歴譜)
応永2年元中9年乙亥4・16将軍足利義満、京都妙本寺日霽をして祈禱を行わしむ(寺書)
応永2年元中9年乙亥5・10八品派日隆、越中浅井郷遠成寺慶寿院に就いて剃髪す、時に12歳(隆記・隆伝)
応永2年元中9年乙亥5・11江州馬淵妙感寺5世円珠院日道寂(過帳)
応永2年元中9年乙亥11・11駿州岩本実相寺4世日譽寂(過帳)
1396応永3年元中9年丙子聖誕175 祖滅1152・4・7・8・9・11・124・9中山本行院祖日堯寂(過帳・別統)
応永3年元中9年丙子6・17越後本成寺日陣、選要略記1巻を著す(奥書)
応永3年元中9年丙子7・9波木井行氏日理卒(延鏡・鏡過)
応永3年元中9年丙子11・13京都上行院日得寂(歴譜)
応永3年元中9年丙子日什の資出羽阿闍梨日全、八十ヶ条相伝を録す、日全記と言う(奥書)
応永3年元中9年丙子京都本禅寺建立(別統)
応永3年元中9年丙子宗尊、什門建立由緒を著す(奥書)
応永3年元中9年丙子祖書に録内・録外の称呼を用う(日什門徒建立由緒)
1397応永4年元中9年丁丑聖誕176 祖滅1163・6・8・9・11・121・27和泉堺法華寺開山日輪寂(過帳)
応永4年元中9年丁丑4・26日仁・日實、目安申状を呈す(運記)
応永4年元中9年丁丑5・3日仁・日實2師、飯尾・加賀入道のもとに訴う(運記)
応永4年元中9年丁丑5・8日仁・日實また、ハタ殿の館に訴う(運記)
応永4年元中9年丁丑5・12日仁・日實、掃部入道殿・伊予殿の所に訴う(運記)
応永4年元中9年丁丑5・13日仁・日實、津掃部殿の所に訴え、18・19の両日、日仁等、一色殿の館に訴う(運記)
応永4年元中9年丁丑5・27日仁・日實、今川探題に訴う、また細川右京大夫、結城越後殿の宿所に訴う(運記)
応永4年元中9年丁丑6・5日仁・日實等の7人、京都を去り下関を志す(運記)
応永4年元中9年丁丑6・6京都妙満寺2世玄妙院日義寂(運記・什聖由来事)
応永4年元中9年丁丑6・8中山日尊、処々の田畑を顕真僧都日經等に譲与す(松崎顕実寺曽蔵日尊譲状)
応永4年元中9年丁丑6・9上杉頭人、京極殿の館に訴う(運記)
応永4年元中9年丁丑7・10日尊、中山・真間の本尊聖教並に寺領を治部卿日暹に譲与す(中書)
応永4年元中9年丁丑10・22日仁、奥州より上洛、妙満寺に住す(運記)
応永4年元中9年丁丑11・9鎌倉妙法寺祖日叡寂(白山大乗寺蔵系譜・別統)
応永4年元中9年丁丑11・24甲州中条長遠寺5世日忍寂(過帳)
応永4年元中9年丁丑12・23足利氏満、日暹をして本妙寺・弘法寺等の寺領を安堵せしめんことを幕府に推挙せしむ(中書)
応永4年元中9年丁丑本成寺日陣、上洛して本国寺に本勝迹劣を主張す、本国寺日傳これを難詰す、これより両者の間不和となり、爾来論難往復8年(陣系・本綱写本)
応永4年元中9年丁丑円光房日陣、偏強観破を著す(奥書)
1398応永5年元中9年戊寅聖誕177 祖滅1171・4・④・6・8・10・11・124・26日仁・日實、目安申状を奉行に上る(運記)
応永5年元中9年戊寅閏4・什門の日運、遠州に下向して昼夜兼行、御書等を写す(運記)
応永5年元中9年戊寅5・1静岡感応寺再興檀越感応院常因死す、岩越刑部の父(系譜)
応永5年元中9年戊寅5・26上総興津妙覚寺8世日圓寂77(過帳)
応永5年元中9年戊寅6・5妙満寺日仁、日實等と共に室町御所門内にて将軍義持に庭中直訴を行ない迫害を蒙る(運記)
応永5年元中9年戊寅6・25安房保田妙本寺日傳、大綱深秘抄1巻を著す(正本保田蔵・奥書)
応永5年元中9年戊寅8・27八品派本妙寺祖信解院日敬寂89、墓は敦賀妙泉寺にあり、本妙寺は敦賀津島町にあり(過帳)
応永5年元中9年戊寅8・29足利義満、京都妙本寺に詣ず(迎陽記)
応永5年元中9年戊寅8・日運、雲州馬木の亀井三河守に請せられて雲州に下向伝道す(運記)
応永5年元中9年戊寅9・2駿河重須本門寺3世日恩寂(過帳)
応永5年元中9年戊寅12・2義満、摂相2州の内4ヶ村の寺領を妙本寺に与う(寺書)
応永5年元中9年戊寅深円日隆、龍華の門に投ず(伝記)
応永5年元中9年戊寅什門の日全、鳥居大事等1巻を著す(奥書)
応永5年元中9年戊寅日運、御書の書写を終り遠州より上洛す(運記)
1399応永6年元中9年己卯聖誕178 祖滅1182・4・7・9・11・121・21駿河内房本成寺8世日通寂(過帳)
応永6年元中9年己卯4・6淡路八品派妙京寺2世日遑寂(過帳)
応永6年元中9年己卯6・13九州佐賀松尾山光勝寺3世正行院日正寂(過帳)
応永6年元中9年己卯9・7下総中山本妙寺4世日尊寂77(歴代記)
応永6年元中9年己卯10・大内義弘、京都に戦う、日運これを現罰なりとす(運記)
応永6年元中9年己卯11・10尾州萱津妙勝寺2世日長寂(過帳)
応永6年元中9年己卯12・7義持、京都本国寺の諸役を免除す(後鑑)
応永6年元中9年己卯12・7京都妙本寺日霽をして四海安全を祈らしむ(顕書)
応永6年元中9年己卯12・京都に大火起る、日運避難す(運記)
応永6年元中9年己卯日榮、相州三浦大明寺を創す(霊記・別統)